みなさん、こんにちは。スポーツコメンテイターの野村明弘です。今回はチャンピオンズリーグ(CL)決勝まで5日間にわたって、2度目の欧州制覇を目指すチェルシーに関して、様々なテーマで綴りたいと思います。第1回は自己紹介もかねて、「私のチェルシー愛」について。
■些細なキッカケから…
(C)Getty Imagesイングランドフットボールに魅せられた私は2003年、長崎の局アナを辞めて渡英しました。2003-04シーズンは、アーセナルが無敗優勝を達成したシーズン。アーセナルの試合を中心に観たいなぁと思っていたものの、当時“インビンシブルズ”と呼ばれたチームは大人気の上、ハイバリー・スタジアムのキャパシティーは小さく、チケットはなかなか手に入りませんでした。
一方で、稲本潤一選手が在籍していたフラムやアブラモビッチオーナーが買収したばかりのチェルシーなどのチケットは比較的、簡単に入手できる状況。そのため私は、フラムやチェルシーの試合を中心に観戦することに…。
すると、エルナン・クレスポやフアン・セバスティアン・ベロン、マルセル・デサイー、エマニュエル・プティ、ジミー・フロイド・ハッセルバインク、クロード・マケレレら経験のある選手に、ジョン・テリー、フランク・ランパード、ダミアン・ダフ、ジョー・コール、エイドゥル・グジョンセンといった魅力的な選手たちをイタリア語まじりの英語で冗談を飛ばすクラウディオ・ラニエリ監督が率いるチェルシーに徐々に惹かれていく自分がいました。
当時、アブラモビッチオーナーがラニエリ監督に科した至上命題はタイトル獲得。リーグ戦では優勝争いを演じ、CLでは準決勝へと駒を進めたものの、プレミアはアーセナルが優勝(結局、シーズン無敗の偉業を達成)。残すチャンスはCLのみに…。
(C)Getty Imagesそこで迎えたCL準決勝のモナコ戦。アウェイでのファーストレグを1-3で落として後がないチェルシーは、ホームに戻ってのセカンドレグで2点を先行。そのままいけばアウェイゴール差で勝ち上がるところまでいったものの結局、追いつかれて2-2に…。
そのままならば、CL敗退=無冠=ラニエリ解任というシナリオ。そして迎えたアディショナルタイム、スタンドのどこからともなく、『ラニエリへのチャント』が…。その声はスタジアム全体に広がっていく…。時を同じくして試合終了の笛――。
通常、イングランドのサポーターは帰りの混雑した駅で並ぶのが嫌なので、試合終了の笛と同時に一斉に席を立ちますし、敗戦・敗退が濃厚なゲームでは終了を待たずに家路につくことも多いのですが、この日ばかりは試合終了の笛が鳴っても多くのサポーターが席から動かないどころか、ラニエリへのチャントを歌い続けたのです。
(C)Getty Imagesピッチでは何度もあったチャンスを決められなかった責任を感じ、泣きながらうずくまっていたグジョンセンをジョン・テリーが抱きかかえ、「やるだけのことはやったんだ。胸を張ろうぜ」と言わんばかりに、スタンドに向かって高々と拳を突き上げました。それに呼応するかのように、鳴りやまんばかりの拍手がスタンフォード・ブリッジに響き渡りました。
私のハートがチェルシーに射抜かれた瞬間です。この時、私はチェルシーと恋に落ちました。その『パッション』に惚れてしまったのです。
■変わらぬ愛情
(C)Getty Imagesロンドン在住時、好きなフットボールクラブを尋ねられ、「チェルシーだ」と答えると大抵、舌打ちをされました。金満クラブのチェルシーは当時、完全に嫌われていたのです。チェルシーは金で築いたチームで、パッションがないと思われがち…。しかし、私は声を大にして言いたい。
チェルシーは「パッションに満ち溢れたクラブなのだ」と…。
あれから17年…。チェルシーがプレミアの優勝常連クラブになり、CL優勝クラブとなり、日本でも若いファンが増えましたが、僕のチェルシーのパッションに注ぐ愛は変わりません。他のクラブのファンにわかってもらえなくても良いのです。同じパッションを感じた仲間にだけわかってもらえれば…。
私がそう感じているように、ファンひとり一人にそれぞれの物語やドラマはあります。これまで私はCL決勝を7回現地で観戦していますが、毎回違ったファンの想いや歓喜に溢れていました。イスタンブールの奇跡のリヴァプール、ジョゼ・モウリーニョのポルトやインテル、歴代最多優勝のレアル・マドリーも...。
そして、今回のCL決勝でも両チームのファンにとって新たな1ページが刻まれるのは間違いないですし、この試合をキッカケにどちらかのクラブのファンになる方も生まれると思います。人々の心を動かす欧州最高峰の決戦、今から待ちきれません。(第2回に続く)
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文・野村明弘

1975年生まれ、東京都出身。1998年に長崎文化放送に入社し、記者・アナウンサーとして活動。2003年に退社後、渡英して現地のフットボール文化に触れる。帰国後はフットメディアに所属し、プレミアリーグやチャンピオンズリーグ、Jリーグなど国内外のサッカー実況を担当してきた。2020年に独立してフリーとなった現在、スポーツコメンテイターとして様々なメディア、媒体で活躍の場を広げている。




