セルヒオ・ラモスがレアル・マドリーを去ることになった。だが、サンティアゴ・ベルナベウで彼が成し遂げたことはクラブの歴史に永遠に刻み込まれる。
サッカー界で最大級の個性を持ち、エゴに溢れた存在だが、それを裏付けするクオリティを持つラモス。木曜日に白のユニフォームに別れを告げた。記者会見では話し始めて10秒も経たずに涙をこぼした。
「自分の人生の中で最も難しい瞬間の一つがやって来た。レアル・マドリーと別れる瞬間が訪れたんだ。心が揺り動かされるのは避けられない。レアル・マドリーに感謝したい。このクラブはいつだって僕の心にある。美しかった日々が今、終わるんだ。同じような日々はもう過ごせないと思っている」
この静かな別れは、スペインの首都で重ねた超一流のキャリアにふさわしいものではないかもしれないが、この35歳のラストイヤーをただ傍観することもできない。
「レジェンド」という言葉はよく使われるものだが、ラモスにとってはそれでも十分ではないかもしれない。
■数字だけでは評価できない価値
Getty/Goalアンダルシア出身のラモスはレアル・マドリーで16シーズンを過ごした。671試合に出場し101ゴールを記録。掲げたトロフィーの数は22個。これより多いのは1950年代から60年代に活躍したパコ・ヘント(23個)だけだ。彼は6度ヨーロッパ王者に輝いているが、4度のラモスと直接比較することはできない。ラモスの記録はサッカーが進化した現代に達成したものだからだ。
ヨーロピアン・カップが1992年にチャンピオンズリーグ(CL)となってから長らく連覇を達成するチームは現れなかった。だが、2016年から2018年までラモスはキャプテンとしてチームを率い、3シーズン連続でトロフィーを掲げることに成功した。
ただし、おそらく彼が最も活躍したのは2014年の戴冠のときだろう。
93分に記録したラモスのヘディング弾によって、アトレティコ・マドリーと戦ったCL決勝は延長戦へと突入。これが優勝の口火を切るゴールとなり、マドリーにとって喉から手が出るほど欲しかった10度目の戴冠「ラ・デシマ」を達成した。マドリーはこの瞬間を10年間待ち続けていたが、これを実現した男こそがラモスだったのだ。
だからこそ、数字だけでは彼の本当の価値は評価できない。数字と同様に、強く印象に残る男なのだ。過去16年間にわたるマドリーでの価値を示すデータは多くあるが、それだけではラモスの本質は理解できないだろう。
新シーズンから再びマドリーで指揮を執るカルロ・アンチェロッティは著書『Quiet Leadership』でラモスについてこのように記している。
「ラモスはいわばパーソナリティ・リーダーと呼ぶべき存在だ。強い個性を持ったリーダーだ。決して恐れず、決して心配せず、常にポジティブだ」
■語り草は…
Gettyラモスの荒々しさ、感情を全面に押し出すディフェンスが見れなくなると寂しくなるだろう。彼をキャプテンたらしめたのはこのスタイルであり、これは数字には現れない類のものだ。非難する者も少なくはないが、キャリア通算26枚のレッドカードは、彼の好戦的な性質を表している。
ラモスはクラブ加入当初は右サイドバックでプレーしていたが、センターバックとしての立場を勝ち取った。そして、一度ポジションをつかみ取ってからは動くことはなかった。
能力の高いディフェンダーであり、それよりも優れたリーダーでもあるラモスの物語は、クリーンシートの数で語られるものではない。瞬間瞬間の出来事や、感情、PKでのパネンカ、土壇場でのスライディングタックルこそが語り継がれるはずだ。アトレティコ相手に決めた件のゴールだけではなく、2014年準決勝セカンドレグでバイエルン・ミュンヘン相手に決めた2つのヘディングゴールも語り草だ。このゴールのおかげでマドリーは12年ぶりのCL決勝進出を果たしたのだ。
若いレアル・マドリーファンはラモスがいないチームを思い出すことができない人が多いだろうし、年齢に関わらず、単純に知っていたとしても思い出せない人はもっと多いだろう。
マドリーでラモスがデビューを飾ったのは2005年9月のことだ。ヴァンデルレイ・ルシェンブルゴ監督の指揮下でベンチ入りしたラモスはフランシスコ・パボンと交代でピッチに入ったが、ベルナベウでセルタ相手に2-3と敗れた。セビージャから2700万ユーロ(約35億3600万円)で加入したラモスにかかる期待度はそれ以降高くなっていったが、そんな期待も圧倒的に上回る活躍を続けてきた。
2010年にはペペが膝の故障に悩まされ、ラモスは守備陣の中心としての地位を確たるものに。後にペレス会長と争うこととなり、マンチェスター・ユナイテッド移籍まであと一歩のところまで迫ったが、最終的には契約を延長。ペレス会長がファンから強い反発を受けていたこともあり、ラモスのレジェンドとしての座は揺らがなかった。
■永遠のキャプテン
Gettyクラブ側はそうは思っていないのかもしれないが、ジネディーヌ・ジダンの下でラファエル・ヴァランとともに重要な役割を果たしていた。ラモスは述べ12人の監督の下でプレー。もしジダンの第二次政権を数に入れるのであれば、13人だが、いずれの指揮官にも不動の守備の柱として重宝された。
キャリアを通してアグレッシブさが落ちることはなかった。それはモハメド・サラーも2018年のCL決勝で体感したことだ。褒められることではないが、評価はされて然るべきだろう。
バルセロナとの長年のバトル。
クラシコでのライバル関係におけるその役割。
サポーターを鼓舞するメッセージの数々。
クラブの為に「白い」血を流し続けたこと。
そのすべてがラモスが残した功績だ。
「彼は私たちのキャプテン、私たちのリーダーだ。ずっとここにいてほしいと思っている」とジダンはクリスマス前に語っていた。だが、監督はチームを去り、ラモスも後に続いた。
純粋にディフェンダーとしての能力だけで言えば、ラモスの上を行く選手はいくらかいる。個性だけで比べればクリスティアーノ・ロナウドの方が上であるし、アルフレッド・ディ・ステファノやジダンもそうだろう。
だが、21世紀のレアル・マドリーの象徴としては、永遠のキャプテンの上に立つものは誰もいない。
C・ロナウドがマンチェスターで活躍し、後にトリノへ向かったときも、ラモスは120%マドリーに尽くしてきた。セビージャからのルートを経ていたとしても、そして、ラモスが次にどんなキャリアを描こうともその事実は変わらない。
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