Francesco Camarda NXGN GFXGOAL

ビッグクラブ注目の16歳、フランチェスコ・カマルダとは何者か。ミランの「ハリケーン」をマン・C、アーセナル、トッテナムが追跡

2023年11月25日に行われたセリエAのミラン対フィオレンティーナ、残り7分でステファノ・ピオリ監督はきわめて重大な選手交代を行なった。「ルカ・ヨヴィッチに代わり……」と言った後、場内アナウンスは一瞬を置き、それは絶大な効果をあげた。続けて「初出場の……」と言った後、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァの興奮が増すのに合わせて、声を張りあげた。「背番号73!フランチェスコ・カマルダ!」

サン・シーロの観客が爆発し、クルヴァ・スッド(南ゴール裏)からカマルダの名のチャントが聞こえてくると、カマルダの母はスタンドで号泣した。息子のほうは、頬を膨らませてプッと息を吐き、微笑んだ。後にカマルダはこう言った――。

「絶対に忘れられない特別な瞬間だった」。

まさに、それは誰にとっても忘れられない瞬間だった。というのも、その時カマルダはまだ15歳と260日で、セリエAの試合に出場した最年少選手となったため、歴史的瞬間だったのだ。ピオリ監督としてはケガや出場停止で選手が足りず、やむを得ない采配だったかもしれない。だが、ロッソネリが手詰まりの攻撃の活性化のためにカマルダを投入したことを、少しでも驚きに思う者は誰もいなかった。今シーズンの初め、プリマヴェーラ(U19)の試合に初出場する前から、すでに彼の素晴らしさは噂になっていたのである。

事実、サン・シーロの人々はずっと前から、ミランにはすでに次世代の偉大なストライカーがいると感じていた……。

  • すべての始まり

    ミラン生まれのカマルダは、アフォレーゼで本格的にサッカーを始めた。ミランの北西にある、小規模だが有名なクラブである。加入した時はまだ5歳だったが、当時最年少チームの監督をしていたピエロ・コランジェロは、すぐにカマルダの類まれな才能に気づいた。

    「チームには彼よりも3歳年上の子たちもいたが、彼は誰よりもうまく練習をこなしていた」と、コランジェロはSprint & Sportで語っている。

    「はっきり言っておく。私は自分の手柄を誇っているわけではない。フランチェスコが成し遂げてきたことは、誰でもない彼自身によるものだ」

    「初めて見た時、私はショックを受けた。身体は小さくても、すでに一人前のサッカー選手のようだった。彼はまったく特別だ。彼ほどの才能を持った少年を見たことがない。年上の子たちとの試合でも多くのゴールを決めた。誰も彼を止められなかった」

    「すでにフィジカルも強かった。フォワードとしてもウイングとしてもプレーでき、誰よりも明らかに優れていた。彼はハリケーンだった。どんな敵も倒した」

    当然のことながら、アフォレーゼの彼の快挙はミランから注目され、2015年にカマルダはミランに加入した。

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  • 大躍進

    ミランでもカマルダは突出していた。「ハリケーン」は、不運にも彼の前に立ちはだかることとなった守備陣をすべて壊滅させたのだ。あらゆる記録を更新し、1試合平均5得点を決めながら、各年代のチームをあがっていった。

    ミランがU15のイタリア・チャンピオンとなった時には、25試合で22得点をあげ、スクデットを獲得した最後の試合であるフィオレンティーナ戦で決勝点を決めた。その間、カマルダの名声は確立していき、当然ながらライバルチームからも注目されるようになった。しかも、彼が16歳になるまで、ミランは長期のプロ契約で彼を縛りつける立場になかった。

    しかしながら、ミランが有無を言わさず断れるようになるまでに、パオロ・マルディーニがカマルダと家族に、カマルダの将来はサン・シーロにいてこそ最高に輝くと保証し、2023-24シーズンにはプリマヴェーラのチームに入れるだろうと言った。ロッソネリからひどい扱いを受けた元テクニカル・ディレクターのインスピレーションの正しさが証明されたことは、驚くべきことではない。

    UEFAユース・リーグに登場したカマルダは、4対0と大勝したニューカッスル戦で2得点をあげた。これにより、カマルダは最も権威あるU19の大会の試合で、1試合2得点を決めたクラブ史上2番目に若い選手となった。11月7日のPSGに3対2で勝った試合では、目の覚めるようなオーバーヘッドキックでチームに貢献した。

    だからこそ、同じ11月末のフィオレンティーナ戦で、オリヴィエ・ジルー(出場停止)、ラファエル・レオンとノア・オカフォー(ともにケガ)を欠いたピオリ監督は、カマルダ招集を決意したのである。

    U19所属の選手をリーグ戦に起用するにはイタリア・サッカー連盟(FIGC)の特別許可が必要だったが、カマルダはすでに何度もトップチームの練習に参加しており、プレシーズンのトレトン戦にも出場していた。そのため、ピオリ監督はこの10代の選手には昇格する準備ができていると確信していた。「才能に年齢は関係ない」と、サン・シーロでの試合前夜、監督は報道陣に語っていた。

    「フランチェスコには間違いなく才能がある」

  • 熱狂と憶測の高まり

    最初の試合からわずか1週間後、カマルダはまたしてもミランの試合に登場した。サン・シーロで3対1で勝ったフロジノーネ戦に、最後の5分間出場したのである。それ以降はトップチームの試合には出ていないが、それは主にミランのケガ人問題が早々に解決したからで、U19のレベルでは輝き続けている。

    カマルダはUEFAユース・リーグの決勝トーナメントの全試合で先発し、その間ロッソネリはレアル・マドリーを破って勝ち進み、決勝に進出した。残念ながらカマルダとその仲間たちはギリシャのオリンピアコスに敗れて優勝は逃したが、センターフォワードを務めたカマルダをめぐる熱狂と憶測の高まりは、まったく静まっていない。

  • 最大の強み

    カマルダは完璧な背番号9とみなされている。オールラウンドなアタッカーだ。テクニックに優れ、空中戦も強く、恐るべき攻撃力を誇る。しかしながら、本当にすごいのはその戦う姿勢である。自分で自分のことを、ピッチを離れれば「面白い奴」だと言いながら、ピッチに立てば激しく「毅然として」いる。

    有名なのは2018年のバイエルン・ミュンヘン戦。開始15分で足首を負傷し、ピッチを出ざるを得なくなったにもかかわらず、残り10分でミランが2点リードされていたため、監督にピッチに戻してくれと懇願したことである(年少の試合では認められている)。軽傷ではなかったにもかかわらず、カマルダは自分で決めた2得点を含む3得点に直接貢献し、ロッソネリは逆転勝ちしたのであった。

    とんでもなく年少の年齢でありながら、カマルダがプロ入りしてからここまでになったのは、明らかに桁外れの才能と勝利への執念があってのことだ。ピオリ監督が言ったとおり、このフォワードは「非常に成熟」している。だからこそ監督は、何の迷いもなく彼を15歳でデビューさせたのだ。

  • 伸びしろ

    カマルダはすでに身長が6フィート(184センチ)あり、今後1、2年はまだ伸びるのではないかと思われている。つまり、前線で圧倒的存在感を放つ選手になりそうなのだ。もちろん、フィジカル的にどれだけ成長するかが大きな意味をもつのは明らかであり、まだたった16歳のカマルダに余白の部分が多くあるのも当然のことだ。

    だが、彼が強く、機敏な選手になりそうなのは間違いない。崇拝する選手のひとりであるズラタン・イブラヒモヴィッチと同じく、キックボクシングを習っている。

    カマルダは動きの改善にも取り組んでおり、間違いなく最高の勉強になる選手を見習っている。

    「僕のアイドルはずっと、怪物ロナウドだ」と、カマルダはイタリア・サッカー連盟の公式チャンネルで語った。

    「僕のパパもブラジル代表の大ファンだった。僕は、怪物ロナウドの動画を見るのが好きで、彼のポジショニングや走りをいっぱい見た」

    本当の意味で疑問符が付くかもしれないことは、彼の気性の荒さだ。自分で言っているとおり、忍耐に欠けるところがあり時々、フラストレーションが溜まって我を忘れてしまうことがある。例えば、ユース・リーグでPSGに勝った試合では、試合終了のホイッスルが鳴った後に、相手選手を侮辱した疑いでレッドカードを受けてしまった。

    「審判は侮辱のしぐさを見たというが、間違って解釈されたと思っている」と、プリマヴェーラのイニャツィオ・アバーテ監督は言った。

    「実年齢より4つ上のカテゴリーでプレーするのは簡単なことではない。自分より大きいディフェンダー2人に、常に厳しくマークされるというのは大変なことだ。だが、この事件は彼を成長させてくれるだろう」

  • ピエリーノ・プラティの再来か

    すでにミランでは、カマルダを地元生まれのマルコ・ファン・バステンもしくはアンドリー・シェフチェンコとみていると言われているが、2009年から2018年にミラノのユース部門の責任者だったフィリッポ・ガッリは、その2人とは全く違う時代のカリスマ、ピエリーノ・プラティのほうにカマルダは似ていると確信している。

    イタリア出身のプラティは、偉大なるロッソネリが1960年代終盤にリーグ優勝やヨーロッパ・カップ制覇を果たしたときの主要メンバーで、前線だけでなくどこでもプレーできてゴールを量産したアタッカーであったところに、カマルダはそっくりなのである。

  • 今後は?

    これこそが大きな問題なのは、カマルダが3月10日に16歳になったばかりだからだ。直ちにミランと最初のプロ契約を交わすこともできたのだが、6週間が経った今でも交渉は続いている。マンチェスター・シティ、アーセナル、トッテナム、ボルシア・ドルトムント、ユヴェントスなどが事態を注意深く見守っていることは間違いなく、話し合いが長引くにつれ、ミランのファンはイライラを募らせている。

    しかしながら、クラブやカマルダの関係者がまだ最終的に契約を交わしておらず、無節操なサッカー界の関心事になっている一方、ロッソネリはいずれにせよ何らかの契約をするのは夏まで待った方がよいだろう。基本的にイタリアでの最初のプロ契約に関する約束事により、ミランは現在、カマルダに2026年6月30日までの契約しかオファーできない。ところが、7月1日に契約を交わせば、2027年6月末までの契約ができるのである。

    もちろん、契約締結までロッソネリの気は休まらないだろうが、留意すべきことがひとつある。それはカマルダが現在、サン・シーロに留まることしか望んでいないことだ。カマルダはずっと前からミランのファンなのである。昨年11月にデビューした後、サポーターお気に入りの歌のひとつを引用して、こう言ったほどだ。

    「本当にホント、『小さい時から、君に恋してる、僕の心臓は高鳴っている、理由なんか聞かないで!』」と、彼はインスタグラムに投稿した。「そう、今日、僕には理由がわかっている! 僕は第二の故郷を見つけた。最高なのは、みんなが僕と同じだってこと! サンキュー!!!!!!」

    ミランのファンはまだパニックになる必要はない。カマルダは明らかに彼らのものだ。ヨーロッパ全土から洪水のようにオファーが来るのは間違いないし、マンチェスターはミランよりも高額のオファーをするだろう。

    だが、彼がプロデビューしたサン・シーロでの、あの小さな微笑みは非常に意味深いものに思われる。カマルダが、スタディオ・ジュゼッペ・メアッツァでの試合がプロ入りして初めての試合になったことを喜んでいたことは明らかだ。プロ入り初ゴールも、同じ場所で決めることを決意しているに違いない。