■呼吸困難
パンデミックが私たちをおかしくした。考え方を一変させてしまったのだ。もう、長い目で見ることなどできやしない。今、私たちがつくることのできるプランは長くてもせいぜい1週間で、背中に鋭い痛みが走る恐怖をなくさずに羅針盤で未来を探すことは難しくなってしまった……。とにかく今できるのは、その日稼ぎの生活だけ。ときに敵なしと自惚れていた私たちは、怯えながら、震えながら生きている。
私たちを壊滅へと追い込むかのように吹き荒れた健康被害の暴風雨の中で、バルサの顔つきは大きく変化したわけではない。彼らはラ・リーガの中断期間の前からすでに行き当たりばったりだった。マスクもしていないのに呼吸困難に陥り、一つの場所から出て行こうとせず……。カタルーニャのビッグクラブは、新型コロナウイルスの前から恐怖におののいていたのである。その恐怖の正体は、外で一体が何が起こっているのかを知ること。リスクを冒すこと。もう無敵ではないと悟って心身ともに打ちのめされること。バルサはこれまでずっと、もう10年以上にもわたって、レオ・メッシに抱きしめられて安心し切っていた。彼は永久的に、あらゆる疫病に対して効果を発揮するワクチン。そう思っていたのだ。もちろん今、私たちが実感しているように、そんな都合の良いものはこの世には存在しない。
■メッシファーストの限界
Gettyバルサは恐怖に怯え、正気を失い始めている。深刻であるのは、彼らが“プレーする” ということを忘れてしまったことだ。私たちはバルサのフットボールが、ペップ・グアルディオラ、さらに遡ればヨハン・クライフの延長線上にあるものだと考え続けてきた。だが、ここ数年間については、そうした視点から彼らを見ることが正しいのどうか、彼ら自身から疑義を突きつけられているようだ。今のチームはそうした見方を嫌って、聞く耳を持とうとしない。キケ・セティエンは無論のこと、ローマ教皇が歩むべき道、プレースタイル、新たなメソッドを指し示したとしても、おそらく返答が聞こえることはないだろう。
そしてジョゼップ・マリア・バルトメウ率いるクラブの上層部も、チームの部屋に入っていき、窓を開けて新たな風を入れる勇気を持つことができないでいる。それだけならまだしも、選手たちに巨額の年俸、契約の延長など、現状に満足させるだけのあらゆる豪華なものを与えてきたのだ。そうやって引きこもることを許された、自主隔離を続けてきたチームがその手に携えるのは、権力、経験、そして世界最高の選手である。
一つ目の権力については、すでに監督が持ち得る力すら凌駕している。二つ目の経験については、漲っていく技術に反比例する形で衰退する野心・肉体を見定めなくてはいけない。しかしジェラール・ピケが33歳、ジョルディ・アルバが31歳、セルジ・ブスケッツが31歳、イヴァン・ラキティッチが32歳、アルトゥーロ・ビダルが33歳、ルイス・スアレスが33歳と、主力が軒並み高齢であるのは、あまりにも――。
そして三つ目、こちらも33歳とベテランの域に入った世界最高の選手については……。確かにメッシは相も変わらず世界最高だが、しかしフットボール的文脈において、バルサで彼を取り巻いている環境は今やアルゼンチン代表のものに近い。一緒に世界最高峰への冒険に繰り出したグアルディオラ、権力を闘わせながらタイトルを勝ち取っていたルイス・エンリケといった監督、またチャビ・エルナンデス、アンドレス・イニエスタといった先輩選手が懐かしい。エルネスト・バルベルデは彼の機嫌を取り続けていたし、セティエンは憧れ続けた対象で、しかし激しく増長している“メッシ・バルサ”を、どうやって扱えばいいのか分からないでいる。チームメートたちが彼の顔色をうかがいながらプレーする光景は、もう見慣れたものになってしまった。たとえメッシが世界最高と言えど、フットボールはどこまでも、果てしなくチームスポーツである。全員が輝いてこそ彼も輝くというのに、バルサファーストではなく、メッシファーストのチームには限界がある。
■壊れゆく伝統
GettyImage芝生の上で、あれだけ鮮明だった旗色が剥げ落ち、壊れていくバルサを見るのは辛い。補強政策は当たらず、カタルーニャ人たちがあれだけ誇ったアスールグラナ(青とえんじ)は限りなく薄くなっている。漂白剤の使いがいがある永遠のライバル、レアル・マドリーがチャンピオンズリーグ優勝回数を増やす度に焦りを募らせていったバルサは、まるで繊細なボールタッチよりもハートの方が大切だと言わんばかりに、パウリーニョ、ビダルなどその場凌ぎの補強を繰り返していき、そのチームカラーを、その伝統のプレースタイルを薄めていった。
そして、そのアナーキーさが引き寄せたのは黄金期の復活などではなく、昨季リヴァプール戦の大逆転負けなど、黒ずんだ歴史だった。苦渋をなめながらも、今季のバルサは再びバルベルデが指揮を執り、同じスタメンが起用され、あのアンフィールドの悲劇が不慮の事故であることを信じようとした。しかし、あれは不慮などではなく、起こるべくして起こった事故としか言いようがない。
昨夏に加入したアントワーヌ・グリーズマンは、ああした事故がなぜ起こるべくして起こるのか、そのもう一つの理由を物語っているようだ。ディエゴ・シメオネに選手としての基本的な能力はもちろん、攻撃におけるインテリジェンスも買われていたフランス人FWは、バルサにとって絶対的にプラスになるべき存在だった。彼のダイアゴナル・ランをはじめとした動きは活かさない手はないが、しかし彼が生かされることはない。セティエンがグリーズマンへのパスを増やすよう指示する代わりに行ったのは、フランス人の出場機会を減らすことだった。
そしてそれから1年後、この夏に起こったことは、決算の帳尻合わせのためのチャビ後継者アルトゥール・メロ(23歳)とミラレム・ピャニッチ(30歳……)のトレードである。決算後にあるのはアルトゥールより多い年俸、高い年齢、少ない希望だ。そういえば、ネイマールは一体どこへ行ったのだろうか。彼が本当に戻ってくる頃、チームメートだった選手たちは老いさらばえているに違いない。
■自主隔離
Getty Images制御がきかず、確固たる権威もなく、今のバルサは歩を進める。メッシのインスピレーションがすベてを覆うことなどできず、逆に彼がピッチ上で勝ち取った名声は、チームメートはおろかバルトメウを凌ぐ権力を備えさせるようになった。たとえセティエン助監督エデル・サラビアの指示を無視するとしても、試合に臨む彼の目つきは強烈で、ぎらぎら輝く瞳とプレーは勝利のシンボルそのものではある。だがしかし、アルゼンチン代表と同じく、それでバルサが勝つか負けるかはまた別の話だ。バルサは負けている。レアル・マドリーに水をあけられようとしている。
バルサに希望はあるのかどうか。私たちが見る一筋の光は、17歳アンス・ファティと20歳リキ・プッチだ。それは何も、彼らが下部組織出身だからという話ではない。もちろんロマンはあるが、しかし何よりもスポーツ面の必要性によってだ。彼らが力を上げていけばチームは改善され、そして短期ではなく長期のプロジェクトを見据えられるようになる――彼らのほか、久保建英がいないことは、残念この上ないが(彼がレアル・マドリーに渡ったのもバルサが背負う罪である。しかも、それは何十年も響くようなものとなるかもしれない)。
バルサは目覚めなければいけない。自主隔離を終わらせなければいけない。その反対にあるのは、バルサがバルサではなくなるということだ。現代のフットボール界で、スポーツ面の成績が不安定となり、名門の威光を失ったクラブはいくつもある。この世界では、誰も待ってはくれないのだから。
文=ルジェー・シュリアク/Roger Xuriach(スペイン『パネンカ』誌)翻訳=江間慎一郎
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