ダルウィン・ヌニェスがリヴァプール行きを選んだことで、マンチェスター・ユナイテッドは今夏のトップターゲットを逃した。新監督のエリック・テン・ハーグ監督は代わりの選手を検討しなければならない。
しかし、市場で失望を味わったユナイテッドのボスは彼だけではない。サー・アレックス・ファーガソンは、オールド・トラッフォードの象徴になると確信していた選手たちを何度も獲得できなかったのだ。
そこで、『GOAL』では赤い悪魔が欲しがりながら、連れてくることができなかった、傑出した選手たちを10人紹介する。
(C)Getty Imagesダルウィン・ヌニェスがリヴァプール行きを選んだことで、マンチェスター・ユナイテッドは今夏のトップターゲットを逃した。新監督のエリック・テン・ハーグ監督は代わりの選手を検討しなければならない。
しかし、市場で失望を味わったユナイテッドのボスは彼だけではない。サー・アレックス・ファーガソンは、オールド・トラッフォードの象徴になると確信していた選手たちを何度も獲得できなかったのだ。
そこで、『GOAL』では赤い悪魔が欲しがりながら、連れてくることができなかった、傑出した選手たちを10人紹介する。
Getty Imagesファーガソンが逃した有名な選手の一人。
ファーガソン率いるユナイテッドは常勝軍団であったが、シアラーが攻撃の中心であったならば、どれだけ良いチームになっていただろうか?
ブラックバーンはシアラーがゴールを決めなければ、1995年のプレミアリーグ優勝を勝ち取れなかったのだろう。
ファーガソンは2度、プレミアリーグの歴代最多得点王との契約を逃したが、1996年の夏に彼を獲得できなかったことが、最も高くついたと感じられた。
エリック・カントナの不調とアンディ・コールの故障にもかかわらず、ユナイテッドはチャンピオンズリーグの準決勝に進出したが、ボルシア・ドルトムントを相手に数多くの絶好のチャンスを無駄にし、敗退してしまったのである。
シアラーがもしもいればと考えてしまったことは想像に難くない。
Gettyルイ・ファン・ハールは在任中にユナイテッドが移籍市場で結果を出せなかったことについて多くを語ってきたが、おそらくマネはエド・ウッドワードがオランダ人監督在任中に逃したターゲットの顕著な例であるだろう。
2015年にユナイテッドが当時サウサンプトンにいたマネに興味を持ったとき、たとえセント・メリーズで印象的だったとしても、それは驚きの動きとみなされた。
そして、翌年の夏にマネが3400万ポンド(約56億7000万円)でリヴァプールと契約したときでさえ、彼が世界最高のアタッカーの一人に成長すると予想する者はほとんどいなかった。
今夏、マネはバイエルン・ミュンヘンへの移籍に近づき、マージーサイドで過ごした壮大な6年間に終止符を打つことになる。
Getty Images1987年にワトフォードを去ったバーンズをリヴァプールに連れ去られたのは、ファーガソン監督自身の責任である。
ユナイテッドの監督は、このイングランド代表ウインガーの大ファンだったが、このポジションはすでにイェスパー・オルセンで十分カバーされていると考えていた。
しかし、オルセンはオールド・トラッフォードで期待に応えることができず、ファーガソン監督の下で輝くことはなかった。
一方、バーンズはリヴァプールでリーグ優勝2回、FAカップ優勝2回、1988年にPFA年間最優秀選手賞を手にし、1988年と1990年にはFWA年間最優秀選手賞を2度受賞している。
Gettyレアル・マドリーとドイツのレジェンドであるクロースは、デイヴィッド・モイーズがオールド・トラッフォードで指揮を執っていた8か月間に獲得し損ねたタレントの一人だ。
モイーズ監督は、2回目の夏の移籍市場で当時バイエルン・ミュンヘンのスター選手だったクロースを再建計画の中心に据えることができると信じていた。
しかし、ユナイテッドがチャンピオンズリーグ出場権を逃した悲惨なシーズンの後、グレイザー一家が彼の任期を終了させたため、スコットランドの指揮官は最初のシーズンを終えることさえできなかった。
もし、この夏にチアゴ・アルカンタラとセスク・ファブレガスを獲得していたら、状況は変わっていたかもしれない。
それは誰にもわからない。
Getty1987年の夏、ファーガソンがベアズリーを再建の一翼を担わせようとしたとき、ユナイテッドはニューカッスルから300万ポンド(約5億円)の見積りを提示された。
しかし、このイングランド代表選手は、わずか190万ポンド(約3億1000万円)でライバルのリヴァプールに移籍し、翌シーズンのケニー・ダルグリッシュの不動のタイトル獲得に大きく貢献することになった。
Gettyファーガソン監督は、ヘンダーソンがサンダーランドでトップチームに定着しつつあった頃、ユナイテッドに理想的にフィットすると考えていたことを率直に認めている。
しかし、このMFの獲得に乗り出そうとしたとき、ヘンダーソンの走り方を理由に移籍を思いとどまるよう忠告された。どうやら、クラブの医療部門はケガにつながることを恐れたようだ。
ファーガソンは「我々は彼を選手として愛していたし、彼は今それを証明してくれた。彼は素晴らしいし、私が聞かされるすべての話は、私が本当に良い人を逃してしまったことを教えてくれる」と後に語っている。
Getty Imagesエリック・カントナが来る前、そしてシアラーを二度にわたって追いかけることに失敗する前、ハーフォードという高さを武器とするベテランストライカーがいた。
ファーガソン監督はこのストライカーに正式なオファーを出すことはなく、そのことを後悔することになる。
ファーガソンは空中戦の強さが決定的な違いであると確信し、翌年の夏にディオン・ダブリンを獲得した。
Getty Images世界で最も優れた才能を逃しただけでも十分悪いのに、ユナイテッドはこれからマンチェスター・シティで新たな歴史を築くハーランドを見守らなければならないのだ。
赤い悪魔はこの夏、ハーランドを獲得する真剣な候補ではなかったが、2019年の冬には、この天才的なノルウェー人ストライカーを十分に求めていた。
そして彼らには、オーレ・グンナー・スールシャール監督という独自のアドバンテージがあった。彼はノルウェーのレジェンドであるだけでなく、モルデでのハーランドの恩師でもある。
だが、ハーランドはドルトムントと1800万ポンド(約30億円)の破格値で契約した。ユナイテッドは、買い取り条項など細かい契約を嫌がったからだ。
いずれにせよ、ユナイテッドは絶対的なゴールマシーンを逃すことになった。
Gettyファーガソンがガスコインの野性的な部分を手なずけ、彼の潜在能力を最大限に引き出すことができたかどうかは、今となっては誰にもわからないだろう。
1988年の夏、ファーガソンは、ガスコインがユナイテッドの革命に参加するよう説得していた。ところが、休暇中にホテルのスピーカーから自分の名前が呼ばれたのだ。当時のユナイテッド会長、マーティン・エドワーズが電話口に立ち、悪い知らせを聞かされた。そして、ガスコインはトッテナムに移籍していった。
Getty Images2009年のシーズン終了後、クリスティアーノ・ロナウドの売却に渋々同意したファーガソンは、世界最高の選手がオールド・トラッフォードを去った後の空白をどう埋めるかと考えていた。
そのプランに挙がっていた存在こそカリム・ベンゼマである。
しかし、ひとつだけ問題があった。レアル・マドリーはロナウドに世界記録となる8000万ポンドを投じるかもしれないが、リヨンからベンゼマを獲得するために必要な2500万ポンドを支払うだけの蓄えはあったということだ。
後に、ロナウドがオールド・トラッフォードに戻り、ベストを尽くした一方で、ベンゼマが赤いユニフォームを着ることはなかった。そして、マドリーで5度のチャンピオンズリーグ優勝を経験し、2022年はバロンドールの最有力候補だ。