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【倉敷保雄:CL特別連載(1)】「我が心のアヤックス」サッカーの入り口であり、学びだった

アヤックスとのラブ・ストーリーは突然に始まった。

彼らは美しかった。

この時代のアヤックスと出会っていなければ、サッカーの美しさを賛美する実況者にはならなかっただろう。

アヤックスが僕をこの仕事にのめり込ませた。

オランダリーグ実況のオファーを受けたのはJリーグが開幕した1993年。降って湧いた、幸運な話だった。

この頃、僕は完全にフリーな状態で次の仕事を探していた。音楽番組制作も報道記者もやりがいのある仕事だったが、スポーツ中継がしたかった。そんな時、時代がチャンスをくれた。

Jリーグの誕生に合わせ衛星放送局が次々と立ち上がり、星が降るように世界のサッカーが降り注いだ。新しいフットボール観戦スタイルの黎明期だった。誕生したばかりのCS・BS放送局にアナウンサーはいない。だからチャンスがあった。

不思議な縁で制作会社から最初の依頼をもらった。

「オランダサッカーとブラジルサッカーをシリーズで放送するのですが

専任で担当できますか?」

もちろんです、と即答した。

斯くして僕の海外サッカー中継のキャリアが始まった。

■当時欧州を席巻していたアヤックス

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この時、オランダのみならず欧州で旋風を巻き起こし始めていたのが、ルイ・ファン・ハール率いるアヤックスだった。

ひと言で言えば、美しいサッカーだった。

担当し始めた1993-94シーズンからアヤックスはエールディビジを3連覇する。まだライブはなく毎週一回の録画放送(後付けの実況・解説)で、アヤックスだけでなく、フェイエノールト、PSVと3チームをローテーションするように放送された。

それぞれが個性的だったが、アヤックスは輝いていた。

特に94-95の無敗優勝は34戦を戦って106得点28失点。

欧州チャンピオンズリーグではミランを破って4度目の欧州制覇を成し遂げた。

日本では圧倒的にミランファンが多かったが、下馬票を覆しての優勝はオランダサッカーを実況する者として誇らしく、クラブへの忠誠心を煽った。

95年にはグレミオを破りトヨタカップを制覇した。スタンドの一番奥の場所で優勝カップを掲げる仲間たちに、胸を熱くしているライカールトの姿を今でもはっきりと覚えている。

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当時のメンバーは、エドウィン・ファン・デル・サール、ミハエル・ライツィハー、ダニー・ブリント、フランク・ライカールト、ロナルド・デ・ブール、フランク・デ・ブール、エドガー・ダービッツ、クラレンス・セードルフ、パトリック・クライファート、フィニディ・ジョージ、マルク・オーフェルマルス。そしてシステムの中心でゲームを司るヤリ・リトマネンがいた。

アヤックスは“美しく勝利せよ”というクライフの言葉を実践する。

相手の守備を翻弄し、次々と得点を奪うサッカーを展開した。

そして僕の中継スタイルにも影響を与えた。

少ないタッチでボールを動かすから、自然にボールホルダーを追うスタイルがベースになっていった。

試合に魅了されていくたびに彼らをもっと知りたいと思った。当時は一枚の画像をダウンロードするにも数十分かかるというネット環境だったが、アヤックスのニュースを探しては作業が進まないモニターを穴があくほど眺めていた。

オランダ語の記事を探し、彼らを讃える表現を求めた。

プレーを伝える言葉、言い換える例えを考えた。

海外から雑誌や新聞を取り寄せ、海外サッカー通の方に出会うたびに質問攻めにした。

世界の実況のスタイルは?どんな中継をしているのか?

中継の準備はこの頃からサッカーの勉強であり、オランダの文化や歴史の勉強であり、世界を知る手がかりや手段を学ぶ時間だった。

そして現地へ行った。

Amsterdam ArenA(C)Getty Images

アムステルダムアレーナはまだ完成して間もなかった。

メディア申請をして記者会見に参加した。練習場へ出かけ、インタビューをした。便利な時代ではなかったがおおらかな時代でもあった。クラブはまだ珍しかった日本人にいろいろと見せてくれた。ホスピタリティとは何かも学べた。

アヤックスミュージアムのお披露目となったプレスリリースにも参加して現地新聞メディアから逆取材も受けた。経験や知識が次々と積み重なっていく感触が嬉しかった。ファン、メディア、協会、フロント、いろいろな欧州の仕組みはオランダで覚えた。

すべてアヤックスがきっかけだった。

日本での録画中継の相棒は当時留学生で東大生のフィサーホーフトさんだった。今でも親交がある。ジブリファンの娘さんと来日した時にはすっかり良いお父さんだった。海外の友達もここからたくさん増えていった。

アヤックスから始まったサッカーの仕事は僕のこれまでの人生をとても豊かなものにしてくれた。たくさんの友ができ、海外へ行き見識を広められた。美味しいものも知った。

アヤックスは僕のサッカーの入り口であり、学びの場であり、心のクラブだ。(第2回に続く)

文=倉敷保雄

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