Amad Diallo Man Utd GFXGetty/GOAL

リヴァプール戦で劇的勝利をもたらしたアマド・ディアロ。マン・Uでのキャリアを構築するチャンスへ

その週はアマド・ディアロがSNSでマンチェスター・ユナイテッドに関する書きこみをすべて消去し、不可解なフランス語のメッセージを書きこんだことから始まった。その文章を翻訳すると、こうだ。「すべてが終わる」。そしてディアロがエリック・テン・ハーグ監督に無視されることに我慢ならなくなり、チームを出ていこうとしているのではないかという真偽不明の憶測が広まった。

だが、先週末のリヴァプール戦でアマドは今シーズンの赤い悪魔で最も重要なゴールを記録し、オールド・トラッフォードで野性的なセレブレーションを披露したのだった。

「アマドはずっとハードワークをしてきたが、望むようなチャンスを得られなかった。だが、もっとチャンスが欲しいのなら、今夜の試合のようなプレーで実力を証明すればいい」と、試合後にマーカス・ラッシュフォードは言った。さらにブルーノ・フェルナンデスもこう言った。「アマドは正しいことをしてきた。それが報われた。当然の結果だ」

アマドのゴールは、マンチェスター・Uの大逆転勝利を締めくくるものであり、自身の復活を大々的に知らしめるものであった。ほとんど忘れられていた選手から、今からでも今シーズンの重要な役割を果たし、マンチェスター・Uでの未来を描ける選手へと変わったのだ。

  • Amad Diallo Atalanta 2019-20Getty

    天性の才能

    当然のように、アマドはリヴァプール戦の121分でのゴールを「人生最高のゴール」だと評したが、マンチェスター・Uでの静かすぎるキャリアを考えれば、比較するほどゴール数が多かったわけではない。3年前、アタランタから合計3,700万ポンド(約71億円)の取引で移籍してから、たった2ゴール目なのだ。

    最初の得点は2021年3月、ヨーロッパ・リーグのミラン戦でのヘディングシュートで、新型コロナウイルスによる無観客試合だったため、スタジアムは空っぽだった。その後、その最初の得点を弾みにして躍進するチャンスを得ることはできず、マンチェスター・Uでの最初のシーズンはわずか12試合に出場しただけ。先発はそのうちの3試合のみだった。

    アマドが加入した当時、マンチェスター・Uの監督だったオーレ・グンナー・スールシャールは、18歳だったアマドを「サッカー界で最もワクワクさせる若手の期待のひとりで、マンチェスター・ユナイテッドの主力となるのに必要な天性の才能をすべて持っている選手」と絶賛した。

    しかし、このノルウェー人監督とその後任のラルフ・ラングニックが、アマドのことを荒削りすぎると感じていたことは明らかで、2022年1月にはレンジャーズにレンタル移籍されることとなった。グラスゴーのチームでも活躍することはできず、スコティッシュ・プレミアシップで出場したのは合計14試合、先発は4試合だけだった。

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  • Amad Diallo Rangers 2022Getty

    でこぼこの道

    それもまたアマドにとってヨーロッパ・サッカーでの困難な道のりでぶつかった壁であったが、それ以前にも、選手の人身売買疑惑の捜査に巻きこまれたことがあった。

    2021年、アマドは父親と称するハメド・ママドゥ・トラオレとともにコートジボワールからイタリアに入国する際に偽造書類を使用したとして、イタリア・サッカー連盟から4万8,000ユーロ(約790万円)の罰金を科せられた。アマドはアマド・ディアロ・トラオレという名前で知られていたが、それ以降、物議をかもした事件と自身を切り離すべく、名前から「トラオレ」を外している。

    アマドは昨シーズン、チャンピオンシップに属するサンダーランドにレンタル移籍して自身の才能を再披露し、17得点を挙げたが、その多くがペナルティーエリアの外からの目の覚めるようなゴールであった。その当時スタジアム・オブ・ライトで監督だったトニー・モウブレイは、アマドに「マジシャン」というニックネームを付けたが、アマドは黒猫ことサンダーランドをプレーオフ進出に導いたものの、最終的にはルートン・タウンに敗れたのだった。

  • Amad Diallo Manchester United 2023Getty

    ケガの悪夢

    アマドのマンチェスター・U復帰は大いに騒がれ、プレシーズンマッチのリーズ戦やリヨン戦でも注目された。しかしながら、赤い悪魔の「アメリカツアー」の初戦のアーセナル戦で、膝に重傷を負ってしまった。

    このケガはアマドにとってとてつもない不運だった。コンディションさえ良ければ、メイソン・グリーンウッドがヘタフェにレンタル移籍し、ジェイドン・サンチョがエリック・テン・ハーグ監督との対立から規律違反で離脱し、アントニーもDV(ドメスティック・バイオレンス)疑惑の告発により自粛したため、マンチェスター・Uのトップチームでのチャンスを得られるはずだったのだ。

    アマドが復帰したのは5カ月後の12月のノッティンガム・フォレスト戦。途中出場であり、2対1で敗れた試合だったため、ハッピーな復帰とはならなかった。しかしながら、アマド自身は期待がもてるプレーを大いに見せ、テン・ハーグ監督からそれなりの評価を得た。

    「ボールのキープ力が高い。決定機を作れるプレーをし、キラー・パスを出せるし、得点もとれる」と、監督は言った。「彼はいくつもの武器をもっていると思う。オフェンスの選手たちに常に求められていることだ」。

  • Amad Diallo Man UtdGetty

    武器を披露

    アマドをここまで称賛したテン・ハーグ監督だったが、その後のチャンスは少なかった。6週間にわたって起用されず、次にマンチェスター・Uが負けた試合で残り10分プレーしたのみだった。過去に起用されなかったのはコンディション不良のためであり、その試合に先発できなかったことでアマドは気分を害したに違いない。というのも、代わりに出場したのが、それまでトップチームでの経験が全くなかったオマリ・フォーソンだったのだ。

    その後、FAカップの5回戦のノッティンガム・フォレスト戦で17分間プレーしたが、続くマンチェスター・シティ戦とエヴァートン戦ではベンチ入りしただけで終わった。日曜の試合でテン・ハーグ監督がアマドに出番を告げたとき、マンチェスター・Uは試合時間残り5分でリヴァプールにリードされており、絶望的な雰囲気が漂っていた。

    あのまま赤い悪魔が負けていたら、アマドにとってマンチェスター・Uでの残念なキャリアに、またひとつ失意のエピソードが積み重なっていたことだろう。だが、アントニーのゴールで試合は延長戦に突入した。両チームが激しく攻撃しあう混乱の中、アマドは戦意をむき出しにしていた。そしてテン・ハーグ監督に言われた「武器」を披露したのだ。

    アマドはボールが来るのを待ってはいなかった。自分から取りに行ったのだ。アマドがダルウィン・ヌニェスからボールを奪ったことで結果的にスコット・マクトミネイへボールが渡り、そこからのパスでマーカス・ラッシュフォードが同点ゴールを決めたのである。

    アマドは、リヴァプールにボールが渡るたびに執拗にボールを追いかけ続け、ペナルティ合戦になろうかという時間にリヴァプールがコーナーキックを獲得すると、まさにアマド自身がハーヴェイ・エリオットからボールを奪い、そのボールがアレハンドロ・ガルナチョに渡って、ガルナチョはピッチを激走した。ガルナチョからパスを受けたアマドは、最初はガルナチョにボールを戻すことを考えたが、自分で決めることを決断。そして、見事にそれを成し遂げたのである。

  • Amad Diallo Man UtdGetty Images

    「大きな挫折」

    テン・ハーグ監督は、今シーズンと過去のアマドの苦闘を思いやり、この21歳の選手に「おめでとう」と言った。「彼は、大きな挫折を経験した選手のひとりだ」と、監督は言った。「競争相手の多いポジションに帰ってきて、必ずしも彼のプレーに報いるような時間を与えられていなかった。だが彼はやりつづけ、ゴールを決めてチームに貢献した」。

    アマドは次のブレントフォード戦ではプレーできない。リヴァプール戦で狂喜乱舞のセレブレーションにまきこまれてユニフォームを脱ぎ捨ててしまい、2枚目のイエローカードを受けたのだ。同じ試合ですでに1枚イエローカードをもらっていたことを忘れていたと後に告白している。彼のこれまでの苦労を考えれば、嬉しすぎてはしゃぎすぎたことを誰が批判できるだろうか。

    今後、ますますチャンスが増えるだろうが、マンチェスター・Uでウィングのポジション争いが熾烈な時期に復帰したことはアマドにとって不運ではある。ラッシュフォードが復調して左サイドにいたガルナチョが右サイドを自分の居場所としているし、残り試合が少なく、マンチェスター・Uがチャンピオンズリーグ出場権を目指して躍起になっている中、途中出場に甘んじなければならないことが多くなる可能性が高い。

    だからこそ、アマドはこう言い放った。「僕はベンチスタートだけど、いつでもピッチに立ってチームのために戦う準備はできている。チャンスが来るのを待っている。僕にとってはすべての試合がチャンピオンズリーグの決勝と同じだ」。

  • Antony Amad Diallo Manchester United 2023-24Getty Images

    激しい旅は終わらない

    SNSへの投稿がさまざまな憶測を呼んだにも関わらず、アマドはマンチェスター・Uでの復帰と定着をめざしてハードワークを続けてきたことを強調した。

    「昨シーズンはサンダーランドにいたけど、チャンスを求めてここに来た」と、アマドは言う。「レンタルを続けて信頼と経験を積み重ねることが僕には重要だった。そのおかげで今はマンチェスター・ユナイテッドにいる。ここに居られてとても幸せだ。マンチェスター・Uでプレーすることが夢だったから、ここに居られるのは、僕にとってとても特別なことだ。監督は僕を信じてくれている。僕を大いに信頼してくれているし、それが続くように頑張りたい」。

    テン・ハーグ監督はアマドの人生を楽にしてくれたわけではないが、他の選手に対してもそれは同じである。例えば、ガルナチョは10月の頃は控えだったが、現在は先発メンバーの筆頭のひとりで、マンチェスター・Uで最もエキサイティングなストライカーとなっている。

    ケガの功名ということもありうる。最後の7週間、マンチェスター・Uは厳しい試合が続くことが予想される。FAカップで決勝に進出すれば、最大12試合を戦うことになるのだ。

    マンチェスター・Uが5月にウェンブリーに戻ることができれば、そこまでたどりつけたことをアマドに感謝することになるだろう。テン・ハーグ監督は今シーズンだけでなく来シーズンも、アマドにより多くのチャンスを与えてくれるかもしれない。うまくいけば、最初の5カ月を膝のケガの回復にあてたこともハンデにはならないはずだ。

    アマドのマンチェスター・Uでの挑戦は混沌だ。だが、リヴァプール戦での偉業を見れば、その挑戦はまだまだ終わらないことがわかる。そして、さらに魅惑的な瞬間が数多くやってくることだろう。