Jorthy Mokio NXGN GFXGetty/GOAL

ジョルシー・モキオ:バルセロナを断り、デ・リフトやハトの足跡をたどるアヤックスの若きスター候補

オランダでは「デ・トゥーコムスト」(「未来」)と呼ばれ広く知られているアヤックスのアカデミーは、1900年の設立以来、地球最高の選手を数多く輩出してきた歴史を誇る。ヨハン・クライフ、マルコ・ファン・バステン、フランク・ライカールト、デニス・ベルカンプといった伝説の選手から、クリスティアン・エリクセン、フレンキー・デ・ヨング、マタイス・デ・リフトといった現代のスターまで、アヤックスは自分たちで育成した選手を信頼し続け、オランダサッカーで最も成功したクラブへと成長してきた。

これらの伝統は現在も相変わらず強く、ヨレル・ハトがヨーロッパの他のエリートクラブから注目を浴びている。デ・リフト同様、ハトはその若さにもかかわらずアヤックスの守備の要として定着しており、報道によるとチェルシーとリヴァプールがこの選手をプレミアリーグへ連れてこようとしているが、以前はアーセナルとの関係も取りざたされていた。

幸いなことに、アヤックスは他国から世代交代をもたらす選手を発掘することにも長けており、ここ数年だけでもズラタン・イブラヒモヴィッチ、ヤリ・リトマネン、ルイス・スアレス、ドゥシャン・タディッチなど、数多くの選手がクラブの殿堂入りを果たしている。同様に、ハトが退団しても、すでに17歳のジョルシー・モキオがその適切な後継者として控えている。モキオはヨハン・クライフ・アレーナでの最初のフルシーズンで、リザーブチームを飛び越えてアヤックスの先発イレブンに定着しベルギー代表チームにも選出されるなど、次々に記録を更新してきた。

かくしてアヤックスが過去の名選手を彷彿とさせる新たな才能を発掘したことは明らかである。問題は、モキオが、なぜこれほど短期間でトップレベルに到達できたのか、だ。GOALが以下で詳しく分析しよう。

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    すべての始まり

    モキオは、ベルギー北西部の都市ヘントでコンゴ出身の両親のもとに生まれ、3人の姉妹と2人の兄弟の真ん中として育った。モキオが2月にアヤックス・ライフ紙インタビューで語ったところによると、母親は、モキオがまだとても幼い頃からサッカーの天賦の才があることに気づいていたという。「母親によると、僕はまだ歩けないうちから、もう何でもかんでも蹴とばしていたって」。

    後に蹴とばすものが日用品からボールに代わったが、モキオは芝生ではなくアスファルトの上でサッカーをするようになり、貴重な技術スキルを習得する一方で、厳しい精神力を養った。「ストリートサッカーは多くのことを教えてくれる。技術を高め、パスの出し方、受け取り方を学べるんだ」と、モキオは言う。「時には友達や相手チームの選手に向かって怒鳴ったり、喧嘩になったりすることもある。とにかく、いつも100%の力を出していた。僕は早くから年上の少年たちとプレーしていた」。

    モキオは、背番号10のポジションが好きになり、「自分はヤヤ・トゥーレだと想像していた」と言う。アマチュアのKFCメレルベーケで、そのポジションでプレーするようになったが、12歳の時、ヘントから練習生としての誘いを受けた時、ヘントは彼を攻撃の選手ではなくDFとして評価し、その面を磨くよう指導した。

    この判断が正しかったことは証明され、モキオは2023年10月、クラブの歴史に名を刻んだ。UEFAユースリーグのバーゼル戦でデビューを果たし、ヘント史上の最年少選手となったのだ。翌年3月、16歳29日でベルギー・プロリーグのスタンダール・リエージュ戦(5-1)でトップデビューを果たし、そのシーズンはトップチームの4試合に出場した。

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  • 大躍進

    2024年夏までに、モキオはU15、U16、U17のベルギー代表としてプレーし、ヨーロッパのトップクラブから注目を浴びるようになった。ヘントはモキオの契約更新を試みたが、バルセロナ、バイエルン・ミュンヘン、PSV、アヤックスからのオファーを受け、最終的にこの若き才能を失うことを受け入れたのだった。

    これら4つのクラブはすべてモキオへのオファーを提示したと報じられたが、『ムンド・デポルティーボ』紙によると、バルセロナはスポーツ・ディレクターのデコを派遣し、モキオの家族や代理人と直接話をしたという。しかし最終的に、モキオは父親の助言を受けてバルセロナを断り、アヤックスへの移籍を選択した。

    「バルセロナは、ラミン・ヤマルやパウ・クバルシと同じようにすると言った」と、父親のティエリー・モキオは『ヘット・ベランク・ファン・リンブルグ』紙でのインタビューで語っている。「バルサのプレッシャーは別次元だ。もしうまくいかなければ、例えばオサスナに送られて、終わってしまう。私から見れば、大きな一歩すぎた」。

    2024年6月24日、モキオはアヤックスにフリー移籍で加入し、3年契約を結んだ。バルサとの競争を制したことはオランダのクラブにとって大きな勝利であり、ほどなくモキオはフランチェスコ・ファリオーリ監督率いるトップチームでのデビューを果たすこととなる。

    モキオは8月末、UEFAヨーロッパリーグのプレーオフでのヤギエロニア・ビャウィスト戦に途中出場し、アヤックス史上最年少の外国人出場選手となった。「最初は少し緊張したけど、実際のところ、うまくいった」と、モキオは試合終了後、謙虚な様子で語った。

    翌月、彼は再び緊張をコントロールしなければならなくなった。U-21ベルギー代表に初招集されたのである。モキオは3-1で勝利したカザフスタン戦で自分でも驚くような印象的なプレーをしただけでなく、得点まで決め、U-21欧州選手権の予選でベルギー代表としてロメル・ルカクに次ぐ2番目に若い得点者となった。

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    その後

    モキオは2024年、もう一度だけアヤックスのトップチームで出場する機会を得たが、経験を積ませるべくリザーブチームでプレーさせることが決まった。彼は、この決断を成熟した態度で受け止め、このベルギーのエースはヨング・アヤックスで2部リーグの17試合に出場し、2得点を記録。さらに守備的MFとしての役割も果たすなど、多才なプレーを披露した。

    年が明ける頃、モキオは再びファリオーリ監督のプランに食い込む準備が整っていた。アヤックスの監督は、モキオに、16歳346日でエールディヴィジにデビューさせたが、これは、1992年に同クラブの最年少出場選手としての記録を樹立したクラレンス・セードルフと3日しか違わなかった。

    4日後、モキオは別の記録を樹立したが、今回はヨーロッパ全体に関わる記録だった。アヤックスが2-0で勝利した、ヨーロッパリーグの決勝トーナメントのプレーオフのユニオン・サン=ジロワーズ戦で、右足で完璧なスイングを放ち、ボックスの端から驚異的なボレーシュートを決めたのである。まったくもって見事なゴールであり、モキオはヨーロッパリーグの決勝トーナメントで得点した最年少選手となったのだった。しかし、彼の総合的なパフォーマンスはさらに驚くべきものであり、オランダのジャーナリスト、マイク・ヴェルヴェイは『テレグラーフ』紙で次のように述べている。「モキオはアヤックスのトップチームで長年プレーしてきたかのようにプレーし、時にはクライフのようにチームを操っているかのような場面もあった」。

    アヤックスの選手にとってこれ以上の賛辞はない。実際、モキオはその夜受けた広範囲な称賛から自信を得て、シーズン終了までに全公式戦でさらに12試合に出場。アヤックスはエールディビジの優勝には惜しくも届かなかったものの、ヨーロッパリーグでベスト16進出を果たした。

    モキオは3月にリュディ・ガルシア監督率いるベルギー代表に初めて招集され、1-2で敗れたネーションズリーグのプレーオフのウクライナ戦の最後の2分間に出場し、フル代表デビューを飾った。ガルシア監督は6月の2026年ワールドカップ予選の初戦にもモキオを招集し、この1年はヘントの期待の星だったモキオにとって、とんでもない1年となった。

  • 最大の強み

    モキオは、サイドバックとMFの両方をこなせる万能な選手だが、本質的には3バックの守備ラインでの左サイドのセンターバックが最も適している。183cmの身長を誇るこの若者は、身体的にはトップレベルでも十分に通用する強さを持ち、ボールが足元にある時にも非常に落ち着いてプレーすることが可能で、激しいプレッシャーを受けていても常にラインを突破する機会をうかがっている。

    ピッチのどこにいても、モキオはボールを正確にコントロールし、チャンスの時にはアタッキングサードで全力でプレーする。その最高の例は、4月6日のエールディヴィジのアヤックス対NAC戦で、モキオは自陣から40ヤード(36.58m)の完璧なクロスをチームメイトに送った後、ボックス内まで全力疾走し、ケネス・テイラーの低いクロスをゴールネットに押し込んだのだった。

    こうした能力を活かせば、モキオにはMFとして成長する可能性があるが、守備こそ彼が最も能力を持っている分野である。17歳のモキオは空中戦に強く、デュエルでほとんど負けることがなく、すでに試合を読む能力も高い。さらに、ターンする時のスピードが速く、それによってアヤックスはラインを高く敷いてプレーすることが出来るようになるだろう。これらの要素を考慮すると、バルセロナがハンジ・フリック監督のシステムにモキオを組み込みたいと熱望したのも頷けるというものだ。

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    伸びしろ

    モキオは成長するためのスケジュールを大幅に前倒しで進めているが、それでも1つ2つは弱点がある。特に戦術の判断能力を磨く必要があるが、これは、若い選手に共通する課題であり、自分の実力を示そうとする焦りが主な原因である。

    アヤックスが体制を崩す原因のひとつは、モキオが相手選手にプレッシャーをかけるタイミングが早すぎるためである。次のレベルに上がるためには、もっと規律に従う必要があるだろう。特に、もしアヤックスよりも大きなクラブに移籍するとなれば、そのようなミスは敵となる複数の世界最高のチームの容赦ない餌食となるだろう。

    そうした衝動性は、モキオが前線に上がる際にも現れる。技術的には問題なく、両足とも器用だが、判断力に不安定な傾向があるのだ。だが、そうした点は経験と共に自然に改善されるものであり、モキオには、急速な成長を続けるために必要な成熟した判断力があるようにも見える。

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    グヴァルディオルの再来か

    モキオは、U-21フランス代表のカステロ・ルケバやアーセナルのデクラン・ライスと最もよく比較されるが、これは非常に納得のいく比較である。ルケバと同じように多才で、ライスのように中盤を突破したがる傾向があるのだ。しかし、より正確に似ているのは、2024-25シーズンのマンチェスター・シティのDFヨシュコ・グヴァルディオルである。

    マンチェスター・Cはチームとしては大きな衰退を経験したが、グヴァルディオルはセンターと左サイドの役割を自在に切り替えながら、守備の要として輝いていた。グヴァルディオルは守備と攻撃の両面でトップクラスの選手であり、モキオも同様の素質を備えているが、現時点ではそこまで完成されていない。

    危険を遮断する能力や相手をかわすドリブル、鋭いパスを出せるという点でグヴァルディオルに匹敵するの能力があり、方向転換の速さも共通している。モキオがクロアチア代表DFと同じキャリアの頂点に到達するかはまだわからないが、ポテンシャルは否定できない。

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    今後への期待

    2月、マンチェスター・シティ、チェルシー、アーセナルがアヤックスでプレーするモキオを視察するためにスカウトを派遣したとの報道があった。バイエルンもこの若きDFとの関係が取りざたされているが、どうやら少なくとももう1年はアムステルダムに残る可能性が高いようである。

    『Voetbal International』によると、アヤックスはモキオと2028年までの契約延長に関する基本合意に達したという。このベルギー代表選手をさらに3シーズン保持することは、彼が現在のペースを維持した場合には不可能かもしれないが、この新しい契約により、アヤックスは最新の宝石であるモキオに関して、多額の移籍金を要求できるようになったのだ。

    現在、モキオは理想的な環境にいる。将来のスター選手を輩出する実績が豊富なクラブから急いで移籍する必要はない。アヤックスはチャンピオンズリーグにも復帰しており、プレシーズンでヨン・ハイティンハ新監督にいい印象を残せば、最高の舞台で存在感を示すチャンスが巡ってくるだろう。

    2月に18歳になる前に、ハトの隣でアヤックスの先発メンバーの座を確立することが、モキオの第一優先事項である。もしそれが実現すれば、2026年の夏の移籍市場でモキオ獲得競争が勃発する可能性は十分にある。

    ヘントのテクニカル・ディレクター、アルナル・ヴィザルソンは、モキオのヘントでのデビューから1年余り経った昨年、『ヘット・ニウスブラッド』紙インタビューでモキオのことを「驚異的なサッカー選手」と称賛した。ベルギー代表とアヤックスのファンは、もうすでにその評価に同意するだろうし、世界的に知られるようになるのも、もう間もなくだろう。