取材・文=江間慎一郎
(C)Getty Images「最後に笑うのは、レアル・マドリーだ」――魔法の1週間で証明した歴史が作る“安定した劇的勝利”
CL・EL2025-26配信!
(C)Getty Images「マドリーはこう勝つ」
現在の日時は2024年4月20日、23時を少し過ぎたあたりだ。ここサンティアゴ・ベルナベウのピッチでは、レアル・マドリーの選手たちがスタジアムの応援の音頭を取るグラーダ・ファンス(ファンたちのスタンド)の人々と勝利の喜びを分かち合っている。
彼らはバルセロナを劇的逆転勝利で下して、2年ぶりのラ・リーガ優勝をほぼ手中に収めたばかり。スタジアム全体には、このクラブの代表的なチャントが響き渡った。
「アシ! アシ! アシ・ガナ・エル・マドリー(マドリーはこう勝つ!)」
「コモ・ノ・テ・ボイ・ア・ケレール(どうして愛さずにいられようか)? シ・フイステ・カンペオン・ウナ・イ・オトラ・ベス(何度となく欧州王者になったのならば)」
しかし、改めて考えてみても何て厳しいのだろう。世界の最たる常勝クラブであるマドリーのチャントは、勝つことを大前提としている。彼らを愛する理由のハードルは高い。リヴァプールの「人生一人ではない」や、ベティス の「たとえ負けようとも」といったものとはベクトルが逆方向だ。
それでも、マドリーはまた愛されるのだ。また勝って、その要求に応えたのだ。
マドリーとそのサポーターにとっては魔法の1週間だった。彼らはこのクラシコの4日前には、チャンピオンズリーグ準決勝進出をかけてマンチェスター・シティと死闘を繰り広げ、PK戦の末に勝利を果たしている。そのどちらのビッグマッチも、マドリーはなぜ自分たちがマドリーなのかを証明していた。すなわち、彼らは最後には勝っているのである。
(C)Getty Images最後に、笑う
マドリーはカメレオンのように各試合の各状況に適応して、最後には笑っている。シティとの2ndレグの体色変化は激しかった。12分にロドリゴのゴールで2戦合計スコアを4-3とした彼らは、それからの108分間、耐えて、耐えて、一度失点して、しかしPK戦まで4-4のまま耐え続けている(被シュート数は33本)。その時間の大半は得意とする速攻を仕掛ける糸口すら見つけられなかったが、しかしシティのポジショナルプレーがどれだけフィジカルとメンタルを消耗させて守備の判断ミスを促そうとも、マドリーは驚異的な集中力と組織力、団結心を維持して本当にわずかなスペース・隙間しか許さなかった。PK戦に突入すると、まるで感覚が麻痺しているかのように、マドリーが勝つとしか思えなかった。
その麻痺したような感覚はクラシコでも続き、実際マドリーは勝った。ラミン・ヤマルの突破とセットプレーを武器にしたバルセロナはキックオフから6分後にアンドレアス・クリステンセン、69分にフェルミン・ロペスと2度リードを奪ったものの、やはりカルロ・アンチェロッティのチームはどんな状況、逆境にも適応する。色を変える。シティとの激戦直後で疲弊しているのは間違いなかったが、ダニ・カルバハルに代わり出場したルーカス・バスケスがジョアン・カンセロの守備の無責任さを突いて、1-1とするPK獲得、2-2とするゴール、さらにはジュード・ベリンガムの91分弾をアシスト。後半は勝たなければ道がないバルセロナの焦りが見え、マドリーとバスケスは終了間際の10分間、その焦りにうまく乗じた。バルセロナとの勝ち点8差を維持できる2-2でも良い結果だったが、「バモス(行こうぜ)・レアル! アスタ・フィナル(最後まで)!」の「ル」で韻を踏むチャントが叫ばれるベルナベウの雰囲気も相まって、マドリーが勝つとしか思えなかった。
(C)Getty Images異次元の勝負強さ
マドリーが劇的な勝利を果たすチームであることは、歴史とその歴史を彩ってきたレジェンドが証明している。
チャンピオンズカップ5連覇(1955~1960年)を果たし、現在のマドリーの礎を築いたアルフレド・ディ・ステファノのチームも、その内3回の決勝を逆転で物にした。また1975-76シーズンのチャンピオンズカップ・ベスト16、ダービーカウンティー戦の1stレグ1-4敗戦からベルナベウでの2ndレグ5-1勝利、1984-85シーズンのUEFAカップ準決勝インテル戦の1stレグ0-2敗戦からベルナベルでの2ndレグ3-0勝利も、今なお語り草となっている逆転劇だ。インテル戦の1stレグ後、フアニートがあえてイタリア語で口にした「ベルナベウの90分は長いぞ」という言葉はあまりに有名。ベルナベウでは毎試合7分に「イジャ! イジャ! イジャ! フアニート・マラビージャ(素晴らしきフアニート)!」と、1992年に交通事故で亡くなった元スペイン代表FWの名が、逆転勝利、もっと言えばマドリディスモ(マドリー主義)の象徴として叫ばれている。
ディ・ステファノは「私たちは決してあきらめない。マドリーにはそういった精神があり、脈々と受け継がれてきた」とマドリー特有の精神性を強調し、また1965-66シーズンの欧州制覇に貢献した現名誉会長のピッリは「マドリーは素晴らしい質の選手たちが縦に速く、効率よくゴールを奪う。フットボールが何かと問われればボールを枠に入れることだと答えよう。結局はゴールを決めればいい。それ以上のことは何もないんだ」とマドリーの勝利の作法を語っていた。ロドリゴがシティ戦後、「チャンピオンズは値するかどうかじゃない。ボールを枠に入れるかなんだ」と話していたのは、彼らのDNAが何ら変わっていないことを感じさせる。
しかし……やはり感覚が麻痺しているんじゃないかと疑ってしまう。ディ・ステファノ、ピッリ、またはフアニートのチームが、当時のサポーターにどんな印象を与えていたかを実感することは難しいが、現在のマドリーは劇的勝利を劇的と思わせないほど土壇場や危機的状況での安心・安定感がある。それはきっと、セルヒオ・ラモスの92分48秒弾から優勝を手繰り寄せた2013-14シーズンの優勝を皮切りにして、ここ10年で5回のチャンピオンズ制覇を果たした彼らにだけ宿り、伝承されている、とびっきりの勝者のメンタリティーなのだろう。
ベスト16でPSG、準々決勝でチェルシー、準決勝でシティをすべて超劇的に打ち破った、2年前のチャンピオンズ優勝の延長線上にある現在のマドリーは、ほかのチームでは考えられないほどの深度で勝利の可能性を信じている。彼らは逆境にあっても、決して動じない。プレースタイルにこだわらず、カメレオンのように各状況に適応し、ヴィニシウス・ジュニオールやロドリゴやベリンガムら選ばれし選手たちのクオリティーを生かした超効果的なプレーでゴールを陥れる(……または、どれだけ攻め込まれてもヒビの入らない団結した守備を見せる)。
このマドリーの異次元の勝負強さを、トニ・クロースが自身のパスのような的確さで表現した。
「僕たちはたとえビハインドを負っていても、いつだって戻ってくる。相手はそのことを知っている。試合終了のホイッスルが吹かれるまで、僕たちはずっと勝負し続けるのさ。14回目のチャンピオンズ優勝を果たしたシーズンでは、そのことを感じられたはずだ。強力なチームを相手に自分たちが負けているとき、一つのチャンスや一つのゴールが試合の流れを変える。そうして相手は負けるかもしれないと考え始めるんだ。実際、僕たちは以前にもそうしてきたわけだからね」
「マドリーはスコアに関係なく自分たちのクオリティーを信じ続けられる。これには心理的な面もあって、何度も同じ体験を繰り返せば自信を深めることができ、チーム全体が不可能が可能だと信じられるようになるんだ。耐えてさえいれば、試合はまた新しいチャンスをくれるんだってね。チームメートも同じメンタリティーを持っていて、まったくあきらめることがない。自分たちにはできると分かっているんだよ。だから僕たちは、絶対に試合をあきらめない」
(C)Getty Images安定した劇的勝利
攻められ続けたシティ戦でも2度ビハインドを負ったクラシコでも、マドリーの選手たちは動揺した表情を決して見せなかった。そしてクラシコでは引き分けで十分なのに、最後には勝ちに行った。バスケスのグラウンダーのクロスをホセルが冷静にスルーして、ファーにしっかりと、抜け目なく詰めていたベリンガムがボールを押し込んでいる。
あれは土壇場に決まる執念のゴールといった類ではなく、まるで前半の内に決まるようなクレバーなゴールであり、今のマドリーの唯一無二の強さを表しているかのようだった。マドリーの劇的勝利には、あまりにも安定感がある。ベリンガムが「ここには、落ち着き、というものが存在している。マドリーにいると失点しても負ける気がしないんだ」と語る通りに。今回のクラシコで先発し、曇らぬ輝きを見せたルカ・モドリッチが「偶然じゃないさ。これがレアル・マドリーなんだ」と語る通りに。
トップ・オブ・トップの選手たちが、経験則もあってチーム(彼らをまとめ上げているアンチェロッティの功績は大きい)と自分の可能性を最後まで信じ切ることができれば……そんなのは強いに決まっている。彼らは終了のホイッスルが吹かれるまで、最後のワンタッチにまで質を込め、そしてそのタッチの質が極上であればゴールが決まると信じている。それはピッチを隅から隅まで使ってボールを保持し、ビルドアップのパス1本目からの過程すべてを“質”と捉えるクライフ派とはまた別の考え方。グアルディオラが「これ以上何をすべきか分からない」、チャビが「私たちは彼らを上回っていた。最高に不当だよ」と語ったのは、マドリーにとって最大級の賛辞だ。彼らにとって、泥まみれになった白いユニフォームで決めるゴール以上の“質”、美しいプレー、真っ当な勝利など存在しないのだから。
現在は2024年4月21日、0時30分を少し過ぎたあたり。ベルナベウからの帰り道、スタジアム近くのバルでは大勢のマドリーのサポーターが手を上げながら叫び続けていた。「アシ! アシ! アシ・ガナ・エル・マドリー!」と。「コモ・ノ・テ・ボイ・ア・ケレール」と。要求が厳しいことで知られる彼らが最も嫌う行為……それは自分たちと勝利を分かつ壁を叩くのを止めることにほかならない。それは今現在の、最後まで強いマドリーとは、まったくの無縁である。
だから彼らの声は枯れていたのだ。枯れてもなお、マドリーの勝利とその勝ち方を誇り、愛を誓い続けていたのである。
