Saudi Arabia rocked football GFXGOAL

いかにしてサウジアラビアはサッカー界を揺るがせたか。ロナウドとの契約、マンチーニ招聘から2034年W杯招致まで

2022年11月22日、ルサイル。ワールドカップ開幕戦で、サウジアラビアはアルゼンチンに1点ビハインドの状態で前半を終えた。だが、エルヴェ・ルナール監督は怒っていた。選手たちがすでに試合から何かを得ようとするのをあきらめ、メッシが自在にサッカーをする姿に驚嘆し、魅了されているように感じたからだ。

「お前たちは、ただDF陣の前に突っ立っているだけじゃないか!」と、ルナール監督はミッドフィルダーたちを𠮟りつけた。「スマフォを取り出して、あいつと写真が撮れるとでも思っているのか! 誰もあいつを止めようとしないじゃないか! 自分たちが何をしているか、わかっているのか!」

「我々が勝てないとでも思っているのか? どうなんだ? 向こうはすっかりリラックスしてプレーしているぞ。やる気になれ! やる気になれ、お前たち! これはワールドカップなんだ。すべてをさらけ出せ!」

そして、彼らはそうした。後半開始直後、驚くべき魔法を繰り出してサウジアラビアは試合をひっくり返した――サッカー界全体をひっくり返したのである。

  • Al Shehri saudi arabiaGetty Images

    ワールドカップ史上最大の衝撃

    48分、ハッサーン・アル=トムバクティとアブドゥレラー・アル=マルキがルナール監督の要求どおり、メッシにある種のプレッシャーをかけ、ピッチの中央でボールを奪った。すぐにアル=マルキがアルゼンチン・サイドに向かってボールを運び、ボールはサレー・アル=シェフリに出た。アル=シェフリは信じられないほど簡単にクリスティアン・ロメロをかわすと、左足シュートでエミリアーノ・マルティネスが守るゴールの右下に得点を決めた。

    そのわずか5分後、メッシと仲間たちは明らかにまだショック状態にあったが、サーレム・アッ=ドーサリーがアンヘル・ディ・マリアとナウエル・モリーナのプレッシャーを受けながら高いボールをコントロール。素早くロドリゴ・デ・ポールの内に切りこんで、ボックスの左サイドから見事にカーブのかかったシュートを放つと、ボールはマルティネスの手をはじいてゴール上隅に得点が決まった。

    だが、時間はまだ30分以上残っていた。サウジが勝利するとは思われなかった。それでも、ルナール監督はサウジアラビアの選手たちが自信を得たことを感じていた。センターバックのアリー・アル=ブライヒがメッシに言った――「きみたちは勝てない」と。

    そして、それは正しかった。

    アルゼンチンの厳しいプレッシャーを受けながらも、サウジアラビアはしっかりとプレーしつづけ、試合終了のホイッスルが鳴ると、ピッチ上やスタンド、記者席でも大混乱が起こった。選手たち、サポーター、記者たちは、どちらの国も号泣していた。

    アルゼンチンの36試合連続無敗記録は途絶えた。世界ランキング53位の国に止められたのだ。見たところ、感じたところ、聞いたところ、ワールドカップ史上最大の衝撃ではないかと思われ、そのことは数字が証明した。アナリストのニールセン・グレースノートによると、サウジアラビアが勝利する確率は8.7%しかなかったのだ。

    その後、当然のことながら有頂天になったサポーターの中に、ルサイル・スタジアムの外でクリスティアーノ・ロナウドの「Siiiiii」セレブレーションを真似てメッシをあざける者たちがいた一方、本国サウジアラビアのサルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ・アール=サウード国王はこの日を国民の祝日にすると宣言した。

    最終的には、アルゼンチンはメッシのおかげで立ち直り、ワールドカップ優勝に向かうのだが、サウジアラビアはグルーブステージ敗退という結果に終わった。それでも、まったく信じられないほどの2対1の勝利の影響は広範囲に広がっていった。当時、モロッコのワリド・レグラギ監督はサウジアラビアが「国際大会で大きな揺れを起こす」という小さな奇跡を起こしたと言っていた。

    だが、振り返ってみれば、これは始まりに過ぎなかった。サッカー界の権力における地殻変動の最初の揺れを起こしたサウジアラビアは、その後の1年間サッカー界を根底から揺さぶりつづけたのである。

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  • Cristiano Ronaldo Al-Nassr 2023Getty

    「ロナウド効果」

    クリスティアーノ・ロナウドの第2期マンチェスター・ユナイテッド時代は、辛辣な結果に終わった。ポルトガル代表として挑んだ2022年ワールドカップも悲惨だった。彼の超能力は衰えつつあると見たヨーロッパのエリートクラブは、もはや彼と契約する価値はないと思っていた。だが、サウジアラビアはどんなことをしてもC・ロナウドが欲しかった。サウジ・プロリーグにとって、C・ロナウドは値段のつけようがないほど重要だったのだ。インフルエンサー全盛の現代、C・ロナウドほど影響力のある人物はいない。

    それは、彼がサウジアラビアに来た途端に証明された。サッカー界がペレの死を悼んでいた頃、まさに現実の「クリスティアーノ・ロナウド効果」が、一時的にせよメディアの目をブラジルのサッカーの神様の葬儀からリヤドの満員の記者室へとそらすことに成功したのである。

    「正直に言って、今日ここにこれほど多くの人がいることにとても驚いている」と、2023年1月3日、アル・ナスルの当時のリュディ・ガルシア監督は微笑みながら言った。「普通、ここでサッカーの話をする時には、3、4人しか記者がいないのだが…」。この時のMrsoolパークには空席がなかった。誰もが中東への電撃移籍後初の記者会見で、C・ロナウドが何を話すのか知りたがっていた。

    C・ロナウドは正しいことばかりを言った。カネのためだけにここに来たのではないと言いながら、同時にこの移籍について誰が何を言おうと気にしないとも言った。出席した記者たちから盛大な拍手が起こり、中にはこの5回のバロンドール受賞を誇る選手とともに写る写真を撮ろうと、まだ話しているC・ロナウドに背を向ける記者たちもいた。

    その後、C・ロナウドが部屋を出る時、何回か「Si」という声が聞こえた。この行動には問題があるが、まったく理解できることではある。その場にいた全員が、C・ロナウドがサウジアラビアのチームと契約したことの重大さを鋭く認識したのである。

    彼の到着から数週間以内に、プロリーグのTV放映契約がイタリア、フランス、ドイツを含む、ヨーロッパ全土の放送局と結ばれた。そして今や、140カ国以上で放映されている。その後、SNSでの争いも急増し、同時期、インスタグラムのフォロワーは85万人から1,000万人以上に増えた。

    「いわゆる『C・ロナウド効果』が私たちにとって特別だったことは間違いない」と、8月にサウジ・プロリーグのカルロ・ノーラCEOはガゼッタ・デロ・スポルトに語った。「サウジ・プロリーグの認知度、各所との関係性、テレビ放映の契約において、すべてが変わった」

    こうして、有名な選手たちが信じられないほど多く移籍していくことになり、ペップ・グアルディオラがサウジアラビアを世界の移籍市場の新勢力と認めるほどになったのであった。

  • Karim Benzema Al-Ittihad 2023-24Getty Images

    ベンゼマ移籍の衝撃が夏の高額移籍を引き起こす

    C・ロナウドが多くの有名選手たちが自分に続いてサウジアラビアに来るだろうと言った時、少なくともヨーロッパではそんなことはないとの意見が広まった。だが、ほどなくC・ロナウドが正しかったことが証明された。

    レアル・マドリーの2022-23年シーズンの最終戦が近づくにつれ、スター・ストライカーのカリム・ベンゼマがフリーでアル・イテハドに移籍することを考えているとの噂が巻き起こった。このニュースに、ロス・ブランコスのフロレンティーノ・ペレス会長やカルロ・アンチェロッティ監督も大いに驚愕した。2人とも、ベンゼマがもう1年サンティアゴ・ベルナベウにいる契約を結んでくれると完全に期待していたのである。

    だが、ベンゼマはチームを去ることを決めた。これによりレアル・マドリーの移籍計画がズタズタになる一方、サウジ・プロリーグはあっという間に信頼性を大いに高めたのだった。C・ロナウドは5回のバロンドール受賞者ではあるが、ベンゼマは今まさに引っ張りだこの選手である。ベンゼマの移籍は世界中に明確なメッセージを発信した。突然、水門が開いたのである。

    サウジアラビアの4大クラブ(アル・ナスル、アル・イテハド、アル・アハリ、アル・ヒラル)を管理するパブリック・インベストメント・ファンド(PIF)は、すぐさま、ビッグネームを擁する「ビッグ・フォー」を創設した。エンゴロ・カンテ、カリドゥ・クリバリ、ロベルト・フィルミーノ、ジョーダン・ヘンダーソン、ファビーニョ、リヤド・マフレズといった選手たちが、プレミアリーグを離れてサウジ・プロリーグに行き、さらに、アル・ヒラルがパリ・サンジェルマンからネイマールを9,000万ユーロ(約147億円)で獲得して、サウジアラビアの高額移籍記録を更新した。

    「すべてのきっかけがクリスティアーノ・ロナウドだったと思う。みんな彼のことをクレイジーだと言ったが、今日、皆さんはこのリーグがますます成長していく姿を目にしているのだ」と、ネイマールは新しいクラブのメディア・チャンネルで語った。「私はこのリーグがますます成長するのを助けるためにここへ来た。この夏の移籍で多くの契約をして、このリーグは非常に競争力が高くなるだろう」

    しかしながら、ネイマールのようなスーパースター30人以上との契約以上に重要なのは、フランク・ケシエやセルゲイ・ミリンコヴィッチ=サヴィッチ、ガブリ・ベイガといった選手たちを獲得したことだった。全員が今が全盛期、またはこれから全盛期を迎える選手たちである。

    こうした契約によって、サウジ・プロリーグが移籍市場を席巻するプレミアリーグを本格的に脅かす存在になりうることが強調されるようになった。事実、キリアン・エンバペやモハメド・サラーを移籍させるという野望は最終的には失敗したかもしれないが、夏の移籍市場で、サウジ・プロリーグ(7億100万ポンド(約1,300億円))以上に多くのカネを使ったのは、イングランドのトップリーグ(15億9,000万ポンド(約3,000億円))だけだった。

  • Roberto Mancini Saudi 2023Getty

    一流の監督で代表を一流のチームにする

    ロベルト・マンチーニがイタリア代表の監督を辞めたことは、それほど大きな驚きではなかった。ユーロ2024の予選の最中というタイミングは首をかしげるところだったかもしれないが、ありえないことではない。しばらく前から、イタリアサッカー連盟(FIGC)のガブリエーレ・グラヴィーナ会長との不和が噂されていた。ただし、ほぼ直後にサウジアラビアの監督となったマンチーニの決断はサッカー界に衝撃をもたらした。

    金銭的に考えるところがあったのは間違いないだろう。マンチーニ監督は、税抜き年収2,500万ユーロ(約41億円)という巨額の契約を結んだのだ。「私は100人の人に、こんな契約にノーと言えるものなら言ってみろと言いたい」と、監督の息子のアンドレアはジェノバの新聞Il Secolo XIXで語った。「この申し出をはねのける人はごく少数、ほとんどいないと思う」

    ところがマンチーニ監督は、この契約は「新たな国でサッカーを経験する偉大なチャンスである」とも言い、「サウジ・プロリーグには一流の選手がいる」ため、明らかに「代表チームに成長の可能性がある」兆候があると言ったのだった。

    本当の真実がどうであれ、マンチーニ監督の就任は3月にルナールが辞めたばかりのサウジアラビアにとって大変革であることは明らかだ。マンチーニ監督は、野心的な中東の雇い主と仕事をした経験があり、2012年にはアブダビの資金に支えられたマンチェスター・シティを初のプレミアリーグ制覇に導いた。ユーロ2020では、平均的なイタリア代表を率いて予想を超えた見事な優勝を果たしている。「私はヨーロッパで歴史を作った」と、マンチーニ監督は監督就任が確定した後、SNSに投稿した。「今度はサウジアラビアで歴史を作る時だ」。

    この誓いを果たすのはまったく簡単なことではないだろう。アルゼンチンを破った後の13試合でサウジアラビアは9敗している。だがマンチーニ監督は、2026年ワールドカップ予選の最初の2試合ではサウジアラビアを勝利に導いた。

    マンチーニ監督なら、北米に行っただけでも明らかに成功したかもしれない。だが、長期的には2034年のワールドカップをサウジアラビアで開催するまでに、代表チームを強豪にするという戦略があるのだ。

  • Saudi World Cup 2034GettyImage

    ワールドカップ開催の夢

    カタールでジャンニ・インファンティーノの隣に座っていたムハンマド・ビン・サルマーン皇太子は、C・ロナウドと仲間たちを移籍させてSPLを強化し、マンチーニ監督を雇った。だが、こうした行動がなされた理由は終始はっきりしている。スポーツはサウジアラビアが「世界的な投資大国になる」活動の重要な柱のひとつであり、ワールドカップ開催は長年の究極の「夢」だったと、スポーツ大臣のアブドゥラジズ・ビン・トゥルキ・アル・サウードは言っている。この夢はどうやら2034年に実現することになりそうだ。

    もちろん正式な話ではなく、現段階では形式的なものでしかないが、FIFAは2030年のワールドカップを3大陸(南米、アフリカ、ヨーロッパ)にまたがって行なうことを決め、その次の大会の開催地の選択肢としてはアジアとオセアニアしか残っていなかった。

    開催地への立候補予定者には、入札に参加する意思を固めるのに1カ月を切る時間しか与えられなかった。AFC(アジアサッカー連盟)会長でバーレーンのシャイフ・サルマーン・ビン・イブラーヒーム・アール=ハリーファは、「アジア全土のサッカー・ファミリー」はサウジアラビアを応援すると宣言し、その他では唯一関心を示していたオーストラリアが10月31日の締切直前に誘致レースから撤退すると発表した。

    「サウジは入札に強い」と、オーストラリアサッカー連盟のジェイムズ・ジョンソン理事は語った。「2034年ワールドカップに限らず、多くの人脈を持っている。政府からトップダウンで、サッカー界に優先的に投資している。サウジと争うのは難しい」。

  • Mohamed Salah EgyptGetty

    次に何が起こるのか――不可能なことは何もない

    ルサイルでの重大な逆転勝ちから1年、今やあの勝利はいずれ、大して注目されなくなるのではないかとすら思われる。ここ数年でサウジアラビアはすでに経済力だけでなく、F1やボクシング、ゴルフへの大きな野心も示してきた。実際、実質的に後者を手に入れたサウジアラビアが次はサッカーだと考えない理由はない。

    結局のところ、PIFはすでにニューカッスル・ユナイテッドの株の大部分を保有し、そこでマンチーニ監督の代表監督就任後初めての試合を開催した。来月にはサウジアラビアでクラブ・ワールドカップが開催される。同じ場所を女子のワールドカップの舞台とする希望もあり、今や自国の女子代表チームまで創設した。

    サウジ・プロリーグもますます強くなりそうである。エンバペが来年の夏に来ることはないかもしれないが、サラーが来る可能性もある。リヴァプールのレジェンドの契約は1年しか残っておらず、報道によると、シーズン終了時の中東への移籍に前向きであるという。

    サウジアラビアの積極的な選手獲得の動きが、オイル・マネーを資本としていることは明らかであり、最終的には枯渇するだろう。だが、ビジョン2030の計画が示す通り、サウジアラビアは非再生可能エネルギーへの依存のリスクを避けるため、今後数年間で収入源を広範囲に多角化することを考えている。

    さらに、サッカーを収益源にするという長期計画がある。そのためにはSPLが成長し続けることが重要だ。「我々がそこに行きつくまでには時間がかかるだろう。だが、我々はそれを主な目的とする。すべての人が自分の足で立つために」と、ノーラは言った。「私は何度も言ってきたが、サッカーは(国内総生産に)真に貢献すべきであり、政府のカネを使うべきではない。特に、この国のサッカー熱を見ればわかる」

    実際、比較的若い世代がプレーしたり、試合を見たり、フォローしたりするものの80%がサッカーだ。PIF後援の計画の関係者全員が、SPL はサッカー界の五大リーグのひとつになれるというC・ロナウドは正しいと信じている。そう思わない理由があるだろうか。

    昨年11月、初めてC・ロナウドのサウジアラビアへの移籍が取りざたされたとき、サウジアラビアの皇族アブドゥラジズ・ビン・トゥルキ・アル・ファイサルは言った――「不可能なことは何もない」と。ここ1年での信じられない成長のすべてが、この言葉を裏付けている。