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マンチェスター・Uのリヴァプール戦勝利を汚す悲劇のチャント…関係した者は糾弾されるべき

FAカップ史上最高の試合のひとつだった。イングランド・サッカーにおいて最も成功し、最も素晴らしいサポーターを誇るチーム同士の、真に記憶すべき試合だった。忘れられていた2人、アントニーとアマド・ディアロの復活と、エリック・テン・ハーグ監督が自身のチームの命はまだ尽きていないことを示した場であり、マンチェスター・ユナイテッドのサッカーを堪能すべき時間だった。

そんな、リヴァプール相手の4対3でのまさかの勝利は、「悲劇のチャント」に関わった、いくばくかのマンチェスター・Uファンの批判されるべき行動によって、汚されるところだった。試合中、1989年のFAカップ準決勝で97人のリヴァプール・ファンが亡くなった「ヒルズボロの悲劇」や、1985年のUEFAチャンピオンズカップ決勝リヴァプール対ユヴェントスで、39人のユヴェントスのサポーターが亡くなった「ヘイゼルの悲劇」を想起させるような歌が歌われたのだ。

18日(月)の朝、イギリスのメディアはユルゲン・クロップ監督のチームとの対戦でマンチェスター・Uが感動的な復活をとげたと大々的に報じたが、その中悲劇のチャントを歌ったとして、グレーター・マンチェスター警察がひとりの個人を逮捕したという残念なニュースがあった。同時にSNSでは、ひとりの成人男性が卑猥なジェスチャーとともに明らかに悲劇のチャントを歌っている動画が拡散された。

当然ながら、そのチャントはリヴァプールのファンにあれらの恐ろしい悲劇をめぐる悲しい記憶を呼び起こした。記憶すべき素晴らしい試合の後に恐るべき憎しみの動画を撮影したマンチェスター・Uのファンには、猛省を促すべきである。

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    悲劇を乗り越えよ

    悲劇のチャントは目新しいことではなく、17日(日)の事件が初めてというわけではない。リヴァプールのサポーター席も同罪で、1958年に8人のマンチェスター・Uの選手が亡くなった「ミュンヘンの悲劇」を想起させる雰囲気があった。2009年のイベントでファンが「ミュンヘン」を叫ぶ様子が撮影され、謝罪に追いこまれたことのある、圧力団体スピリット・オブ・シャンクリーなどの組織化されたサポーターたちも関係していた。

    マンチェスター・Uのファンは、悲劇のチャントでSNSで喧嘩を売られる度に、ミュンヘンのチャントの例を持ちだして対抗しがちであり、真剣な議論となるべきことが子どもじみた言い争いに貶められがちである。そろそろ、両方のサポーターたちが過去のチャントを超越し、次世代に向けて手本となる姿を示すべき時であろう。

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  • Liverpool fans Gary NevilleGetty

    「常に憎しみがある」

    「マンチェスター・Uとの試合をやろうとすると、ミュンヘンや(リヴァプールの監督だった故ビル・)シャンクリーのことを歌った恐ろしい歌が聞こえてくる。ああいう歌には敵意があって、常に憎しみがある」と、リヴァプールの元MFダニー・マーフィーは、フィル・マクナルティとジム・ホワイトの著者『レッド・オン・レッド:リヴァプールとマンチェスター・ユナイテッド、サッカー界で最も熾烈なライバル』の中で語っている。

    同著でガリー・ネヴィルもこう語った。「私の子ども時代はリヴァプールのせいで台無しにされ、リヴァプールによって食い尽くされた気がしている。リヴァプールはすべてに勝っていた。ひどくつらかった。嫌な気持ちになり、本来は考えるべきでないことを考えるようになった」

    マンチェスター・Uとリヴァプールの他にも、リーベル・プレートとボカ・ジュニアーズやバルセロナとレアル・マドリーなど、サッカー界の偉大なライバル関係は、互いに軽蔑しあうことで支えられている面もある。だが、サッカーが悲劇的な状況で亡くなった人々を嘲笑するような手段になってしまった今、じっくりと深く己を顧みる必要がある。

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    ミュンヘンの悲劇を尊ぶべし

    一部のリヴァプールのファンが過去にミュンヘンの悲劇を嘲笑したという事実を、ヒルズボロの悲劇のチャントを歌うことを正当化する手段として利用するのは、卑しいことこの上ない。当時最高のイングランドのサッカーチームの魂を奪った、あの恐ろしい事故の犠牲者を忘れてはならない。

    マンチェスター・Uのファンは毎年、ミュンヘンの悲劇の追悼式をオールド・トラッフォードの外で行っており、何百人ものサポーターが毎年ドイツに行き、事故現場での追悼式に参列している。今年のオールド・トラッフォードでの式にはGOALも参加したが、ファンやトップチームの選手たち、アカデミーの選手たちが犠牲者を悼む姿は感動的だった。

  • Liverpool Justice HillsboroughGetty

    ゲスの争い

    リヴァプールは毎年アンフィールドでヒルズボロの悲劇の犠牲者のために心にしみる追悼式を行っている。悲劇の犠牲者の遺族たちは、35年にわたって犠牲者の正義のために警察や政府などのイギリスの支配者層と戦ってきた。

    エヴァートン・ファンも含むリヴァプール市民は長年にわたり、あの悲劇の日のファンの行動について誤報し、批判する記事を書いた『ザ・サン』紙をボイコットし続けた。それにも関わらず、一部のマンチェスター・Uのファンは日曜に『サン紙は正しい、お前らは人殺しだ』を歌うことを決めたのだった。

    ヒルズボロの悲劇をめぐって戦っている人々のことが、日曜の別の非難すべきチャントの中でも歌われていた。いわく、「いつだって犠牲者、自分たちは絶対悪くない」と。ミュンヘンの悲劇を揶揄する歌を聞いたマンチェスター・Uのファンたちが激高するのは当然だが、だからといってモラルを欠いた最低の争いには、決して加わるべきではない。

    2023年のFAカップ決勝で、あるひとりのファンがヒルズボロの悲劇を揶揄するシャツを着ていたことに多くのサポーターが気分を害し、マンチェスター・Uはただちに、その人物を入場禁止処分にした。しかし、日曜のチャントは、ライバルに対し同じような低レベルの態度を取る人物がさらに多くいることを示したのであった。

  • Liverpool fans YNWAGetty Images

    癒えない心の傷

    ああしたチャントをサッカーにおけるライバル関係の重要な一部とみて、深刻に扱うべきではないと信じるファンもいることは確かだが、そうしたファンの意見は犠牲者の遺族にいつまでも悪影響を及ぼす。

    「私は、あらゆるファンにヒルズボロの悲劇やミュンヘンの悲劇のチャントを歌う権利がないことを人々に知らしめたいと思う」と、ヒルズボロの悲劇で兄のマイケルを失ったスティーブ・ケリーは『The Athletic』で語った。「リヴァプールのファンも含めて、ミュンヘンの悲劇のチャントを歌うファンたちは間違ったことを教えられている」

    ヒルズボロの悲劇に関する運動でサー・ボビー・チャールトンとサー・アレックス・ファーガソンから称賛されたケリーは、あれらの恐ろしいチャントを聞くのではないかという恐怖のために、サッカーを見ることが出来なくなった。「私はただ試合を見に行きたいだけだ。あんな歌は聞きたくない」と、彼は言った。「今や、私は試合を見に行ったりラジオを聞いたりテレビを見たりしない。あのチャントを聞くことになるからだ。私はサッカーへの愛を失った。ああいうチャントを歌う人たちがいるのは残念だ。大部分が、ヒルズボロの悲劇が起こったときには、まだ生まれてもいないのに」

  • Man Utd fansGetty

    テン・ハーグ監督を卑しめるファン

    ヒルズボロの悲劇のチャントを歌うマンチェスター・Uのファンにとって皮肉なことに、同じような悲劇は彼らにも容易に起こりうることだ。1970年代から1980年代にかけて、サッカーの観衆は手荒に扱われることが日常的で、スタジアムの安全でないエリアに押しこまれていた。

    1985年のヘイゼルの悲劇は二度と同じことが起こらないよう、警鐘を鳴らす出来事であるべきだったのに、ファンが悲惨な状況に置かれつづけた結果、4年後にヒルズボロの悲劇が起こったのだ。

    当時と比べ、現在はサッカーの試合を見に行くことはずっと安全になった。スタジアムの雰囲気も総じて和やかである。ところが、日曜の不快なチャントはさらなる進歩が必要であることを示したのだった。昨年のアンフィールドでの試合の前、マンチェスター・Uとリヴァプールはサポーターに向けて、悲劇のチャントを歌わないよう訴えた。

    「我々はみな、両チームの対戦におけるファンの熱意を歓迎する。しかし、越えてはいけない一線がある」と、昨年、エリック・テン・ハーグ監督は言った。「どんな悲劇に関しても、命が失われた事件を利用してマウントを取ることは許されない。もうやめるべき時だ。そんなことをすれば、クラブの評判だけでなく、もっと重要なことに、ファン自身の評判や偉大な街の評判を貶めることになる」

    残念なことに1年後、多くのファンがマンチェスター・Uの監督の言葉を無視した。テン・ハーグ監督や選手たちがサポーターたちを誇りに思う一方、一部のファンはそれに応える気がなかったのだ。リヴァプールは来月、プレミアリーグの試合で再びオールド・トラッフォードにやってくる。人々がピッチの上で展開する出来事のみを話題にし、スタンドでの嘆かわしいチャントについてこれ以上話すことのないようにすることは、チケットを持つすべての人々にかかっている。