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ミラン移籍が大失敗に終わった選手たち|移籍金に見合わないプレー、イタリアの地で苦しんだのは?
Getty Imagesミラン移籍に失敗した選手は?
ビッグなクラブACミランには数々のビッグな選手たちが籍を置いてきた。だが、その誰もがミランに大きな成果をもたらしたわけではない。近年 ”赤と黒”(ミランの愛称)で大きな失敗に終わった移籍をピックアップしてみた。
Gettyマルシオ・アモローゾ
2006年|セカンドトップ|5試合1ゴール0アシスト
移籍金なしでサンパウロFCから加入ブラジル出身のアモローゾはボルシア・ドルトムントでの成功が認められてミランへやって来たが、たった5試合に出場しただけで故国のSCコリンチャス・パウリスタへ去ることになった。その後はギリシャやアメリカでもプレーしていた。
Getty Imagesアンドレ・シウバ
2017~20年|セカンドトップ|41試合10ゴール2アシスト
3800万ユーロ(約47億円)でFCポルトからポルトガル出身のシウバは1シーズンのみですぐにまたレンタルに出された。さらに1年後、アンテ・レビッチとのトレードでアイントラハト・フランクフルトへ行き、その後買い取りオプションを行使したフランクフルトへ完全移籍した。
Getty Imagesケヴィン・コンスタン
2012~14年|左サイドバック|57試合0ゴール3アシスト
800万ユーロ(約8億円)でジェノアからコンスタンは全部で1年半在籍したが、その間ずっと、なぜ大金を払ってまでこんな選手を雇ったのかとファンは疑問に思い続けていた。ミランを去った彼はボローニャやシオン、さらにイランのクラブでもプレーした。
Getty Imagesクリストフ・デュガリー
1996~97年|セカンドトップ|26試合6ゴール2アシスト
650万ユーロ(約9億円)でボルドーからミランのオーナーだったシルヴィオ・ベルルスコーニは以前SDだったブライダに対して、「君がジダンの代わりにデュガリーを雇ったんだ」と、ほとんど15年の長きに渡って非難を続けた。デュガリーは1年でミランを離れ、バルセロナへと去っていった。
Getty Imagesクラース=ヤン・フンテラール
2009~10年|セカンドトップ|30試合7ゴール0アシスト
1500万ユーロ(約20億円)でレアル・マドリーからオランダ出身のフンテラールはレアル・マドリーで成果に乏しい半年を過ごしたあと、ミランに活路を求めた。ミランでもあまり満足の行く結果は出せなかったが、次に移ったシャルケで素晴らしい成功を収めることができた。37歳となった現在は古巣のアヤックスに所属している。
Getty Imagesディエゴ・ラクサール
2018~20年|左サイドバック|25試合0ゴール1アシスト
1490万ユーロ(約19億円)でジェノアからこれもジェノアからの買い物の失敗。2018年ロシア・ワールドカップにウルグアイ代表として出場後、その戦闘的なスタイルが認められ、ミランはラクサールと契約を結んだが、1年後にはトリノへレンタルで放出された。現在はセルティックへレンタル中。
Gettyルーカス・パケタ
2019~20年|攻撃的ミッドフィールダー|44試合1ゴール3アシスト
3840万ユーロ(約48億円)でフラメンゴからそもそもブラジル出身のパケタの移籍金はミランにとって史上3番目の高額だった。この若きゲームメーカーはイタリアへ来てからも時折その素晴らしい資質を披露してみせたものの、2020年9月末にオリンピック・リヨンへの移籍が決定した。ミランは2000万ユーロ(約25億円)を回収することができた。
Gettyクシシュトフ・ピョンテク
2019~20年|セカンドトップ|41試合16ゴール2アシスト
3500万ユーロ(約44億円)でジェノアから2019年1月の契約時、ミランはこのポーランド出身のストライカーに大きな期待をかけていた。が、わずか1年後には再びクラブを去ることとなった。ピョンテクは、投資家ヴィントホルストの後ろ盾を得たヘルタ・ベルリンが最初に獲得した移籍選手の一人だった。
Gettyパトリック・クライファート
1997~98年|セカンドトップ|33試合9ゴール1アシスト
200万ユーロ(約3億円)でアヤックスからクライファートがミランへ移籍したのは、アヤックスの一員としてミランと戦い、ヨーロッパカップを制したわずか2年後だった。彼は1シーズンを過ごしたのみで再びセリエAを去ることになった。それでも、ミランはバルサに対して彼を2000万ユーロ(約32億円)で売り渡すことができた。
Getty Imagesヨアン・グルキュフ
2006~08年|攻撃的ミッドフィールダー|54試合3ゴール7アシスト
450万ユーロ(約6億4000万円)でスタッド・レンヌからミランでの2年間は非常にまずい出来で、2010年にはパオロ・マルディーニから大っぴらにダメ出しされることになった。マルディーニ曰く、「グルキュフには賢い振る舞いができなかったし、自分に閉じこもってイタリア語も学ぼうとしなかった。」その後はフランスを出ずにプレーしていた(ボルドーやレンヌなど)。
FILIPPO MONTEFORTE/AFP/Getty Imagesリカルド・オリヴェイラ
2006~08年|セカンドトップ|37試合5ゴール1アシスト
1500万ユーロ(約22億円)でレアル・ベティスから2006年の夏、そもそもミランはティエリ・アンリかサミュエル・エトオを獲得してアンドリー・シェフチェンコの穴を埋めたかったのだが、結局はオリヴェイラで手を打つしかなかった。期待に応えられなかったオリヴェイラは初めはレンタルでレアル・サラゴサへ行き、2008年に完全移籍した。
Getty Imagesソクラティス・パパスタソプーロス
2010~11年|センターバック|7試合0ゴール0アシスト
450万ユーロ(約5億円)でジェノアから当時の監督アッレグリはソクラティスを雇い入れたものの、めったに試合で使おうとしなかった。そのためジェノアへ売り戻されたが、やがてヴェルダー・ブレーメンで活躍を果たした後、ドルトムントへ移籍した。2018年からはアーセナルに在籍。
Getty Imagesフェルナンド・トーレス
2014年|セカンドトップ|10試合1ゴール0アシスト
レンタルでチェルシーから初めは2年間の契約でチェルシーからレンタルでやって来たが、4ヶ月後に100万ユーロ(約1億4000万円)でミランに買い取られ、その直後アトレティコへレンタル移籍した。2018年から1年間日本でプレーし、現役を退いた。
Gettyニコラ・カリニッチ
2017~18年|セカンドトップ|41試合6ゴール6アシスト
2250万ユーロ(約29億円)でフィオレンティーナからこのストライカーをまずミランは1年の契約でレンタルし、1年後に高額の買い取りオプションが発生することになっていた。だが、完全契約が成立するやいなや、すぐにカリニッチは800万ユーロ安い値段でアトレティコへ移籍した。現在はエラス・ヴェローナに在籍。
Getty Imagesリバウド
2002~03年|攻撃的ミッドフィールダー|40試合8ゴール6アシスト
移籍金なしでバルセロナから数々の試みが挫折に終わった後、ミランは2002年のワールドカップ後に、バルセロナで出場機会を得られずにいたリバウドを雇い入れた。ミランでも状況は好転せず、2003年にチャンピオンズリーグを制覇した際も彼はベンチを温めていた。その後まもなくブラジルに帰国した。
Getty Imagesクリスティアン・ヴィエリ
2005~06年|セカンドトップ|14試合2ゴール2アシスト
移籍金なしでインテルからヴィエリとインテルが合意の上で契約解消に至った時、ミランは思いきって名乗りを上げた。だが、すぐにわかったのは、彼が絶えずケガに注意を払わなければならない状態にあるということだった。ヴィエリはわずか6ヶ月でミランを去った。
Gettyフィリップ・センデロス
2008~09年|センターバック|20試合1アシスト
250万ユーロ(約4億円)のレンタル料でアーセナルから2008年にミランはアーセナルから買い取りオプション付きでセンデロスをレンタルした。このオプションはすぐに非難に晒された。スイス出身のセンデロスはケガに苦しみ、試合に出られてもテクニックの不足が目についた。
Getty Imagesホセ・マリ
2000~03年|セカンドトップ|75試合14ゴール10アシスト
1900万ユーロ(約20億円)でアトレティコ・マドリードからアトレティコで2年に渡り目覚ましい活躍を見せたマリは、ヨーロッパで最も将来性のあるフォワードのタレントの一人と目されていた。だが、思うようにゴールを奪えず、まずアトレティコへレンタルで復帰し、結局ビジャレアルCFへ売却された。
Getty Imagesエドガー・ダーヴィッツ
1996~98年|セントラル・ミッドフィールダー|31試合1ゴール1アシスト
移籍金なしでアヤックスから闘犬ダーヴィッツは若き日にミランでブレイクを果たせなかったが、ユヴェントスで最盛期を迎え、その後バルサやインテル、トッテナムでもプレーした。2014年、スキャンダルにまみれながら最後のカムバックに終止符を打った。
Getty Imagesクリスティアン・ツィーゲ
1997~99年|左ミッドフィールダー|47試合4ゴール3アシスト
510万ユーロ(約7億円)でバイエルン・ミュンヘンからツィーゲは25歳でミランに誘われ、バイエルンからやって来た。その後さらにプレミアリーグクラブ(ミドルズブラ、リヴァプール、トッテナム)へ移り、ボルシア・メンヒェングラートバッハで2年を送った後、2006年に引退した。

ロッキ・ジュニオール
2000~03年|センターバック|75試合0ゴール1アシスト
850万ユーロ(約9億円)でパルメイラスからミランへ来て最初の2年間はレギュラーを務め、その後は交代要員に留まったものの、2003年にはチャンピオンズリーグで優勝を経験した。その後ドイツへ渡り、バイエル・レヴァークーゼンやMSVデュースブルクでプレーした。さらにカタールとブラジルのクラブに在籍し、現役生活の幕を閉じた。
Getty Imagesハビ・モレノ
2001~02年|セカンドトップ|27試合、9ゴール2アシスト
1600万ユーロ(約17億円)でデポルティーボ・アラベスからアラベスの一員としてUEFAカップで輝かしい活躍を見せたモレノは2001年の夏にミランへ移籍した。だが、この移籍は大失敗に終わり、1シーズンでスペインへ戻ることになった。とはいえ、アトレティコから1300万ユーロ(約15億円)の移籍金を受け取ったことはミランにとって幸いだった。
Gettyオグチ・オニェウ
2009~11年|センターバック|1試合0ゴール0アシスト
移籍金なしでスタンダール・リエージュからアメリカ出身のオニェウはミランと3年の契約を結んだが、リーグ戦には1試合も出場できなかった。ケガのために最初の1年を棒に振り、2年目には練習中にイブラヒモヴィッチとつかみ合いの喧嘩騒ぎを引き起こした。2018年にアメリカでキャリアを終えた。
Getty Imagesアンドレアス・アンデション
1997~98年|セカンドトップ|17試合1ゴール
350万ユーロ(約4億4000万円)でIFKヨーテボリからアンデションとの契約でミランにとってプラスになったのは、売却によって利益を得られた点だけだった。彼の在籍期間はほんのわずかで、出場したのはたったの13試合。セリエA史上最も失敗に終わった移籍の一つとして知られている。
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