2019-12-09-francesco-totti(C)Getty images

ローマ一筋だったトッティ、レアル移籍の可能性が「80%あった」と告白…「ラウール以下の権利を与えられるはずだった」

選手キャリアを通じてローマ一筋でプレーし続けた元イタリア代表FWフランスチェコ・トッティ氏だが、レアル・マドリーに移籍する可能性が「80%」存在していたという。

スペインのフットボールカルチャーマガジン『リベロ』とのインタビューに応じたトッティ氏は、2000年代前半に、自身の憧れのクラブでもあったレアル・マドリーに移籍する可能性があったことを告白。「言ってしまえば、80%の確率でレアル・マドリーに移籍する可能性があった。それにローマは良い時期ではなかったから。(当時のローマ会長)センシは、僕のために何でもしてくれただろうけどね」と語った。

トッティ氏によれば、レアル・マドリーは当時ルイス・フィーゴ氏がつけていた背番号10を与える考えがあるなど、ほとんど糸目をつけることなく同氏の獲得を望んでいたという。ただし、チームの象徴であったラウール・ゴンサレス氏だけは、アンタッチャブルであったようだ。

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「当時の10番はフィーゴだった? 私はあそこに移籍するため、あらゆることを与えられようとしていた。あらゆることを、ね。ただ、それはキャプテンの座以外だった。なぜならば、あそこにはラウールがいたからだ。ラウールは誰よりも権利を持つべき選手だった。彼はレアル・マドリーのキャプテン、象徴であり、誰よりも権利を持っていなくてはいけなかった。どんな選手であっても、手にするものはラウール以下でなくてはいけなかったんだよ」

「2004年、僕はローマとの契約が終わろうとしていた。会長と僕は、自分個人というか、そのほかのことでいくつかの問題を抱えていて、そのときにマドリーから金に糸目をつけないオファーを提示された。どんな額でもかまわなかったんだ」

「なぜ断ったのか? 拒絶したというわけじゃない。本当に考えたよ。さっき言ったように、あそこに移籍する可能性は80%あったんだ。決断は、自分の心でもって決められた。ファン、友人、家族のことを考えて決めたんだ。私はほかの選手たちが常々行ってきたことと違うことをした。多くの選手がマドリー、バルセロナ、バイエルン・ミュンヘンに移籍していったが、自分は残留することで、ほかとは違うのだと感じたのさ。僕は良い選手だったが、加えてずっと同じユニフォームを着ている選手としても、ほかと違ったんだ」

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