Javi GalanAtletico de Madrid

5部リーグからアトレティコまで上り詰めたハビ・ガラン「21歳で初めてもらった給料は4000円だった」

今夏の移籍市場でセルタからアトレティコ・マドリーに加入したDFハビ・ガランは、自身がプロフットボーラーとしてつかんだ成功が想像だにしないものであったことを告白している。

現在28歳のハビ・ガランは10年前所属したバダホスではスペイン5〜4部でプレーし、コルドバBで4〜3部、コルドバトップで2部と徐々にカテゴリーを上げ、18-19シーズン冬加入のウエスカで1部到達(その翌年には再び2部でプレー……)。そうして2年前に加わったセルタで、ラ・リーガ屈指の左SBとなった苦労人だ。

2013-14シーズンにディエゴ・シメオネ監督率いるアトレティコがラ・リーガ優勝を果たしたとき、18歳のハビ・ガランはまだ地域リーグでプレーしていたが、それから10年後に赤白のユニフォームに袖を通しているなど選手本人は夢にも思っていなかったようだ。スペイン『アス』とのインタビューで次のように語っている。

以下に続く

「(アトレティコのラ・リーガ優勝は)あまりにも遠くの出来事だった。ここまでたどり着くなんてまったく想像していなかったし、地域リーグから彼らのことを見上げていただけだった。だけど毎シーズン、少しずつ階段を上っていき、今回のようなチャンスをつかんだんだよ」

アマチュア、セミプロ、プロの世界を駆け上がったハビ・ガランだけに、ありとあらゆる環境でプレーしてきたようだ。

「冷水のシャワーを浴びるのは日常茶飯事だったね(笑)。土や泥まみれのピッチでもプレーしてきたけど、でも努力を重ねたことでここまでたどり着けた。だから、うれしい気持ちでいっぱいだ」

また21歳の頃、最初に受け取った給料が300ユーロ(約4万7000円)だったという噂が事実かどうかを問われると、こう返した。

「いや(笑)。最初の給料はもっと低かった。僕たちは試合に勝つかどうかで金を受け取っていたんだ。明確な金額は覚えていないけど、たぶん25ユーロ(約4000円)だったと思う。それは地域リーグの話で、昇格後にはもう少し金額が増えたね」

「いくつものゼロがつくフットボールの世界で驚愕の数字だって? まあ、僕は実家で両親と一緒に住んでいたから……」

左サイドバックを本職とするハビ・ガランは、昨季セルタで72回のドリブル突破を記録。昨季の欧州リーグにおいて、彼よりドリブル突破を成功させたDFはレヴァークーゼンのジェレミー・フリンポン(88回)しか存在しない。

「僕は激しいプレーを信条としている。ボールを持ったときには、常にデュエルに勝利することを狙うんだ」

「現代フットボールではドリブラーが減っている? 確かに突っかかていく選手は少なくなった。自分の場合は、ウィングとしてプレーしていた過去の経験から、ドリブルを仕掛ける癖がついているのかもしれない」

「ストリートでプレーしていた賜物? そうだね(笑)。地元ではいつも公園でプレーしていたよ。石を置いてゴールにしていたね」

ハビ・ガランはキャリアの最初期、その顔だちからウェイン・ルーニーと呼ばれていた。

「子供の頃はさらに似ていたんだ! バダホスで、僕はルーニーとして知られていた。あのあだ名は最初、高校でつけられたんだっけな。だけど今、僕は自分自身の名前で覚えられることを希望しているよ」

アトレティコの入団会見でも口数少なかったハビ・ガランだが、話すのは苦手の様子。得意なのはやはり、ピッチの上で、そのプレーによって自分を物語ることのようだ。

「一人を前にして話すより何千人を前にしてプレーしていた方がずっといいね(笑)」

文・翻訳/江間慎一郎

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