Getty/GoalGOAL(ゴール)
選手から監督へ。古巣で指揮を執ったレジェンド25人
Gettyケニー・ダルグリッシュ(リヴァプール)
リヴァプールのレジェンド、ケニー・ダルグリッシュは選手兼監督として間違いなく最も有名で、顕著な業績を挙げた人物だ。ダルグリッシュは赤いユニフォームを纏ってプレーし、その活躍で最も称賛を浴びた選手だ。335試合で118ゴールを記録し、リーグとヨーロピアンカップ(現チャンピオンズリーグ:CL)を複数回制覇した。その後、ジョー・フェイガン監督の辞任を受けて1985年に選手兼監督に就任。
さて、ここからクラブ史に残るほどの快進撃が始まる。ダルグリッシュは1部リーグを3回制覇。さらに2度のFAカップ優勝と4度のFAチャリティ・シールド優勝を経験。1991年に辞任したものの、2011年に惜しまれながら退任したロイ・ホジソンに代わって監督に就任し、クラブに戻ってきた。2012年にリーグカップのトロフィーをもたらした。
Gettyヨハン・クライフ(アヤックス、バルセロナ)
フットボール史に残した偉大な記録を見れば、ヨハン・クライフがサッカー界に残した衝撃は今でも生々しく感じ取ることができる。アヤックスで説いた「トータルフットボール」の哲学と、代名詞である「クライフターン」で知られるこのオランダ人は、キャリアでプレーしたアヤックスとバルセロナの両方で指揮を執った。
1987年にアヤックスでUEFAカップを戴冠したのち、クライフはバルセロナの監督職を引き継いだ。バルセロナでは象徴的な「ドリームチーム」を率いる責務を負い、1992年にはクラブ初のCL優勝をもたらした。クライフの戦術と哲学はバルセロナとペップ・グアルディオラに今でも色濃く残るほどの影響を与えている。
Getty Imagesフランク・ランパード(チェルシー)
フランク・ランパードはジョゼ・モウリーニョ率いるチェルシーの一員として重要な役割を担っていた。同世代で最高クラスのミッドフィルダーとして賞賛を浴び、その評価に見合うだけのトロフィーを掲げてきた。3度のリーグ優勝、1度のCL優勝、そして4度のFAカップ優勝。全てのコンペティションで挙げた211ゴールは、言うまでもなくチェルシーの歴代最多得点だ。徹頭徹尾ブルーズのレジェンドなのだ。
ニューヨーク・シティFCで選手としてのキャリアを終えたランパードは、短い期間ダービー・カウンティFCを率いたのち2019年に監督としてブルーズに復帰。監督としてのデビューシーズンは4位でシーズンを終え、CL出場権獲得に成功したが、2020-21シーズンに解任の憂き目に遭ってしまった。
Gettyオーレ・グンナー・スールシャール(マンチェスター・ユナイテッド)
オーレ・グンナー・スールシャールがチームの中心を担った1999年。CL決勝のバイエルン・ミュンヘン戦で途中交代で出場し、土壇場で決勝ゴールを決めたことでマンチェスター・ユナイテッドのレジェンドとなった。スールシャールはレッドデビルズのファンにとって神聖な存在だ。
スールシャールは2018年、波乱のジョゼ・モウリーニョ政権の後を継いで暫定監督に就任。19試合のうち14試合に勝利し、正式に監督に就任することになった。2019-20シーズンはマンチェスター・ユナイテッドを3位に導いたが、一方でCLでは予選3位に終わり、ノックアウトステージに駒を進めることはできなかった。
しかし、今季は好調を維持し、8年ぶりのプレミアリーグ制覇も射程に捉えている。
Getty Imagesペップ・グアルディオラ(バルセロナ)
生まれながらのカタルーニャ人であるペップ・グアルディオラは、バルセロナ史上最高の監督に推されることも多い。バルセロナのアカデミーを経験し、ユース世代でブレイクを果たしたグアルディオラは、選手としてのキャリアのほとんどをバルセロナで過ごし、ヨハン・クライフ率いるチームの一員としてクラブ初のCL優勝を経験した。
クラブに帰還したグアルディオラは、まずバルセロナBの監督を任され、2008年にトップチームの監督に就任。就任初年度にも関わらずチームをリーガ、CL、コパ・デル・レイの3冠に導いた。
2009年には驚愕の6冠を達成。当時のチームにはリオネル・メッシ、シャビ、アンドレス・イニエスタのような選手がおり、最高のチームとしてヨーロッパサッカー史に記録された。その後2012年にクラブを去った。
Getty Imagesジネディーヌ・ジダン(レアル・マドリー)
ジネディーヌ・ジダンはフットボール史上初めてCL三連覇を果たした監督になった。この元フランス代表MFは、W杯、CL、バロンドールをすべて制した8人のうちの一人。選手として輝かしい時代を過ごしたように、監督としても華々しい経歴を作り上げようとしている。
ジダンは2018年にレアル・マドリーの監督を辞任したが、2019年には復帰。ラ・リーガのタイトルとスペイン・スーパーカップ優勝をもたらした。
Gettyカルロ・アンチェロッティ(ミラン)
カルロ・アンチェロッティはロッソネリ(ミランの愛称)で選手として5年過ごし、のちに監督に就任。ヨーロッパでもっとも素晴らしく輝かしい成績を残した監督となった。その後さらにPSG、レアル・マドリー、バイエルン、チェルシーといったヨーロッパのビッグネームを渡り歩いて指揮を執った。アンチェロッティがミランで指揮を執ったのは8年間。カカ、アンドレア・ピルロ、クラレンス・セードルフといった、この世代の偉大な選手たちの統率を任された。
ミランでは2度のCL優勝を果たした。2005年の、歴史的なイスタンブールでの決勝、リヴァプール戦をを率いた監督こそがアンチェロッティだ。
Gettyミケル・アルテタ(アーセナル)
ミケル・アルテタがアーセナルのレジェンドとみなされることはあまりないかもしれないが、実はクラブに5シーズン選手として在籍し、2度のFAカップ優勝に貢献している。ガナーズの監督として契約したのは2019年(解任されたウナイ・エメリの後任)。アーセン・ヴェンゲルの長期政権からリフレッシュを遂げた監督と評価される。
マンチェスター・シティでペップ・グアルディオラのアシスタントを務めていたが、辞任してアーセナルにやってきたアルテタ。エミレーツでの役割は自身初めての「監督」。だが、このスペイン人は監督初年度からFAカップとコミュニティ・シールドを獲ってみせた。
Getty Imagesアンドレア・ピルロ(ユヴェントス)
ユヴェントスで歴代最高クラスのプレーメーカーの名声を浴びたアンドレア・ピルロ。2017年にニューヨーク・シティFCで現役生活に終止符を打ち、2020年には監督としてクラブに戻ってきた。
2021年1月にはユヴェントスで初めてのトロフィーを掲げた。イタリア・スーパーカップ決勝でナポリを2-0で破って優勝を決めたのだ。
Gettyルイス・エンリケ(バルセロナ)
ルイス・エンリケはレアル・マドリーとバルセロナの両方でプレーした数人の選手のうちの一人。1996年にレアル・マドリーからバルセロナに加入している。
ヘラルド・マルティーノの退陣を受けて就任したエンリケは、2度のラ・リーガ優勝と3度のコパ・デル・レイ優勝、そして1度のCL優勝を達成。2017年のCLのPSG戦で伝説的な6-1の大逆転をやってのけた中心人物としてもよく知られている。
Getty Imagesロナルド・クーマン(バルセロナ)
現バルセロナ指揮官のロナルド・クーマンは、1989年から95年まで現役選手としてカンプ・ノウでプレーしていた。
現役当時はラ・リーガ4連覇、クラブ史上初のチャンピオンズリーグ優勝にも貢献。一時代を築いた。現役引退後の1998年から2000年までバルセロナのアシスタントコートを務め、数々のクラブやオランダ代表の指導したのち、2020年より古巣バルセロナの指揮官に就任している。
Gettyディエゴ・シメオネ(アトレティコ・マドリー)
ディエゴ・シメオネはアトレティコ・マドリーの権化のような存在だ。選手としては2年間をこのクラブで過ごした。2011年から長らく監督としてアトレティコを牽引しており、2013-14シーズンにはクラブにラ・リーガのトロフィーをもたらした(そしてレアル・バルサの二強を大いに揺るがした)。また、コパ・デル・レイでの優勝経験もある。
アトレティコ・マドリーを率いて2度もCL決勝にたどり着いたが、地元のライバルであるレアル・マドリーに負けてしまった。なお、2018年にはEL優勝を果たしている。
Gettyアントニオ・コンテ(ユヴェントス)
アントニオ・コンテは2019年にインテルの監督になったため、ビアンコネリのファンを怒らせたかもしれない。だが、ユヴェントスを率いて3度のセリエA優勝と2度のイタリア・スーパーカップ優勝を果たしたことは間違いない。
このイタリア人はユヴェントスの八百長に加担したとも言われており(※のちに無罪)、それが自身のアリアンツ・スタジアムでの栄光に影を落としてしまっている感も否めない。
Getty Imagesボブ・ペイズリー(リヴァプール)
ボブ・ペイズリーはリヴァプールの監督をビル・シャンクリーから引き継いだが、厳しい仕事を与えられたといっても過言ではない。だが、ペイズリー政権はクラブの歴史の中でも最も輝かしい期間のひとつとなった。
ペイズリーは1939年から1954年までリヴァプールに在籍し253試合に出場。監督には1974年に就任し、クラブは国内とヨーロッパの両方を制覇した。6度のリーグタイトルと3度のリーグカップ、そして3度のヨーロピアン・カップを戴冠した。
Gettyアラン・シアラー(ニューカッスル)
アラン・シアラーが元所属クラブに監督として戻ってきていたことを忘れてしまっていても仕方がないだろう。2009年、クラブはプレミアリーグからの降格を避けるため、苦肉の策に打って出たのだ。
結局これは功を奏さず。シアラーは監督として8試合の指揮を務めたが、勝利することができたのはたった1試合。結局マグパイズはチャンピオンシップ(イングランド2部)に降格してしまった。
Gettyロベルト・ディ・マッテオ(チェルシー)
ロマン・アブラモビッチが現れる前の1996年から2002年までチェルシーでプレーしたロベルト・ディ・マッテオ。アンドレ・ビラス・ボアスが解任された後チェルシーの監督として戻ってきたのが2012年のことだ。
ディ・マッテオは元々ビラス・ボアスのアシスタントコーチであったため、初めは暫定監督として就任した。しかし、クラブをFAカップ優勝に導き、またアリアンツ・アレーナで衝撃の勝利を収めクラブを初のCLタイトルに導いた。
だが、クラブとの蜜月は長くは続かなかった。次のシーズンは正式監督となったがものの、長期の成績不振により11月に解任されてしまった。
Getty Imagesクラレンス・セードルフ(ミラン)
当時ボタフォゴで現役を続けていたセードルフは、2014年にミランの監督になるため、現役を引退。1月、正式に監督に就任した。
しかし、2013-14シーズンは8位で終了。ヨーロッパリーグ出場権すらも獲得できなかった。セードルフは結果的にわずか半年で古巣ミランの監督を解任されることに。奇しくも後任となったのは、元同僚のフィリッポ・インザーギであった。
Getty Imagesフィリッポ・インザーギ(ミラン)
一時代を築いたミランにおいて、重要な存在だったインザーギもまた、古巣ミランで監督業を行っている。
セードルフの後任として2014-15シーズンに就任したものの、成績不振によりわずか1年で解任が発表された。現在はセリエA・ベネヴェントの指揮官を務めている。
Gettyシモーネ・インザーギ(ラツィオ)
フィリッポ・インザーギの弟であるシモーネは、1999年から2010年の引退までラツィオでプレーした。
引退後は、ラツィオのアカデミーで指導者としてのキャリアをスタート。2016年にステファノ・ピオリの後任としてトップチーム指揮官に就任した。
2019-20シーズンは4位に入るなど、確かな手腕を発揮している。
Marco Luzzaniジェンナーロ・ガットゥーゾ(ミラン)
クラブのレジェンドが元所属クラブを率いたからといって必ず成功するとは限らない。ガットゥーゾが監督を務めていた期間がそれを雄弁に物語っている。
ガットゥーゾはミランの監督を2シーズン任されたが、シーズン開始から指揮を取った初めてのシーズンではセリエAで5位に終わり、1ポイント差でCL出場権を逃してしまった。それが災いしてクラブとの関係を解消するに至った。
(C)Getty Imagesユルゲン・クリンスマン(バイエルン)
代表監督としてのイメージが強いユルゲン・クリンスマンだが、2008年から09年にかけて現役でもプレーしたバイエルンで指導した経験がある。
当時、オットマー・ヒッツフェルト監督の後任としてバイエルンにやってきたが、成績不振を理由に2009年4月に解任された。
Getty Imagesグレアム・スーネス(リヴァプール)
グレアム・スーネスはケニー・ダルグリッシュに続いて、クラブの黄金期を支えた選手がレッズの監督を任される2度目のケースとなった。
しかしスーネスは、それまで監督を務めていたビル・シャンクリー、ボブ・ペイズリー、ダルグリッシュ達が築いた高い要求レベルに見合う活躍を見せられなかった。3年の監督期間で獲得できたのはFAカップの1度だけだった。
Gettyケビン・キーガン(ニューカッスル)
ケビン・キーガンがマグパイズでプレーしたのは1982年から1984年の2シーズン。ニューカッスルのレジェンドとは言えないだろう。
キーガンはプレミアリーグのタイトル争いでマンチェスター・ユナイテッドをもう少しのところまで追い詰め、「彼らを倒せるなんて素晴らしいことだ!素晴らしい!」と発言。だが結局彼の望みは叶わなかった。一方で、キーガンはクラブのレジェンド、アラン・シアラーの契約に関わった人物として知られている。移籍金は当時の最高額を記録している(1500万ポンド:約21億円)。
Getty Imagesアラン・パーデュー(クリスタル・パレス)
アラン・パーデューを何らかのレジェンドとして言及するのはいささか拡大解釈が過ぎるかもしれないが、イーグルスの選手として一時代を築いたのは間違いない。1990年のFAカップ準決勝ではリヴァプールを相手に決勝ゴールを決めたし、その前年にはクリスタル・パレスを1部リーグに昇格させる原動力になっている。
しかし、彼の監督としての記録はそれほど華々しくなかった。2015年1月に監督に就任したときにはかろうじて降格を免れたが、2016年12月までの36試合で6試合にしか勝つことができなかった。
Gettyティエリ・アンリ(モナコ)
ティエリ・アンリはアーセナルのレジェンドとして世界の知るところだが、選手としてのキャリアを切ったのはモナコである。139試合に出場して28ゴールを記録している。ベルギー代表チームでロベルト・マルティネスのアシスタントコーチを短期間務めたのち、アンリはレオナルド・ジャルディムの解任を受けてモナコの監督に就任した。
しかし、この元FWのリーグ・アンでの監督経験は難しいものだった。監督として持ちこたえられたのはたった3ヶ月間。順位が19位にまで落ち込んだのを理由に解任された。
Getty Images欧州サッカー特集
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