日本代表のキーマンにも挙げられるMF守田英正は、川崎フロンターレ、サンタ・クララを経て2022-23シーズンよりポルトガルビッグ3のひとつに数えられるスポルティングへとステップアップを果たした。どのチームでも存在感を発揮してきたこのクレバーなミッドフィルダーは、どのようなメンタリティでキャリアを歩み、自身の現在地を分析しているのだろうか。
GOALでは、川崎F時代から守田を追ってきた記者によるロングインタビューを実施。海外移籍の実際や、欧州CLでの経験、そして日本代表についてまで話を聞いた。第1回は、初の欧州挑戦の場となったサンタ・クララでの苦悩や新天地スポルティングでの日々について語る。(聞き手:林遼平)
■「自問自答しながら自分と戦っていた」
サンタ・クララ時代を「キツかった」と率直に振り返る守田だが、そこで頼りになったのは、当時通訳として現地に帯同してサポートした幼馴染の存在があった。初の欧州の地で結果と実力で認められた経緯を明かす。
――ポルトガルへ移籍して1年半が経ちました。移籍の最初のクラブとなったサンタ・クララは、ポルトガル本土から離れたアゾレス諸島のポンタ・デルガダに本拠地を置くクラブでした。島での生活を含め、サンタ・クララ時代をどのように振り返りますか。
僕自身、普通の人だと息苦しく感じるところを逆に楽しめるタイプだと思っていますが、それでもキツかったです。そこでの1年半はすごく頑張ったと思います。
何がキツかったかと言うと、フリーの時間が多かったんです。よく言えば、サッカーに集中できる環境ですが、時間があるのでいろいろなことを考え始めてしまう。それがストレスでした。早くステップアップしたいという焦りもあったので、時間があるとどうしても「もっとこうしないといけない」など、本来はポジティブ思考なんですけど、すごくネガティブになってしまう時もありました。毎日、自問自答しながら自分と戦っていました。
――ピッチ内外で思い出として残っていることはありますか?
ピッチ外では、親友と夢を叶えたことです。今、ヴィッセル神戸で通訳をしている川島大典さんは、幼馴染なんです。彼は僕が流通経済大に行き、サッカー選手になって海外に行った時のことや彼自身の通訳への夢を見越して、ポルトガル語を専攻して勉強してくれていたんです。それもあって絶対にどこかで一緒に仕事しようというのが二人の夢でした。
彼はもともと奈良県のFCバルセロナサッカースクールで通訳兼コーチとして働いていたんですが、辞めてこちらに来てくれて。最初は僕のサポートをしてもらうという流れでしたが、そうこうしているうちにミーティングだけクラブに入れてもらえるようになり、どんどんグレードが上がってきて最終的に雇用してもらえるようになりました。それが一番の思い出というか、二人の夢が叶った瞬間でした。
――ピッチ内では?
チームでは、監督兼選手のような形になっていました。もちろん自分が王様みたいに立ち振る舞っていたわけではなく、例えば「戦術をもっとこうしたら良くなるんじゃないか」と周りに伝えたり、試合中に審判に文句を言ってレッドカードをもらって負けてしまうといった負のサイクルがいろいろあった中で、「それじゃダメでしょ」と子どもを躾けるような感覚で言ったり。そうやってチームをまとめたり、チームを引き上げていったりしたことがすごく思い出として残っていますね。
――それを日本人が異国の地でやることは大変だと思います。
リスペクトしてくれるようになったのは結局、結果が出たからだと思います。自信はありましたし、自分が一番うまいと思っていましたけど、結果が出て変わりました。そのあとは僕が何を言っても、周りには嫌なヤツだと思われずにちゃんと理解してもらい、受け入れてもらったことがたまたまうまくいったのだと思います。
■「僕は欲張りなんです」
(C)Getty images川崎Fで戦術的なプレーを学んできた守田だが、加入当初のサンタ・クララは「チームとしてのベースがなかった」ことに苦労したと語る。語弊はあるかもしれないが、普通の“日本人選手”が適応するのは「絶対無理」とまで断言する。ではその環境下で自身はなぜ居場所を確保するに至ったのか。その要因には、選手としての理想や貪欲さが影響しているという。
――初の欧州サッカーに接して、どのようなことを感じましたか?
やはりスピード感や圧力があり、あとはすごく野性的だなと感じました。例えば、誰かが削られたら報復行為をするというのは良くないことですけど、ある意味それもサッカーだなと。そういうイメージや知識はあっても、そこに行って初めて分かることが多くて、効率の良いものばかりではないんだと思いました。良い意味でも悪い意味でも綺麗な日本のサッカーではなく、ダイナミックなサッカーかつ数的不利でも自信を持って仕掛けて行くところなどはサンタ・クララで感じましたね。
――川崎フロンターレとはまったく違ったサッカーだった?
でも結局、全部サッカーですよね。僕は好き嫌いがないんです。やはりどのサッカーもできたほうがいいし、「こういうことをやりたい」ということがハッキリしていないのであれば、その時、その時で全部できて、かつ選べるくらいまでになればいいのではないかとずっと思っています。
今のスポルティングは「自分たちはこういうサッカーをする」というものがあるから、それをベースに合わせていく感じですけど、サンタ・クララはなかった。それが嫌ではなかったですが、苦労はしました。本当に自分以外の選手だったら「絶対に無理」だったと思います。
――「絶対に無理」というのは面白いですね。その心は?
僕は川崎Fに入ってサッカーの本質がちょっと分かるようになってきて、止めて蹴るのところやサッカーIQに関しては、少しだけアドバンテージを得られたなと今でも感じています。一方で、川崎Fに馴染み切っていなかったところも、僕はすごく良かったと思っていました。自分のしたいことやできることを優先しつつ、適応し切れないということになるのではなく、僕はそこで自分がしたいこと、今やらなければいけないことが人より分かっているからこそ順応できる。だから、うまくいくと思っていました。
欲張りなんです。全部できるようになりたい。この監督から好かれているけど、このチームなら輝けるけど、みたいなのはあまり好きではない。全員からいい選手と思われたいですし、どのチームに行こうがスタメンで活躍できる選手こそがいい選手だと思っています。だから、自分のしたいことに固執しないし、執着しないところがあります。
■「僕が好きなサッカーをしている」
(C)Ryohei Hayashi苦難を跳ね返して辿り着いた名門スポルティング。守田は現所属チームが「誇れるクラブ」だと胸を張り、ルベン・アモリン監督による緻密な戦術から多くの学びを得ているという。Jリーグの中で川崎Fは戦術面で圧倒的な強み持っていたが、今に比べると「あまり戦術がなかった」と感じるほどの驚きを覚えている。そういった部分においても、自身の成長につながる相性の良さを得られるチームの魅力はどこにあるのか。
――サンタ・クララでの奮闘を経て、今季はスポルティングへ移籍しました。ポルトガルのビッグ3の一つにたどり着いたわけです。
半年でステップアップを目指していたので、結果として1年半かかったから遅いとも思いますし、それでも1年半は早いのかなと思ったりもします。その時、その時で考え方が変わっています。ただ言えるのは、今の自分の情報量、サンタ・クララの内情をすべて知った上で過去の自分に行くかどうかの判断を委ねたら、「やめておけ」と言うと思います(笑)。逆にスポルティングは本当にいいクラブだと感じていて。移籍できて本当に良かったです。
――そう思える要因は?
やはり、僕が好きなサッカーをしていることが根本的に大きくて、それに加えて監督がすごくいいんです。もちろんその好きなサッカーはクラブとしてのアイデンティティなのか、監督が持ってきているものかで変わってきますが、今やっていること、求められていることを続ければすごく成長できる実感がありますし、楽しい。環境もいいですし、誇れるクラブに来られたと思っています。
――9月の日本代表活動でのドイツ遠征の際に「こんなに戦術を叩き込まれることは今までなかった」という話をしていましたが、ルベン・アモリン監督について教えてください。
すごくいい監督です。川崎Fでプレーしている時はすごく戦術的なチームだと思っていましたけど、今のクラブを見るとあまり戦術がなかったと感じるほどです。もちろんフリーの定義やプレスの避け方、外すタイミング、個人の1対1などの細かいところでアドバンテージを取っていくやり方は、Jリーグだとあまり学べないことなので、(川崎Fは)圧倒的に強みがありました。だけど、今は「相手が4バックで来るか、3バックで来るか」で、あらかじめ全部「こうだったらこう」というのがしっかりあって、セットプレーの一つをとっても、右の何番目の時はどうするかなど細かい決まりごとがたくさんあり、そこは全然違います。
――例えば、3バックの後ろを2枚にして、一人がボランチの位置に入るビルドアップのやり方がありますよね?
基本的にそれはGKがボールを持ってビルドアップする時限定です。どの相手でも確定で決まっている配置があって、ただその回し方が相手によって変わります。ジル・ヴィセンテ戦(※)で言えば、最初は相手が4バック想定だったんですが、もし3枚だったときは一番サイドのウイングバックが高い位置を取るのでどこどこの脇が空くみたいな話があって、そういう回し方にすると絶対につかみに来られなくて、逃げられるんです。それがうまくいくと、ほとんど奪われる気がしません。
※9月30日プリメイラ・リーガ第8節・3〇1、守田は1ゴール1アシストを記録
――戦術眼の幅が広がる感じがしますね。
めちゃくちゃ広がります。ただでさえ、僕としては3バックをやっているのが今回のクラブで初めてなので。ただ、後ろに(センターバックが)3枚いて、真ん中に(ボランチが)2人いることだけがすべてではないんだなと。3枚の間に2人いるとトライアングルが作りやすくて綺麗に見えるけど、その立ち位置が最適解なわけではないということを、このクラブで初めて知りました。
Profile
1995年5月10日生まれ。大阪府高槻市出身。ポジションはMF。177cm/74kgの右利き。高槻清水FC-9FC高槻-金光大阪高-クラブ・ドラゴンズ-流通経済大を経て、2018年に川崎Fでプロデビュー。初年度からレギュラーを確保して18年、20年のJ1リーグ制覇に貢献した。21年1月よりサンタ・クララ、22年7月にスポルティングへと完全移籍。日本代表としては18年9月11日、森保一監督初陣のコスタリカ戦でデビュー。21年3月のW杯アジア2次予選から本格的に定着し、カタールW杯でも中心としての期待を背負う存在。
