しかし、その笑顔の背後には痛ましい悲劇が隠されていた。9人兄弟のひとりであるカンテは、11歳のときに父親を亡くしていた。彼はゴミ拾いをしてわずかな小遣いを稼ぎ、母親を助けながら、脚力と肺活量を武器に、サッカーを救いとしていた。しかし、21歳の誕生日を迎える頃になっても、まだプロのクラブからオファーはなかった。数キロしか離れていないパリ・サンジェルマンからも、まったく連絡はなかった。
「彼は、単純に体が小さすぎて、目立たなかった」と、ヴィルは『BBC』で語った。「彼は自分のためではなく、チームのためにプレーしていた」。
最終的にカンテは、フランスのブローニュにあるチームから誘われることとなったが、まずは5部リーグでプレーするBチームに所属することとなった。
「ブローニュでプレーしていた頃、プロ選手として成功できるかどうか確信が持てなかったので、勉強も続けていた」と、カンテは『スカイスポーツ』で語っている。「18歳のときにバカロレア(フランスの大学入試資格試験)に合格し、その後2年間、会計学を勉強した」。
カンテにとって転機となったのは、2012年夏にミシェル・エステバンの後任としてジョルジュ・トゥルネが監督に就任したことだった。トゥルネはクラブのユースチームを見直し、誰からも見過ごされていた選手、カンテを見出した。
「私は着任してすぐ、彼を含む若手選手全員をテストした」と、トゥルネは『フィガロ』紙で言った。「すぐにエンゴロに目が行った。ボールのない時での動き、技術、ポジショニング、スタミナ。なぜ彼がBチームにいるのか理解できず、即座にプロ契約を結んだ」。
体力テストでチームメイトたちが疲労困憊して倒れる中、カンテは何分間にもわたって走り続け、トゥルネは驚嘆した。その後、カンテは21歳でモナコ相手にデビューを果たし、リーグ・ドゥ所属のブローニュのトップチームに定着。そのシーズンにブローニュは降格したものの、『NG』ことエンゴロは3部リーグでさらに確固たる地位を築いていくこととなる。