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ケイン、ベイル…21世紀トッテナム最高の選手ベスト25

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トッテナム・ホットスパーに関する議論においては、いつも否定的な見方があるように思える。すべての敗北や失敗が「スパーズ的」とされ、毎年タイトルなしの状態が積み重なって純然たる失敗となっている。

たまには振り上げた拳を下ろし、彼らが現代において成し遂げた成果を評価してみてはどうだろう。初めてのチャンピオンズリーグ決勝進出、財政的重圧を乗り越えての安定した活躍、10億ポンド(約2,000億円)をかけての約30センチ南へのスタジアム移転、そして、多くのAクラスの選手たちがクラブのドアを通り抜けたことは称賛に値する。

GOALはアーカイブを調べて、21世紀の最初の四半期でのトッテナムで最高の25人の選手をランク付けしてみた。

  • Ajax v Tottenham Hotspur - UEFA Champions League Semi Final: Second LegGetty Images Sport

    25ルーカス・モウラ

    トッテナムのファンに最も愛される瞬間を提供した人物から始めるのが最適だろう...が、それ以外はほとんど何もなかった選手である。ルーカス・モウラは、絶好調ならチャンピオンズリーグの準決勝でハットトリックを決めることができた選手だった。ただ、絶好調の時が来ることがあまりなかったのが現実である。

    2019年5月のアヤックス戦のその運命の瞬間、それが彼の選手としての絶頂だったことは明らかだ。その後の失速は残念だが、「あの時」のスパーズを語る時には永遠に名前の挙がるFWである。

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  • Tottenham's forward Peter Crouch celebraAFP

    24ピーター・クラウチ

    次に紹介するのは、多くの人に愛されると同時に苛立たせた、才能は確かなカルト・ヒーローである。10代でトッテナムのアカデミーに参加し、シニアになった2000年にトッテナムを去ったピーター・クラウチは、9年後、ホワイト・ハート・レーンに戻った。

    当然、当時監督だったハリー・レドナップの下で契約したわけだが、クラウチは安定したゴール供給源というよりも、大舞台で活躍する選手となった。そのことは、2010-11シーズン、プレミアリーグの34試合では4得点ながら、チャンピオンズリーグの10試合で7得点という成績に最もよく表れている。

    飛びぬけて背が高かったクラウチは、ジャーメイン・デフォーやラファエル・ファン・デル・ファールト(時にはロマン・パブリュチェンコ)といった選手たちの完璧なパートナーとして活かされたが、ヘディングの能力が非効率で、スタンドのファンを苛立たせた。

  • CORRECTION / FBL-ENG-PR-MAN UTD-TOTTENHAMAFP

    23ミッキー・ファン・デ・フェン

    トッテナムの新世代の中でこのリストに入った選手はそれほど多くないが、ミッキー・ファン・デ・フェンは例外である。2023年にヴォルフスブルクから移籍した時には、このオランダ代表選手に関心を示したのはスパーズだけだった。しかも驚いたことに、北部ロンドンのクラブにとって移籍の第一候補ではなかったのだ。レヴァークーゼンのエドモンド・タプソバの方が移籍リストの上位にいたと言われている。

    現在、ファン・デ・フェンは数字の上でもピッチで見る印象においてもプレミアリーグ最速の選手であり、スパーズにとって非常にユニークな武器となっている。高いラインでプレーしながら、ひとりでボールを回収できる彼の能力は、ピッチのどこへでもボールを運べる能力と相まって、あたかもハンサムな爆走する貨物列車のようである。

    ケガをしなければ、ファン・デ・フェンは世代最高のDFのひとりになれるかもしれない。

  • Tottenham Hotspur v Manchester CityGetty Images Sport

    22マイケル・キャリック

    振り返ってみれば、トッテナムが2004年にウェスト・ハムからマイケル・キャリックをあっさりと引き抜けたのは、とんでもないことだった。降格したばかりのハマーズがプレミアリーグへの復帰を果たせなかった後、当時トッテナムの監督だったジャック・サンティニとスポーツ・ディレクターのフランク・アルネセンが争ったため、キャリックは秋までチームに入ることができなかった。しかし、それから間もなく、彼がより大きなことを成し遂げる運命にあることが明らかになった。

    2年間、スパーズのファンはキャリックが中盤で采配を振るう姿を楽しむことができ、マルティン・ヨルが監督に昇格した後、初めてトップ4に手が届くところまでいけた大きな要因となった。

  • Stephen Carr of Tottenham HotspurGetty Images Sport

    21スティーヴン・カー

    年配のファンにはたまらないことに、スティーヴン・カーは決して時代に取り残されていない。この右サイドバックは、どれほど優れていただろうか。彼がいた頃のスパーズは並のチームだったにもかかわらず、2000-01シーズンのPFA年間ベストイレブンに選出され、翌シーズンは膝のケガで棒に振ったものの、復帰後の2002-03シーズンに再びPFA年間ベストイレブンに選出されたのである。当時のトッテナムはそれほど強くなかったというのに。

    この元アイルランド代表のレガシーは、2004年にニューカッスルへの辛辣な移籍のために汚されかけたが、それまでに10年以上チームに貢献していた。当時の報道では、大幅な昇給とタイトル獲得のチャンスを求めていたとされたが(1950年代以降いまだにトロフィーを獲得していないクラブで)、契約交渉中にスパーズに信頼されていないと感じたと言い続けている。ただし、2019年に10億ポンド(約2,000億円)の新スタジアムを祝うために行われた、クラブのレジェンドだけがでる試合のひとつにカーが参加したことは、すべてが過去のことになったことを示唆している。

  • Tottenham Hotspur v Reading - Premier LeagueGetty Images Sport

    20マイケル・ドーソン

    サッカー選手としても人間としても、マイケル・ドーソンはすべての素晴らしい条件を満たしていた。自分自身を過大評価したり、実際の能力よりも優れていると思ったりすることは決してなく、チャンピオンズリーグを戦う上で、どのセンターバックのペアにとっても堅実な第二選択肢だった。彼はまた、一緒に一杯やる相手としてふさわしい人物のようでもあった。

    ドーソンはホワイト・ハート・レーンでプレーした9年間、レドリー・キングや後にヤン・フェルトンゲンと優れたコンビを形成した。現在は主に解説者として活動しているが、40歳を過ぎてなおトッテナムのクラブ・アンバサダーを務めている。

  • Tottenham Hotspur v Crystal Palace - Premier LeagueGetty Images Sport

    19エリック・ダイアー

    トッテナムでの10年間、エリック・ダイアーがチームのキープレイヤーになったことは一度もなかった。実際、彼が先発メンバーに名を連ねる時、しばしば決定的な弱点として認識されてた(ところで、これは素晴らしい賛辞の書き始めである)。

    では、なぜ彼がこのリストのかなり控えめな順位にいるのか、と、問われるかもしれない。その答えは、ダイアーは、在籍期間中のほとんどにおいて、当時のクラブ体制下である程度重要であったからである。2014年、マウリシオ・ポチェッティーノがホットスパー・ウェイ(トッテナムの練習場)にやってきたとき、他に適切な選手がいなかったため、ダイアーは右サイドバックとして臨時に補充された。その後、クラブが誰も獲得できなかった際には守備的MFに起用されて成功し、最終的には3-4-3のセンターバックに戻って、フェルトンゲンとトビー・アルデルヴァイレルトとトリオを組んだ。ジョゼ・モウリーニョには、フォーメーションにかかわらずセンターバックとしてプレーしたいと伝え、2024年にバイエルン・ミュンヘンへ驚きの移籍をするまで、その通りになった。

    こうした彼の貢献を無視することはできない。トッテナム在籍中の終盤にはパフォーマンスが低下していたとしても、ダイアーはほぼ常に監督の役に立つ選手であった。

  • Tottenham Hotspur v Swansea City - Premier LeagueGetty Images Sport

    18ダニー・ローズ

    部外者はダニー・ローズを、2010年にトッテナムが長い間勝利していなかった北部ロンドン・ダービーでボレーシュートを決めて有名になった選手として記憶するだろうが、彼はそれ以上の存在だった。

    2015年から2017年までの2年間、ローズは国内最高の左サイドバックであり、2016-17シーズンには、38試合中18試合しか出場していないにもかかわらずPFA年間ベストイレブンに選ばれた。ファンは彼のクラブへの情熱的な献身を評価していたが、『ザ・サン』紙の独占インタビューでクラブの移籍計画を批判したことで、クラブを危機に陥れかけたこともあった。

    2019年のチャンピオンズリーグ決勝で、トッテナムはまったくの力不足でリヴァプールに2-0で負けたが、その夜、かろうじて目立った選手のひとりがローズだった。現在の彼はファンのひとりとしてサッカーを楽しんでいる。

  • Tottenham Hotspur FC v FC Rubin Kazan - UEFA Europa LeagueGetty Images Sport

    17アーロン・レノン

    トッテナムのサポーターは、アーロン・レノンを思い浮かべるとき、ホワイト・ハート・レーンの古い座席がガタガタ音を立てたことを思い出す。つまり、彼がボールを持つと観客を立ちあがって座席が鳴ったのだ――たいていはチップ・キックでクロスファー・ポストめがけて出したクロスが、時には得点につながらなかったとしても。

    しかし、それが問題になることはめったになかった。ボールを持ったときの勇敢さと、本能的にタッチライン沿いをあがってゴールラインまで果敢に突進するレノンの姿は、瞬く間にファンの心をつかんだのである。

    同じくリーズ出身のローズのように、レノンもメンタルヘルスなどの困難なテーマについてオープンであったことや、スパーズへの揺るぎない忠誠心により、今でもホワイト・ハート・レーンで愛され続けている。

  • Tottenham Hotspur v Manchester City - Premier LeagueGetty Images Sport

    16カイル・ウォーカー

    辛辣な皮肉屋なら、カイル・ウォーカーがトッテナムを去る際に、2016-17シーズンのFAカップ準決勝でチェルシーに敗北する数日前にポチェッティーノに退団の意思を伝えたことにより、彼の評価を下げたかもしれないが、この場では大目に見ることにしよう。

    ウォーカーは、トッテナムでの最後の数年間、イングランド代表とプレミアリーグで最も優秀な右サイドバックであり、それが誰の目にも明らかだったため、2017年、マンチェスター・シティはまさにそのために、彼に5,000万ポンド(約98億円)を注ぎこんだのだった。不公平にも彼は『責任』を負わされてしまったが、ペップ・グアルディオラが彼をエリートのDFに変えたと称賛することは、ポチェッティーノが率いていたスパーズで彼が成し遂げた進化を完全に見落としていることになる。

  • Carling Cup Semi Final 1st Leg: Tottenham Hotspur v ArsenalGetty Images Sport

    15ディミタール・ベルバトフ

    ディミタール・ベルバトフは、わずか2シーズンしかトッテナムの選手ではなかったが、その2シーズンがあまりにも印象的だったため、ライバルのファンは彼がもっと長く所属していたと思っている。2006年にイングランドに来たとき、すでにレヴァークーゼンで大量のゴールを決めていたことから無名の選手ではなかった。最初の段階でもっと大きな移籍を果たせなかったことは、正直いって侮辱的なことであった。

    それでもベルバトフは加入した際の価格に見合う選手だった。ピッチの上ではいつでも、類を見ないほど技術的な才能にあふれていたことは明らかである。トッテナムでは46得点を記録し、クラブ最後のカップ戦優勝の際にも得点を挙げた後、マンチェスター・ユナイテッドに3,250万ポンド(約63億円)で移籍した。

  • Tottenham Hotspur v FC Internazionale Milano - UEFA Champions LeagueGetty Images Sport

    14ラファエル・ファン・デル・ファールト

    ベルバトフと同じく、ファン・デル・ファールトは在籍した2年間でトッテナムに大きな変革をもたらした。彼が締切日にレアル・マドリーから衝撃的に加入したことは、今でも、ダニエル・レヴィ会長とトッテナムの大株主であるENICのもとで行われた、最も注目されたな契約である。

    スパーズが、2010年ワールドカップの決勝でプレーしたばかりのファン・デル・ファールトのようなスーパースターを獲得できたことは驚きだった。当然のことながらファンはこの元オランダ代表に期待を寄せたが、彼はその期待に応え、クラブの現代史における最も重要な得点をいくつも決めた。

  • TOPSHOT-FBL-EUR-C1-MAN CITY-TOTTENHAMAFP

    13トビー・アルデルヴァイレルト

    サウサンプトンが、当時アトレティコ・マドリーに所属していたアルデルヴァイレルトとの交渉を横取りしたとして、法的措置を取るとトッテナムを脅した時のことを覚えているだろうか。あの頃が懐かしい...

    実際には訴訟を起こすほどの理由はなかったとしても、このDFがスパーズで、サッカーをまったく新しいレベルに引き上げるのを見て、悔しい思いをしたことは間違いないだろう。アルデルヴァイレルトは、同じベルギー代表でアヤックスでもチームメイトだったフェルトンゲンと再会し、ヨーロッパ最高のセンターバックのコンビを形成した。

    アルデルヴァイレルトにはビッチを横切るどんなパスでも出すことができ、髪の毛一本も乱すことがなかった。まさに最高の男らしいプレーだった。

  • Tottenham's Robbie Keane celebrates afteAFP

    12ロビー・キーン

    2002年にトッテナムに加入して以降、キーントッテナムそのものだった。この元アイルランド代表にはカリスマ性があり、クラブが再び競争力を持てるようになるまでの長いあいだ、クラブに楽しみをもたらせたのはキーンただひとりだった。

    キーンは誰とでも前線でプレーすることができた。デフォー、クラウチ、ベルバトフ、フレデリック・カヌーテ、ミド、誰でも大丈夫で、何とかして結果を出す選手だった。得点することで愛され、ゴールを決めた後の前転によって愛され、エネルギー溢れるプレーで愛され、2009年には当時の監督レドナップの意向に反してクリスマスパーティーを開催したことで愛された。

  • Birmingham City v Tottenham Hotspur - Premier LeagueGetty Images Sport

    11ジャーメイン・デフォー

    キーンとデフォーの順位については、おそらく異論と論争があるだろう。二人の間には大きな差はなく、全盛期にはキーンのほうが優秀な選手だったかもしれない。

    しかし、デフォーは最終的にトッテナムでより多くの得点を決め、クラブの歴代ランキングで7位にランクインしており、いったん去ったホワイト・ハート・レーンに再び戻って、どちらの時期にも活躍したことで、前線でのパートナーだった元アイルランド代選手よりも成功を収めた。二人の間に真に差がつくのは、そういうところである。

  • FBL-ENG-LCUP-ARSENAL-TOTTENHAMAFP

    10デレ・アリ

    デレ・アリにはまだまだこれから可能性があるが、それでもトッテナムでのキャリアを楽しんだことは間違いない。現代におけるフランク・ランパードの再来であり、ジュード・ベリンガムの1.0バージョンであるこの神秘的なMFは、スパーズが投資した500万ポンド(約9億7,000万円)が最高に報われた結果のひとつである。

    ベン・デイヴィスは、デレの絶え間ない努力と恐れを知らぬ姿勢が彼を際立たせ、そのことがトッテナムでの最初の3シーズンでの得点力の土台となったと語った。デレは無邪気な少年ながら悪童の一面を持ち合わせ、親しみやすい顔を持ちながら恐ろしい敵だった。

    デレがこれからどうなろうとも、彼には常にスパーズという心のよりどころがある。それは決して奪われることはない。

  • Tottenham Hotspur's Croatian midfielderAFP

    9ルカ・モドリッチ

    ルカ・モドリッチは、トッテナムを離れてレアル・マドリーに移籍する前でも、バロンドールに値する選手だっただろうか。もちろん、それは違う。だが、ホワイト・ハート・レーンを去ってから突然ワールドクラスの選手になったわけではもない。

    サッカーを半分でも理解しているスパーズのフォロワーなら、ロス・ブランコスに行く前に、ガレス・ベイルやファン・デル・ファールトがいたピッチの上で、この小柄な元クロアチア代表が定期的に最高の選手となり、どれだけ素晴らしかったか、語ってくれるだろう。モドリッチの影響力はキャリックのように控えめではあったが、キャリックよりも大規模なものだった。

    彼は決して間違った決断をしなかった。すべてのパスが完璧だった。モドリッチのようなプレーは教えることができない。そう、彼はレアル・マドリーに来る前から、本当に優れた選手だったのだ。

  • Arsenal v Tottenham Hotspur - Premier LeagueGetty Images Sport

    8ムサ・デンベレ

    時折話題になる有名な動画がある。ムサ・デンベレのトッテナムでの元チームメイトたちが、デンベレを、ハリー・ケインさえも超える当時のスパーズの最高の選手として賞賛する様子を映した動画だ。

    ケガで苦しんでいない時、デンベレはひとりで中盤を支配していた。2015-16シーズンには、207回のデュエル(ドリブルとタックル)を行い、そのうち失敗したのはわずか20回で、成功率は90.3%だった。まったく信じられないことである。どんなに表現しようとしても、この驚異的な数値を表現することはできない。

    デンベレはまた、偉大なエンゴロ・カンテを凌駕した数少ないMFのひとりという名誉も誇っている。このリストにある多くの選手のように、デンベレはスパーズでタイトルを獲得することはできなかったが、その伝説は文字どおり信じられないような逸話を通じて今もなお語り継がれている。

  • Tottenham Hotspur v Sporting CP: Group D - UEFA Champions LeagueGetty Images Sport

    7ウーゴ・ロリス

    サッカー界最高の現代的なGKのひとりが、キャリアと全盛期の大半を過ごしたトッテナムでは何も獲得できなかったのに、フランスをワールドカップの栄光に導けたというのは、確かに奇妙な話である。

    しかし、それは少し簡略化しすぎた話だ。ロリスは10年間、たとえタイトルは獲得できなかったとしても、ヨーロッパで予想以上の成績を収めた最高のチームのひとつのキャプテンを務めていた。そのクラブを描いた『Amazon』の有名なドキュメンタリーは、ロリスの舞台裏でのリーダーシップに大きな光を当てた――たとえ世界で最も親切な男であるソン・フンミンと殴り合いになりかけたとしても。ロリスはスパーズを深く愛し、その素晴らしさをトロフィーに変えられなかったことについて、今もなお上層部の責任を問おうとしている。

    ロリスは、スイーピングとラインを離れての敏捷さをもつ現代的なGKとしてスパーズに加入したが、彼の失墜は皮肉にも時代遅れの配球と頻繁に起こるミスが主な要因であった。

  • Tottenham Hotspur v Borussia Dortmund - UEFA Champions League Round of 16: First LegGetty Images Sport

    6ヤン・フェルトンゲン

    「スーパー・ヤン」はトッテナムのファンにとって永遠にスーパーヒーローである。彼が2012年にアーセナルを拒否してトッテナムに加入することを選んだことは、彼の運命であるように感じられた。

    ヨーロッパ中が、たやすくボールを保持できるが守備において完全に無防備ではないという、いるはずのない左利きのセンターバックを探し求めている間、スパーズは安心してくつろいでいられた。その条件にぴったりのフェルトンゲンがいたからだ。

    全盛期のフェルトンゲンは、アルデルヴァイレルトの隣でトッテナムのために全力を尽くした。しかし残念なことに、チャンピオンズリーグのアヤックス戦で頭部に重傷を負い、そこからの復帰を急いだせいで、衰退が加速してしまった。

  • Manchester City v Tottenham Hotspur - Premier LeagueGetty Images Sport

    5レドリー・キング

    ほぼすべての人が、レドリー・キングは、リーグ優勝を果たせなかったトッテナムの選手の中で最高のDFだと言っている。膝のケガとその周りの軟骨の不足に悩まされなかったら、彼はスパーズでそれほど長くプレーしていなかったかもしれない。

    元イングランド代表のキングは、アーセナルのライバル、ティエリ・アンリからプレミアリーグで最も手強い対戦相手と称されており、唯一クリーンかつファウルなしでボールを奪い取ることができた選手だと言われている。最後にトロフィーを掲げたトッテナムのキャプテンがキングであったのは当然のことであった。

    キングは膝の問題の深刻さから32歳で引退を余儀なくされたが、キャリア全体でイエローカードをわずか8枚しか受けておらず、誰からも尊敬されている。このことは、前述のデンベレの記録よりも驚くべきことかもしれない。

  • FBL-EUR-C1-TOTTENHAM-INTERAFP

    4クリスティアン・エリクセン

    トッテナムの歴史の中で、クリスティアン・エリクセン以上にその影響力が過小評価された選手はいない。誰もいない。本当に誰も。

    ケイン、ソン、そしてデレは見出しを飾るスター選手だったが、彼らを操っていたのはエリクセンだった。あの3人が先発から外れたり戻ったりすることがあっても、他の選手の得点で補うことができたが、あの偉大なデンマーク代表がピッチにいない時のスパーズの試合は残念なものだった。

    さらに素晴らしいことに、エリクセン自身もかなりの得点者で、試合終盤の同点ゴールや決勝点を13回も決め、さらにミドルシュートも23本も決めている。ポチェッティーノが監督をしていたトッテナムで、彼ほど頼れる選手はいなかった。どちらの足でもプレーすることができ、ゴールから20m以上離れたところからパスやシュートを決められたのだ。そんな選手が簡単に見つかるわけがない。

  • FBL-ENG-PR-TOTTENHAM-MAN CITYAFP

    3ガレス・ベイル

    確かに彼の順位は3位だが、それはトッテナムに対するベイルの功績を考えれば正当とは言えない。結局のところ、彼は2つの異なる点で「隠しコマンド」と呼ばれるほどの選手であった。

    インテルの右サイドバックだったマイコンの魂を引き裂くように登場したベイルは、祖国ウェールズの先輩ライアン・ギグスの全盛期以来の純粋なタッチライン・ウイングだった。左サイドを駆け抜ける彼は、誰にも止められなかった。

    レドナップが試みながら短命に終わった逆ウインガー戦術で、スパーズのファンは「ガレス・ベイルは左でプレー」と唱えた。しかし、後任の監督となったアンドレ・ビラスボアスはそんな感情にはこだわらず、ベイルを今日思い起こされる驚異的なインサイドFWへと変貌させる手助けをしたのだった。

    トッテナムのレギュラーとして最後のシーズン、ベイルはいくつもの劇的なゴールを決め、その結果チームを破滅から救って、8,500万ポンド(約165億円)という世界最高額で夢だったレアル・マドリーへの移籍を果たした。平凡なチームを泥の中から引っ張り出し、当時のプレミアリーグで最高記録である72得点を達成した彼を、誰も咎めることはできなかった。

    さらに、ベイルは、ロックダウンが影響した2020-21シーズンにスパーズにレンタルで復帰し、ファンが夢にみたケインやソンとの連携を復活させた。なんという冒険だったことか。

  • FBL-ENG-PR-TOTTENHAM-WEST HAMAFP

    2ソン・フンミン

    ソンはエリクセンほど過小評価されていないものの、依然として充分には評価されていない。奇妙なことに、他のクラブのファンの方がスパーズにおける彼の価値を高く評価しているようなのだ。

    韓国代表のソンはトッテナムで10シーズン目を迎え、現在はクラブのキャプテンを務めている。いろいろな点で、過去および現在の生え抜き選手よりもクラブを愛している。彼より多くスパーズで得点を記録している選手は4人しかおらず、外国籍選手としてはクラブの歴代最多得点者である。

    クラブレベルでのタイトルには手が届いていないが、他の様々な記録を打ち立てている。最も注目すべきは、2021-22シーズンにアジア人として初めてプレミアリーグのゴールデンブーツ賞を受賞し、1年間PKを蹴らなかったにも関わらずモハメド・サラーの23得点と並んだことである。

    統計や数字の厳しい現実を超えて、全盛時のソンはあらゆるスポーツにおいて最も楽しい選手のひとりだった。その実力は、2019年12月のバーンリー戦での独走でプスカシュ賞を受賞したことでも証明されている。彼の人間性あるいはサッカーのレベルの高さを愛さないわけにはいかない。

  • FC Barcelona v Tottenham Hotspur - UEFA Champions League Group BGetty Images Sport

    1ハリー・ケイン

    ここに名前があがるべき選手はひとりしかいない。ケインについての本当の疑問は、彼がこの時代だけでなく、トッテナムの歴代の偉大な選手の中でどの位置にランクされるかということだ。

    完全に不可能ではないにせよ、いかなる選手もケインのスパーズでの280得点を上回ることはほとんどあり得ないことであろう。右足、左足、ヘディング、長距離シュート、タップイン、決勝点、同点ゴール、あまり意味のない得点まで、彼はあらゆる得点をあげている。

    異常なほどのパス範囲の広さにさらに磨きをかけ、試合中にアシストをするようになると、ケインはまったく別次元の選手になっていき、2020-21シーズンには、プレミアリーグのゴールデンブーツ賞とプレーメーカー賞を受賞した。ところがどうしたことか、年間最優秀選手賞は受賞していないのである。

    ケインがバイエルン・ミュンヘンへ痛みを伴う移籍をしたことからトッテナムのファンが得られる慰めがあるとすれば、それは彼ら以外の人々が、ケインがどれほどの怪物かをようやく理解したということであろう。考えてみれば、ケインが初めてスパーズのトップチームに入ったとき、彼は単なるミームに過ぎなかった。それがサッカーというものである。