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不可能な仕事?チャビまでが去る今、バルセロナの監督になりたいと思う優秀な指揮官はいるのか

バルセロナの選手たちがサイドラインに向かって歩き始めた後、ペップ・グアルディオラは踵を返してセンターサークルに向かった。最後にもう一度カンプ・ノウを見回すと、ブラウグラナの熱心なファンたちに投げキッスをし、カタルーニャのクラブの監督として最後の別れの手を振った。涙は少なく、安堵の表情を浮かべた伝説の監督は、地面を踏みしめるように歩きながらピッチを去った。

2012 年、グアルディオラがスタジアムを去った後も長い間彼の名のチャントを歌い続けた10万人のクレたちは、もう二度とこんな別れをすることはないと思っていたかもしれない。だが、その後の事態がどれほど悪くなるか、彼らはまったくわかっていなかった。グアルディオラが去った後、バルサが雇った監督は12年で8人。ペップがプロとして構築したブラウグラナとの信頼と同じような関係を築けた監督はひとりもいない。

確かにタイトルはいくつも獲得した。ラ・リーガも5度優勝した。記録破りのシーズンも何度もあった。だが、指揮を執った監督の誰も、グアルディオラのようにバルサの文化を真に体現した者はいない。その一方でクラブそのものはますます機能不全に陥り、不安定この上なくなった挙句に、ほんの2年前には破産寸前に陥った。

そして、今季終了後にチャビ監督が去ることとなり、バルサは再びリセットされることになる。まもなく新たなアイディアを持った新監督が就任することだろう。ファンの期待とともにまっさらなスタートが切られることが理想だ。だがチャビの後任はほぼ間違いなく、それまでの監督の多くを悩ませたのと同じ問題に直面することになるだろう。

バルセロナの監督になることは、不可能な仕事になりつつある。世界的なビッグクラブではあるが、賢明な指揮官であればその任につく者はいないかもしれない。

  • Messi GuardiolaGetty Images

    グアルディオラの亡霊

    すべてはグアルディオラにさかのぼる。彼がバルサの監督だった頃の状況は完璧とは程遠かった。確かに、監督の自由になる才能あふれる選手は大勢いた。あるアルゼンチン代表のフォワードなど、その最たるものだ。だが、チームはしばらく前から苦しんでいた。ロナウジーニョ、デコ、サミュエル・エトーの報酬が膨大すぎ、世界最高の将来性豊かな若者たちの活躍を阻んでいた。グアルディオラの最初の仕事はロナウジーニョとデコを構想外とすることで、エトーはシーズンのほとんどをベンチで過ごすこととなった。

    当時、それは不可解に思われていた。ロナウジーニョがバロンドールを獲得してからそれほど時間が経っていなかったし、デコはクラブのレジェンドとしての地位を獲得しつつあった。安定が必要とされ、グアルディオラの最初の仕事は主力の2人の派閥の力を削ぐことであった。2人の代わりに、未知数であったラ・マシアの若手2人を招集した。ペドロとセルヒオ・ブスケツである。さらにペップはマンチェスター・ユナイテッドのトップチームでくすぶっていたセンターバックのジェラール・ピケを加入させた。

    ご存じのとおり、こうした変革は大成功を収めた。グアルディオラ監督の1シーズン目でバルサは3冠を達成し、ペップはチャンピオンズリーグを制した史上最年少監督となった。その後の3シーズンも同じように素晴らしく、ブラウグラナでの時間を終えるまでに、少年時代にバルサのファンだった男は3度のラ・リーガ制覇、2度のチャンピオンズリーグ優勝を含む7つもの主要タイトルを獲得したのだった。

    当時、バルサにはフットボールがあった。後方からプレーをつないでいくティキ・タカ、偽9番であるリオネル・メッシ、誰にも触れることすらできないブスケツとチャビとアンドレス・イニエスタのトリオ。誰にも真似できないレガシーである。

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  • Luis Enrique BarcelonaGetty

    ペップ以後

    これまで、多くの者がそれにトライしようとしてきた。グアルディオラのアシスタント・コーチだったティト・ビラノバは、前任者のメソッドに最も馴染んだ人物として、当然ながら後任の監督となった。バルサは早々に彼の就任を公表し、ビラノバはグアルディオラの退任が発表されたのと同じ記者会見で次期監督として発表された。

    ラ・マシア時代にメッシに大きな役割を託したビラノバは、U16チームのレギュラーに抜擢した最初の監督らしい手腕を発揮した。事態はスムーズに進み、ビラノバの最初のシーズンにバルサは勝ち点100を積みあげた。レアル・マドリーに勝ち点差15を付けてラ・リーガ優勝を果たしたのである。

    ところが彼の物語は悲劇で終わった。ビラノバは在任中に深刻な健康問題に見舞われて2013年にクラブを去り、2014年4月に急逝したのである。

    バルサの困難が始まったのはその時からである。代わりとなるグアルディオラの弟子はおらず、バルセロナはあらゆる方向に目を向けた。ビラノバの後任はタタ・マルティーノだったが、ラ・リーガを2位で終え、タイトルをひとつもとれずに1年足らずで退任する。その次はルイス・エンリケ。監督として大いに成功し、「MSN」と称された攻撃トリオはブラウグラナを2014-15シーズンの3冠に導いた。しかしながら、バルサの元MFはその役割にまったく固執することなく、3シーズン後にひっそりとチームを去った。

    アスレティック・クルブからエルネスト・バルベルデが引き抜かれ、3年間で2度ラ・リーガ制覇を果たした。だが、その在任期間は常に、2019年のチャンピオンズリーグ準決勝セカンドレグでリヴァプールに0-4で負けたことと結びつけられ、2020年1月に何の躊躇もなくバルベルデを解任した。

    それ以後、バルサは3人の監督を雇った。キケ・セティエン、ロナルド・クーマン、そしてチャビである。この4年間で3つの栄冠を獲得したが、近年の記憶では最も実りの少ない結果である。

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    容赦ないプレッシャー

    1月29日、グアルディオラは退任を発表したチャビに対して共感の意を示した。「私の経験上、イングランドとスペインのプレッシャーを比較することはできない。1000倍もタフだ。週に6度のプレスカンファレンスがあり、たくさんの試合がある。バルセロナで感じられるプレッシャーは他のクラブとは比較にならない」と、記者会見で語ったのだ。

    近年のバルセロナの監督はみな、同じプレッシャーを感じてきた。グアルディオラも退任時にはもはや仕事を楽しめていなかったと認めている。彼とバルサは「互いを傷つけ合っていた」と懸念しており、2010-11シーズンの最後の1カ月での、現在では有名な話となっているクラシコの4試合は「困難な18日間」だったと認めた。毎日ワクワクしながら監督の仕事に向かっていたとしたら出てこない言葉だ。

    ルイス・エンリケも辞任時のこの感情について、同意している。「休める時間、オフの時間はほとんどなかった。今シーズン終盤、私には休息が必要だった」。

    一方、チャビも同じことを言っている。「残酷で不愉快なことだ。毎日、自分は価値のない人間だと思わされる。ペップから聞いていて、バルベルデからも聞いていて、ルイス・エンリケが苦しむのを私は見ていた…。要求されることに苦しんでいる。楽しめない…。一瞬一瞬、ぎりぎりの人生を送っている。残酷なことだ」。

    あらゆる人から期待される。確かに、その期待は過去の成功から来ているものでもある。124年の歴史において77回も栄冠を獲得してきたクラブなのだ。クラブとクラブが存在するコミュニティには深い絆があり、バルサのエンブレムはスペインではなくバルセロナ市の旗の色を基にしている。クレと呼ばれる多くのファンは、純粋な意味ではスペイン人ではなくカタルーニャ人だという独立心の強い人々なのだ。サッカーのクラブは都市を代表するものだが、バルセロナは独自のアイデンティティを有している。

    さらに、レアル・マドリーとの問題がある。バルセロナとマドリーの対立には根深いものがあり、政治的な対立がスポーツにも派生している。独自の基準にかなうだけでなく、最大の敵の成功と比較される――それも世界で最も成功しているクラブのひとつの成功と比較される――場合、どうすれば仕事で生き残れるだろうか。

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    メッシの影

    昨年、バルセロナが2019年以来のラ・リーガ制覇まであと一歩のところまで来た時も、チャビはピッチ上での成功についてほとんど語らなかった。自分自身の成功に酔いしれる余地が与えられてしかるべき監督ながら、自身の戦術の機微について、圧倒的な守備や再活性した攻撃陣のことを質問されることはほとんどなく、メッシについての質問ばかりを浴びせられたのだ。

    「メッシに戻ってほしいか?」、「メッシはどこでプレーするだろう?」、「バルサはメッシに払うカネがあるか?」、「メッシが戻ったらチームメイトたちはどんな反応をするだろうか?」

    メッシについて質問されるたびに、チャビはメッシにクラブに戻ってほしいとほのめかすような発言をし、ブラウグラナはメッシのことを考える責任があるとも主張した。

    ご存じのとおり、そんなことは起こらなかった。バルサはメッシが登録されることを保証できず、経済的な不確かさのせいで、バロンドール受賞者の足はインテル・マイアミに向かった。だが、その影は残った。

    メッシがバルサを去ったのは、まったく本人の意に反したものだった。何年もにわたる財政管理の失敗により、バルサにはメッシの高額な報酬を支払う力がなかったのだ。ある意味、双方に責任がある。メッシはしばらく前から舞台裏で契約や移籍についての意向を示しており、バルサは彼のすべての要求に応えていた。メッシはクラブの財政的な力が無限ではないことを認識すべきだったのだ。

    さらに、両当事者とも、まさかあれほど突然な別れをするとは思っていなかった。あれ以降のバルサはメッシがいなくなった重みを、経済的にも戦術的にも実感することとなる。依然としてメッシ時代の残像が残り、どうしても払いのけられないでいるのだ。

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    変化の兆しなし

    会員所有のクラブであるバルサは、ヨーロッパのエリートクラブの中で特異な存在である。クラブのファンがクラブの会長を選び、そこには独特の問題が現れる。会長は6年に1度選ばれることになっているが、在任期間は公式に決まっているわけではない。会長は常に不信任投票に直面する可能性があり、本質的に不安定な地位であるため、しばしば、選んでくれたファンに迎合する無謀な決定を下さざるを得ないことがある。

    ジョアン・ラポルタ会長が就任したのもそうした傾向の一環だった。現在2期目だが、率直な発言で知られる元カタルーニャ議会議員は、いずれの任期においてもカンプ・ノウ界隈で権力をふるうことにいささかの躊躇も見せていない。2003年、冷酷にしておそらくは考えなしにロナウジーニョとの契約を決意した。2021年の移籍に関する予算については、ロナルド・クーマン元監督を大っぴらに否定もした。昨年はラ・リーガのハビエル・テバス会長に公然と反抗し、自身が渦中の中心人物であるレフェリー買収疑惑に関してバルサを熱烈に擁護している。

    ラポルタ会長はチャビの後任探しに関して、バルサが次にどこに向かうのか指示すべき人物である。彼にはその仕事に就く資格がある。2008年、グアルディオラに監督の座を託したのはラポルタ会長であった。ラ・マシア出身のグアルディオラが監督として大いなる成功を果たしていた間、適材を適所に配置していったのだ。だが、ラポルタ会長は心配になるほど性急な性格で、バルサというブランドに執着しすぎて冷静な判断ができないでいる可能性がある。

    そこに問題があるのだ。ラポルタ会長は、バルサが振り払うべき古いやり方をかたくなに守っているのである。バルサはレガシーに執着し、過去の成功に頼りすぎるあまり、管理不可能なクラブである。チャビもまた、将来のための解決策を発見するために過去を振り返るクラブの生ける見本であった。その精神性が変わらないかぎり、この不可能な仕事はまたしても別の監督の才能を奪う可能性がある。

  • Xavi Barcelona 2023-24Getty

    毒入りの杯

    チャビの後任が誰になるかは待ち遠しいところだが、問わざるをえない疑問がある。現在のバルセロナを率いて成功を収められる人物が果たしているのだろうか。クラブのレガシーを大切にするのは大事だが、2024年以降、バルセロナの監督になるという現実に対処することは別の問題だ。

    バルサはピッチ外の問題にも直面している。2022年、低迷するチームを活性化させるべく、バルサは大々的に宣伝して財政的措置を講じ、結果としてラ・リーガ優勝を果たしたが、長期的展望はお粗末なままだ。レヴァンドフスキのようなベテラン選手と依然として重い契約を結んでいる一方、若手の中にはトップチームとの契約を結べない選手たちもいる。

    財政的措置を講じる機会も減ってきている。昨シーズン、テバス会長はラポルタ会長の名高い経済的テコ入れに関する規制を強化し、バルサは貴重な財産を売る以外の方法がなくなった。そのせいでこの夏、ロナルド・アラウホはバイエルン・ミュンヘンに売られる可能性がある。資金を稼ぐためにガビかペドリを移籍させなければならなくなったとしても、大きな驚きにはならないかもしれない。

    1複数のスター選手が去っていった場合、バルサのチームは急激にやせ細るだろう。才能ある若手は大勢いると言っても、全盛期を誇るスター選手はほとんどいない。強化のために使える資金はなく、監督を引き受けることは、本来あるべき姿よりも魅力的でない仕事に見えてくる。バルセロナにおける成功がただトロフィーの数で示されるものだとするなら、監督を引き受ける勇気のある人物がいるだろうか。

    次の監督は、今までになく重要な役割を背負うことになる。だが今のところ、ずっと崩壊の危機に瀕したままのクラブのために、トップチームの監督となって自らの評判を危険にさらす理由を探すのは困難である。