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インテル移籍が大失敗に終わった選手たち|期待外れに終わったのは?
Getty Imagesインテル移籍に失敗した選手は?
インテルは、2020-21シーズンのチャンピオンズリーグでグループステージを敗退、それどころかヨーロッパリーグの参戦資格さえ逃してしまった。
近年の移籍戦略には疑問を抱く場面も多い。過去にも”黒と青”(インテルの愛称)は移籍であれこれ大失敗を犯している。今回はインテルの失敗した買い物リストを振り返ってみる。

ダルコ・パンチェフ
1992~94年|センターフォワード|29試合10ゴール
1200万ユーロ(約12億円)でレッドスター・ベオグラードからサン・シーロ(インテルのホームスタジアム)へ移籍した当時のパンチェフはヨーロッパ最強のフォワードの一人と考えられており、1年前にレッドスターでヨーロッパカップを制覇したばかりだった。だが、イタリアでの2年半は精彩を欠き、移籍金に見合う働きを見せられなかった。
Getty Imagesグリゴリオス・ゲオルガトス
1999~2002年|左サイドバック|46試合4ゴール2アシスト
700万ユーロ(約8億円)でオリンピアコスFCから可もなく不可もないスタートを切ってからレンタルでオリンピアコスへ戻り、2度目の挑戦の際にも決定的ブレイクを果たせなかった。2002年、ともかくインテルは移籍金の半額をなんとかAEKアテネFCから取り戻した。
Getty Imagesハビエル・ファリノス
2000~03年|ミッドフィールダー|77試合3ゴール1アシスト
1850万ユーロ(約18億円)でバレンシアCFからバレンシアの俊英が活躍を続けることを期待して、“青と黒”の幹部陣は大枚をはたいた。たいして成果の上がらない3年間の後2度レンタル放出となり、移籍金なしでRCDマヨルカへ去って行った。
Gettyハカン・シュキュル
2000~02年|センターフォワード|35試合6ゴール1アシスト
630万ユーロ(約6億円)でガラタサライSKから以前のトリノFCへのレンタルの際に期待に応えられなかったトルコのレジェンドに、それにもかかわらずインテルは600万ユーロを越える金額を投入し、後悔する羽目となった。2年間で6ゴールを挙げた後、短期間イングランドへ渡り、再び故国へ戻った。
Gettyロビー・キーン
2000~01年|センターフォワード|15試合3ゴール
1950万ユーロ(約19億円)でコヴェントリー・シティFCからアイルランド生まれのキーンはヨーロッパ屈指の攻撃のタレントとして、当時としては大金を積まれてミラノへ乗り込んだ。だが、リッピに代わって監督となったタルデッリには重用されず、成果を残せないまま再びイングランドへ戻って行った。ともかく1800万ユーロ(約18億円)と引き換えに…
Gettyヴァンペッタ
2000~01年|セントラルミッドフィールダー|8試合1ゴール
SCコリンチャンス・パウリスタから純然たる大失敗。ヴァンペッタが雇われたのは、とりわけロナウドという花形フォワードを喜ばせるためだった。2人は以前PSVアイントホーフェンでチームメイトだった。ヴァンペッタはリーグ戦には1試合も登場せず、早くも半年後には再びインテルを去った。
Getty Imagesゴンサロ・ソロンド
2001~03年|センターバック|12試合
600万ユーロ(約7億円)でデフェンソール・スポルティングからレアル・マドリーとの競争に勝利してソロンドを獲得したインテルの喜びは大きかった。が、喜ぶのは早すぎた!2年の間ウルグアイ生まれのソロンドは何の喜びの種も生み出さず、3回に渡ってレンタルされた後チャールトン・アスレティックFCへ移って行った。
Getty Imagesアンディ・ファン・デル・メイデ
2003~05年|右ウィング|54試合4ゴール8アシスト
1200万ユーロ(約16億円)でアヤックス・アムステルダムからタレントの養成で聞こえたアヤックス出身のメイデだが、傑出した評判が先行して、それを証明することは叶わなかった。アーセナル戦での素晴らしいゴールの後は3点を挙げるにとどまり、高額の出費に引き合わない成果に終わった。
Getty Imagesネルソン・リバス
2007~09年|センターバック|28試合
750万ユーロ(約12億円)でCAリーベル・プレートから選手紹介の場で、リバスは「タイソンと呼んでもらってもいい」と言った。その体格とスピードから、南米ではボクサーのマイク・タイソンになぞらえられていたからだ。セリエAでは不安の種にもならなかったものの、それ以上の働きも見せなかった。
Gettyリカルド・クアレスマ
2008~10年|右ウィング|32試合1ゴール2アシスト
2460万ユーロ(約40億円)でFCポルトから現在37歳になる“渡り鳥”クアレスマは、おそらくミラノで最も不本意な年月を送った。ほぼ2500万ユーロと引き換えにインテルが手にしたのはたったの1ゴールだった。監督のモウリーニョはとにかく同国人選手が欲しかったのだ。2010年、それでもなおベシクタシュJKに730万ユーロ(約8億円)で買い取られた。

マルコ・アルナウトヴィッチ
2009~10年|センターフォワード|3試合
レンタルでトウェンテ・エンスヘデから今ではもう、このオーストリア人選手がレンタルベースでインテルでプレーしていたことを覚えている者はいないだろう。記憶に残るような成果が何もなかったのだから。モウリーニョから「子供のようなメンタルの持ち主」と折り紙をつけられた彼に買い取りオプションが行使されることはなかった。
Gettyディエゴ・フォルラン
2011~12年|センターフォワード|20試合2ゴール3アシスト
500万ユーロ(約6億円)でアトレティコ・マドリードから初めからすべてがうまくいかなかった。インテルは彼をチャンピオンズリーグに選手登録することを忘れたが、どっちみちリーグ戦でも期待を裏切る結果しか出せなかった。2012年にインテルを去り、その後2019年までブラジル、日本、インド、香港でプレーを続けた。
Getty Imagesアルバロ・ペレイラ
2012~14年|左サイドバック|47試合1ゴール6アシスト
1000万ユーロ(約10億円)でFCポルトから“じっくり取り組めばいい仕事ができる”というわけには必ずしもいかない。ペレイラをポルトから引っぱり出すには徹底的な交渉が必要だった。だが、まずは月並みな1年、次に思わしくない1年が過ぎた後、ウルグアイ生まれのペレイラは南米のクラブを偵察し始めた。現在はパラグアイでプレーしている。
Getty Imagesイシャク・ベルフォディル
2013~14年|センターフォワード|10試合1ゴール1アシスト
575万ユーロ(約8億円)でパルマから現在ホッフェンハイムに籍を置くベルフォディルは28歳にしてすでにちょっとした経験を積んでおり、ミラノでも半年を過ごしたことがある。やがてヴェルダー・ブレーメンでそのポテンシャルをフルに開花させるまでには、パルマ、アラブ首長国連邦、リエージュといった回り道を経なければならなかった。
Gettyクリスティアン・エリクセン
2020年~|攻撃的ミッドフィールダー|37試合4ゴール3アシスト
2700万ユーロ(約33億円)でトッテナムからデンマーク生まれのエリクセンのプレーヤーとしての資質は疑いを容れない。だが、トッテナムで長年にわたって力強い活躍を見せたにもかかわらず、インテルとの相性は今一つのようだ。この冬の移籍が噂されており、行先としてはバイエルンも候補に挙がっている。
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