ボアテングのバルセロナ行き以上の驚きは?世界の“奇妙な”移籍16選

コメント()
Getty Images
バルセロナがサッスオーロから31歳のケビン・プリンス・ボアテングをレンタルで獲得したことは世界を驚かせた。『Goal』では16人の“奇妙な”移籍を取り上げる。

  1. Getty Images

    ベベ

    マンチェスター・ユナイテッドへの移籍は大きな意味を持たなかった。当時の指揮官、アレックス・ファーガソンはほとんどプレーを見ずアシスタントコーチのカルロス・クエイロスの助言に従い、獲得したことを認めているほどだ。

    そして、3度のレンタル、2度のプレミアリーグ出場のみで、2014年にベンフィカへと移籍。2010年夏に起きた移籍は奇妙なものとして記憶に残っている。

  2. Getty

    ケビン・プリンス・ボアテング

    バルセロナはセビージャへと去ったムニルの代役として新たなアタッカーを求めており、お金をかからない選手を必要としていた。そのため、レンタルで獲得したことは驚きではなかった。しかし、800万ユーロでの買い取りオプションを付け、ケビン・プリンス・ボアテングを連れてきたことは奇妙である。

    31歳となったボアテング自身、驚きの電話だったと明かし、それからサッスオーロに合意を求めたという。今シーズンは前半戦のみで4ゴールを記録している。

  3. Getty Images

    ソル・キャンベル

    2009年、当時リーグ2(イングランド4部)のノッツ・カウンティに高給で迎え入れられたことは驚きを持って伝えられた。ディレクターを務めていたスヴェン・ゴラン・エリクソンはイングランド代表でも指揮したキャンベルに重要な役割を求めていたという。

    しかし、キャンベルはわずか1試合に出場したのみで、高い給与も受け取ることはなかった。プレーできるコンディションになかったと、後に伝えられている。

  4. Getty Images

    クラウディオ・カニーヒア

    当時スコットランドのファンやジャーナリストは、ダンディー・ユナイテッドのイバノ・ボネッティはたんなる夢を語っていると信じていたが、2000年9月にそれは現実へと変わった。1990年ワールドカップのスターがスコットランドへとやってきたのである。

    実際、確かな足跡も残した。ダンディー・ユナイテッドで好調なプレーぶりを見せ、その後加わったレンジャーズでは5つのトロフィーを獲得している。

  5. Getty Images

    アンディ・キャロル

    フェルナンド・トーレスを当時のイギリス史上最高額の5000万ポンドで売却した後、その後釜としてルイス・スアレスとともに、およそ3500万ポンドでマージーサイドへとやって来た。

    ニューカッスルで素晴らしいシーズンを送っていたキャロルは、後に「去る準備はできていなかった。ショックだったね。ニューカッスルは僕のクラブで、まだ22歳だった」と語るなど、移籍を望んでいなかったことを明かしている。

    結局ケガにも悩まされ、在籍3年間でプレミアリーグ6ゴールと完全に期待はずれに終わった。リヴァプールの黒歴史の1つだ。

  6. Getty Images

    ボビー・チャールトン

    初めての監督業がプレストン・ノースエンドで上手くいかなかったため、選手としてのキャリア再開を決断した。当時、38歳であったことを考えれば、驚きであったが、アイルランドリーグでのプレーを選んだのはさらなる驚きだった。

    年齢にかかわらず、常にピッチでは存在感を放った。しかし、高い年俸をクラブは払うことができず、チャールトンは4試合をプレーしてすぐにイングランドへと戻った。

  7. Getty Images

    アリ・ディア

    1996年11月、サウサンプトンのグレアム・スーネス監督はジョージ・ウェアだと主張した未知の男からの電話を受け、どういうわけだか1か月の契約を結ぶことを決断した。リザーブリーグでデビューさせるはずだったが、アーセナル戦がピッチコンディション不良で延期となり、リーズ・ユナイテッドとのプレミアリーグでデビューを果たした。

    しかし、そのプレーぶりはひどいもので、マシュー・ル・ティシエは「氷上を駆けるバンビのようだった」と回顧する。わずか14日で契約は解除され、ディアはウェアと何の関係もなかったことが明らかにされた。

  8. Getty Images

    ジュリアン・フォベール

    トーマス・グラベセンも大概だったが、レアル・マドリー史上最も奇妙な移籍はフォベールである。2009年1月、冬の移籍市場閉幕間近でレアルはウェスト・ハムからサイドバックを獲得。大きな驚きと衝撃を世界に与えたのだった。

    買い取りオプションもあったが、それが取り沙汰されることはなかった。フォベールが最初の練習をいきなり欠席したためだ。後に寝坊だったことを認めている。

  9. Getty

    アッ=サーディー・アル=カッザーフィー

    明らかに政治的な働きにより、2003年にペルージャへと加わった。結局セリエAでは1試合の出場にとどまり、その後ウディネーゼへと移籍。そこでは11分間のみのプレータイムとなった。

  10. Getty

    ロベルト・マンチーニ

    スヴェン・ゴラン・エリクソンがラツィオを離れ、イングランドに渡るとき、オファーしたのがマンチーニだった。36歳のマンチーニはレスター・シティを選んで多くを驚かせた。10番を選び、上陸して地元ファンを熱狂させている。

    しかし、結局は長くとどまることはなかった。わずか5試合に出場したのみで、その後イタリアに戻り、監督業をスタートさせている。

  11. GettyImages

    カルロス・テベス&ハビエル・マスチェラーノ

    2005年にコリンチャンスがリーグタイトルを手にした翌年、世界でも最も注目されていた若手選手であるFWカルロス・テベスとMFハビエル・マスチェラーノが、ウェストハム移籍を選択したことは衝撃だった。

    移籍に際し不正の疑いも取り沙汰され、最終的に550万ポンドを支払うこととなったウェストハムだったが、アルゼンチン出身コンビの大活躍もあってシーズン最終日に降格を回避。そしてその夏、両者はそれぞれマンチェスター・ユナイテッド、リヴァプールへと引き抜かれた。

  12. Getty Images

    ロニー・オブライエン

    1999年、ミドルスブラを放出された後、スーパーマーケットで働く可能性もあったが、ユヴェントスへと突如フリー移籍し、大きな注目を集めた。

    かつてアイルランドで最高の選手にも選ばれたオブライエンだが、ユーヴェでは同じようにはいかなった。しかし、その後はMLSで大きな成功を収め、2004年から2007年まで4年連続でオールスターチームに選ばれた。

  13. アラン・シモンセン

    1982年、バルセロナがディエゴ・マラドーナを獲得したことはアルゼンチン中を熱狂させたが、シモンセンのバルセロナ加入はほとんど取り上げられなかった。

    結局、バルサで活躍することはなかったが、チャールトンへのレンタル移籍で解き放たれた。プレッシャーから解放され、16試合で9ゴールを奪取。しかし、クラブには経済的な余裕がなく、結局はデンマークへと戻ることとなっている。

  14. David Cannon/Getty

    ソクラテス

    サッカー史上最もセンセーショナルな復帰は、2004年に50歳で復帰したソクラテスだろう。ガーフォース・タウンへ復帰している。

    お金が理由ではなく、クラブのマネージャーと個人的な親交があったことが復帰の決め手となった。結局は途中出場での12分間のみだったが、イギリスで大きな注目を集め、影響を与えたことは事実だ。

  15. PROSHOTS

    ビクトール・バルデス

    栄光を築いたバルセロナからの退団を決心した後、彼のキャリアはうまくいかなくなってしまった。最終年に靭帯断裂の大ケガを負い、モナコが撤退。マンチェスター・ユナイテッドが手を差し伸べたが、指揮官ルイス・ファン・ハールの信頼をつかめず。移籍半年後の2016年1月、ベルギーのスタンダール・リエージュへとローンで放出された。

    その2年前まではカンプ・ノウで9万人のサポーターの前で堂々としたプレーを披露していたバルデスにとって、まさに転落だった。ベルギーカップは手にしたものの、若手選手のためにスペースを確保したいというクラブの方針に従い退団。ミドルズブラへと移籍している。

  16. Getty Images

    ジョナサン・ウッドゲート

    レアル・マドリーがサインした当時、主にイギリス中心に素晴らしい契約だという声が多く上がっていた。しかし完全にフィットすることはめったになかったため、今ではこの移籍を成功とする人はほとんどいないだろう。

    実際に、2004年にロス・ブランコスと契約した際にも負傷を抱えていた。クラブ側は徹底的なメディカルトリートメントを施していたことが予想されるが、ドクターは1年近く太ももの問題を特定できなかった。

    そして契約から1年後、いよいよリーガ初出場を果たしたウッドゲート。「『僕は戻ってきた。何ができるか見せよう』と思ったよ」と意気込んでいたが、デビュー戦は最悪なものに。アスレティック・ビルバオとの一戦では、オウンゴールを献上し、さらに退場処分に。寛容なサンティアゴ・ベルナベウのサポーターはスタンディングオベーションで送り出したが、2006年にイングランドへと戻っていく際、誰も不平を言わなかった。