再び、デンベレはネイマールの代わりとしてクラブを変わったが、今回は賭けの規模が大幅に小さかった。PSGがスーパースターに依存する時代から、チームワークを重視する時代へと移行したため、ネイマールとその相棒であるリオネル・メッシが相次いでチームを去ったのである。また、キリアン・エンバペが2024年に退団する可能性も、やむを得ないものとして受け入れられていた。
エンバペのサポート役となったデンベレは目立った成績を残せなかったが、PSGは国内二冠を達成し、QSI時代において2度目となるチャンピオンズリーグ準決勝進出を果たした――最終的には、何度も窮地を乗り越えたボルシア・ドルトムントに負けることとなったが。
エンバペの退団後、ルイス・エンリケ監督はようやく理想のチームを築くことができた。バルセロナではメッシと「MSN」の攻撃陣に構想を狂わされ、スペイン代表監督時代には選手の調子の悪さに手足を縛られた状態だったのだ。今回はいちからチームを築くこととなり、2024-25シーズンの数カ月を要して、ついに最高のシステムが確立された。
PSGがチャンピオンズリーグのリーグフェーズで敗退寸前だったことは忘れられがちだが、最終節前のマンチェスター・シティ戦で4-2で逆転勝利したことは、シーズンの転換点として称賛された。それまでデンベレは主に右ウイングでプレーして得点とアシストを重ねていたが、背番号9のポジションに移行したことで一段上のレベルに到達し、35ゴール・16アシストを記録することとなった。
これは、ペップ・グアルディオラが2010-11シーズンの伝説のバルセロナで、全盛期のメッシをストライカーに起用したこととまったく同じではないが、同じような変革をもたらしたことは確かだ。PSGには、すでにデジレ・ドゥエやブラッドリー・バルコラといったダイナミックなウイングがいた上に、1月に加入したフヴィチャ・クヴァラツヘリアも素晴らしい補強だった。ルイス・エンリケ監督は、独創的で献身的、自ら得点することもアシストもできる、両利きのドリブラーたちで前線を編成した。
そんな中でもデンベレは際立っていた。リーグ戦21得点のうち16得点を12月から3月の間に決め、PSGは竜頭蛇尾のマルセイユの挑戦を振り切って、チャンピオンズリーグに集中することができたのだった。デンベレが得点もアシストも出来ず唯一負けた試合は、ベスト16の第1レグでリヴァプールに0-1で敗れた試合だった。数字以外でも、デンベレは以前の不満と混乱の殻を脱ぎ捨てて、より大胆で自信に満ちた姿を見せ、世界有数のファッションの街を本拠地とするチームにふさわしい存在となった。
彼は前線からのプレスさえ貪欲にやり切った。クラブワールドカップ準決勝でPSGに0-4で敗れた直後のレアル・マドリーのティボー・クルトワが、こう明かしている。
「試合後、デンベレに『ずいぶんプレスに来たな』と言ったら、彼は『それが俺の仕事だ』と答えた。クリアの場面でも相手がプレスをかけてきたため、ボールを蹴り出す方向を考える時間は1秒の半分もなかった」
ついにデンベレは潜在能力を発揮し、それ以上であることを証明した。最も熱心な支持者や信奉者でさえ、1年前には彼を見限っても仕方なかっただろう。ここで語られる語は、彼がバロンドールを受賞すべき理由を強化するものである。私たちが老いて白髪になった頃、2024-25シーズンの顔として思い出すのは彼だ。それは重要なことである。