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Barcelona best 25 players GFXGOAL

メッシ、イニエスタ、ロナウジーニョ…21世紀のバルセロナ最高の選手ベスト25ランキング

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20世紀の変わり目以降、バルセロナほど輝かしい成功と壊滅的な挫折を経験したクラブは少ないだろう。このカタルーニャのクラブは未曾有の成功を享受し、2006年から2015年にかけてチャンピオンズリーグに5回優勝した。そのうち4回は、史上最高の選手であるリオネル・メッシに率いられた優秀なアカデミー卒業生たちのおかげだった。

しかし、アルゼンチンのスターは2021年にクラブを去った。これはクラブ史上最も暗い時期のひとつであり、バルセロナが破産の瀬戸際に立たされるというひどい経営上の失策と無謀な支出が原因で、メッシの退団が必要になったのであった。

過去25年間のバルサの波乱万丈さは、どんなに大げさに言っても言い足りないが、その一方で、常にピッチ上に優れたタレントを配置することに成功してきたチームでもある。現在のチームの強さがそれを証明している。

では、過去四半世紀のベスト25は誰だろう。以下がGOALによるランキングである。
  • Eric Abidal Barcelona 2011Getty

    25エリック・アビダル

    バルセロナ史上最もインスピレーションを与える選手のひとりであるエリック・アビダルは、2011年に肝臓の腫瘍を除去する手術を受けたわずか3か月後、ウェンブリーで行われたチャンピオンズリーグ決勝をフルでプレーした。キャプテンだったカルレス・プジョルが、この元フランス代表に最初にトロフィーを掲げさせたシーンは感動を呼び、アビダルも「あれは素晴らしい瞬間だった」と振り返っている。アビダルは、多才で知的かつ迫力あるDFであり、その後に肝臓移植を受けなければならなくなったが、2013年にバルサとの契約が切れる前にピッチに戻り、それまでにも示していた並外れた決意をさらに示したのだった。「アビダルは6年間私たちと共に過ごしたが、非常に特別な人物だった」と、当時の会長サンドロ・ロセイは語っている。

  • 広告
  • Ivan Rakitic Barcelona Juventus 2015 Champions League finalGetty

    24イヴァン・ラキティッチ

    イヴァン・ラキティッチはバルセロナでの最後の年に不遇をかこった2020年4月、彼は「僕は自由に扱えるじゃがいもの袋ではない」と憤慨した。ラキティッチはもっと尊敬され、適切な待遇を受けるべき選手であった。

    何でもできるMFとして、ラキティッチはカンプ・ノウでの6シーズンのうち5シーズンで50試合以上に出場し、ルイス・エンリケの三冠達成チームの重要なメンバーであり、ユヴェントスとの決勝で最初のゴールを決めた選手であった。だからこそ、ジョゼ・モウリーニョは彼を「世界で最も過小評価されている選手のひとり」と評したのである。

  • Robert Lewandowski Barcelona MVP La Liga 03112024Getty Images

    23ロベルト・レヴァンドフスキ

    ロベルト・レヴァンドフスキはまだバルセロナに来て4年だ。彼はここまでの公式戦で100ゴール以上を記録している。

    レヴァンドフスキがバルサのレジェンドと呼ばれることになるかはわからない。すでにピチーチ賞も獲得しているが、2025-26シーズンは負傷にも苦しみ、衰えも指摘されている。それだけに、2025-26シーズンの中盤戦以降は存在感を示す必要があるだろう。

  • Patrick Kluivert Barcelona Real Madrid 2000Getty

    22パトリック・クライファート

    パトリック・クライファートは1998年の夏にACミランから加入し、最初のシーズンでバルセロナのラ・リーガ優勝に貢献した。だが、その後のバルサは痛々しくもタイトルを獲得できない時期を迎えた。それでも、この元オランダ代表は最善を尽くした。

    アヤックスのアカデミーで教育を受けたクライファートはテクニックに優れたセンターFWであり、身長と強さにも恵まれ、ゴールを決めるだけでなく、アシストもした。この元オランダ代表は、カンプ・ノウでの期間中にリヴァウドとのコンビでゴールを量産し、2000-01シーズンの初めから4年後の退団までに81得点を記録している。

  • Rafael Marquez Barcelona 2008Getty

    21ラファエル・マルケス

    ラファエル・マルケスについて、バルセロナの元チームメイトであるヤヤ・トゥーレはかつて、「世界で最もタフなDFのひとりだが、イングランドでプレーしなかったから、人々に覚えられていない」と主張した。この主張の後半部分には議論の余地があるが、前半の部分はまったくそのとおりである。プレミアリーグのファンからは過小評価されているかもしれないが、元メキシコ代表のマルケスはバルセロナでは尊敬されていた。

    マルケスはカンプ・ノウにいた7年間、ケガに悩まされていたが、ボール扱いが巧みなセンターバックであり、MFとしてもプレーすることができた。バルサの2度のチャンピオンズリーグ優勝における主役であり、カルレス・プジョルとのコンビは、プジョルとジェラール・ピケのコンビよりも強いと多くの人が考えていた。バルサの元キャプテンも、こう認めている。

    「我々はお互いをよりよく理解し合っていた。ラファとのコンビは常に非常に明確で、彼はその素晴らしい技術で多くのことに貢献した。クラブの複雑な状況を打開し、多くのタイトルを獲得した」

  • FC Barcelona v Sevilla FC  - La Liga EA SportsGetty Images Sport

    20ペドリ

    ペドリがラ・マシアで教育を受けていないという事実を、いまだに信じることができない。彼のプレーは、まさに典型的なバルセロナのMFそのものだ。積極的に動きまわり、コンスタントにパスを出し、ボールの位置を探るーー彼にはするべきことを自由に行う時間が十分にあるように見えるのである。

    2020年にラス・パルマスから移籍して間もなく、10代でトップチームに昇格して以来、ケガの問題を抱えてきた。しかし、すでに2度ラ・リーガの年間ベストイレブンに選ばれ、チャビからは「新しいアンドレス・イニエスタ」と期待されていた。

    スペインのサッカーで私が見た中で最高の才能はアンドレスだが、ペドリは彼に非常によく似ている」

  • Victor Valdes Barcelona 2014Getty

    19ビクトル・バルデス

    ビクトル・バルデスは、一緒に働くのが難しい性格であることを、決して隠さなかった。だが、ペップ・グアルディオラと同じカタルーニャ人であるバルデスとの間に問題はなかった。なぜなら、バルデスは恐れ知らずで、常に後方からボールを扱うことを全く恐れなかったからである。たとえミスをしても、バルデスはひるまず、グアルディオラもそのことを喜んだ。その意味で彼はペップにとって完璧なGKだった。

    バルデスのキャリアはバルセロナを去った後に徐々に衰退したが、今でもバルセロナのレジェンドと見なされている。それは、12シーズンでラ・リーガ優勝6回、チャンピオンズリーグ制覇3回、サモラ賞を5回獲得したからであり、チャビはバルデスを、バルセロナの他のGK全員の評価基準であると言っていた。

  • Deco Barcelona 2006Getty

    18デコ

    2008年、ペップ・グアルディオラは監督に就任するやいなや、ブラジル生まれでポルトガル代表の司令塔であったデコを解雇し、彼のバルセロナでのキャリアを終了させた。これは、ロッカールームから最も影響力のある選手を排除しようとする試みであり、ロナウジーニョも同様に放出された。デコは、その前のシーズンはケガに悩まされていたが、それ以前はバルサを頂点に復活させるために驚異的な活躍を見せていた。

    このMFは背が高いわけでも、強いわけでも、特に俊足でもなかったが、卓越したパサーであり、試合のペースをコントロールする素晴らしい能力を持った、古き良き時代のアーティストだった。彼は完璧な技術と生まれ持ったサッカーの知性のおかげで、現代のサッカーでも成功を収めた。「僕はデコから多くを学んだ」と後にリオネル・メッシは認めている。

  • Luis Enrique Barcelona 2004Getty

    17ルイス・エンリケ

    レアル・マドリーの元選手であるルイス・エンリケは、20世紀の終わりまでにすでにバルセロナをラ・リーガ連覇に導いた後、カンプ・ノウでファンのお気に入りとなっていた。バルサでそれ以外の大きな栄誉を手にすることはなかったが、それでもこのリストに載っているのは、バルセロナで非常に高いレベルのパフォーマンスを続け、最もインスピレーションあふれるリーダーのひとりとしての地位をさらに確かなものにしたからである。

    ルイス・エンリケは驚異的なサッカー選手で、ピッチのどこででもプレーできるだけでなく、どこででもプレーする意欲を持ち合わせていたが、この非常に攻撃的な選手は、中盤から攻撃のエリアへ縦横無尽に駆けあがる自由を与えられたときに最高のパフォーマンスを発揮した。彼がバルサで記録した109得点のほぼ半分が2000年から2004年の間に生まれ、ライバルから最も嫌われたフリーで移籍してきた選手として、ルイス・エンリケはバルサ史上、最も偉大な獲得選手のひとりであると評価されている。

  • Ter Stegen(C) Getty Images

    16マルク=アンドレ・テア・シュテーゲン

    2022-23シーズン、バルセロナがラ・リーガ優勝を果たした時、テア・シュテーゲンの「改善」がカタルーニャの好調の鍵だと感じたかと問われたティボー・クルトワの答えは、「ノー」だった。「彼は常に素晴らしいGKだよ!」と、レアル・マドリーの背番号1は言ったのである。

    彼は2015年のバルセロナの三冠達成の重要なメンバーであり、多くの評論家はマヌエル・ノイアーが代表から引退するずっと前から、彼がドイツの先発GKを務めるべきだと感じていた。「彼はピッチの上でもロッカールームでも模範的な存在だと思う」と、元監督のチャビは語っていた。

    だが、2025-26シーズン、ハンジ・フリック体制下では序列が低下。負傷での長期離脱もあり、さらにランキング上位にいけるかは不透明となっている。

  • Pedro Barcelona Manchester United 2011 Champions League finalGetty

    15ペドロ

    ペップ・グアルディオラは、ペドロがバルセロナ以外で過小評価されていると常に感じていたが、それには一理ある。ブラウグラナの黄金時代の鍵となる選手について話すとき、彼の名前はめったに出てこない。しかし、グアルディオラは彼を「非常に重要」「模範的」「素晴らしい」と言い、「常に期待を超える」と評価していたのだ。それも当然のことである。

    ペドロは両足が使えるウイングで、攻撃とプレッシングの両方に秀でいた。ゴールを狙うセンスもあり、2009年には、1年で6つの異なる大会で得点を記録した初めての選手となった。「もしペドロがブラジル人だったら」と、グアルディオラは言った。「ペドリーニョと呼ばれ、彼を獲得するためには、お金がいくらあっても足りなかったことだろう!」。

  • Javier Mascherano Barcelona 2013Getty

    14ハビエル・マスチェラーノ

    ハビエル・マスチェラーノは、リヴァプールを離れてバルセロナに移籍する際、疑念が生じるほどの強引だったが、彼はどうしてもカタルーニャのクラブでプレーしたかったのだった。おそらくは史上最高のクラブチームに対して、自分は何かを提供できると確信していた。しかし、そんな彼でも「素晴らしい選手たちと共に7年半の壮大なシーズンを過ごすことになる」とは思っていなかった。

    小柄ながらワールドクラスのセンターバックとしても実力を証明した闘志あふれる守備的MFは、バルセロナで334試合に出場し、18個のトロフィーを手にした。2018年、バルセロナがマスチェラーノに別れを告げた時、チャビは「バルサに来る多くの外国人選手は、君を手本にするべきだと思う」と、言った。「君がクラブに適応した方法、ロッカールームに残した足跡、特に個人的な面において、そしてもちろん、プロとしてのレベルにおいても」。

  • Jordi Alba Barcelona 2023Getty

    13ジョルディ・アルバ

    ジョルディ・アルバは、小柄で攻撃的な左サイドバックで、かつてはガレス・ベイルを抑えてラ・リーガで最速の選手となったこともある。ロベルト・カルロスが彼のファンであるというのも不思議なことではない。「彼の爆発力は、攻撃面でも守備面でも非常に重要だ」と、ロベカルは称賛している。アルバは確かにバルサの守備と攻撃の両方で重要な要素だった。それは主に、リオネル・メッシとまるでテレパシーで通じ合っているかのように理解し合えたためである。「ジョルディ・アルバは僕を完全に理解している」と、かのアルゼンチン代表は語った。「彼とは特別な絆がある」。

    カンプ・ノウでの9シーズンを通じて、この2人のコンビは何度もゴールを生み出した。それは、サイドでアルバを見つけたメッシがボックス内に走りこみ、完璧なマイナスのパスを受けるというものだった。このシンプルだが非常に効果的なプレーは、バルサの成功において非常に重要な役割を果たした。

  • Rivaldo Barcelona Getty

    12リヴァウド

    2000年以前のパフォーマンスを考慮に入れることができるのなら、リヴァウドはこのリストの上位に位置するだろう。彼はバルセロナでプレーした中で、間違いなく最も才能あるFWの5人のうちの1人である。ただ、このリストが適用される時期において彼がバルサでプレーしたのは、わずか2年半だけなのだ。それでも、リヴァウドはその期間中に61得点を記録している。その中には、2001-02シーズン、ラ・リーガのバレンシア戦でアディショナルタイムタイムに、まさに信じられないようなオーバーヘッドキックを決めてバルサに勝利をもたらし、バレンシアのチャンピオンズリーグ出場権を奪った得点も含まれる。

    あれは天才を象徴する、常識では考えられないな技術だった。ほとんどの選手は、あんな状況であんなシュートを試みる大胆ささえ持っていないだろうし、その上でそれをやり遂げられる才能を神から与えられていない。ルート・フリットが言ったように、「全盛期のリヴァウドは、あの素晴らしくクリエイティブな南米スタイルで、卓越した選手だった」。

  • 11サミュエル・エトー

    ペップ・グアルディオラは間違いなく史上最高の監督のひとりだが、そんな彼がバルセロナでサミュエル・エトーをほしがらなかった理由を説明することは今でも難しい。グアルディオラは最初のシーズンが始まる前に、このFWを手放そうとした。幸い、グアルディオラは失敗し、エトーはバルサの三冠達成において、全公式戦で36得点を挙げて非常に重要な選手となったが、その中にはマンチェスター・ユナイテッドに勝利したチャンピオンズリーグ決勝での重要な先制点も含まれている。

    ご存じのとおり、グアルディオラはローマでのあの歴史的な夜の後、ようやくエトーを移籍させることができたが、それは予測どおり悲惨な結果をもたらした。元カメルーン代表ストライカーはそれから12か月後、インテルがバルサをヨーロッパ王者の座から引きずり下ろすのに貢献したのである。あの爆発的な力を持つストライカーの、バルサでのレガシーは色あせないままだ。エトーはバルサで130得点を挙げ、メッシが言ったとおり「完全な選手」であり、「勝つことへの飽くなき欲望」を持っていた。

  • Lionel Messi Neymar BarcelonaGetty

    10ネイマール

    ロナウドとロナウジーニョは確信していた――ネイマールはバルセロナで世界最高の選手になるだろう、と。そしてネイマールはその寸前まで近づいた。事実、カタルーニャにいた間、その華麗なトリックとフェイントで、リオネル・メッシを凌駕することができた時もあったのだ。ネイマールは、かのアルゼンチン代表の明白な後継者であり、メッシが最終的にバルサを去ったときには彼を中心にチームを構築できるような、世代を代表する才能の持ち主だった。

    しかし、ネイマールはカンプ・ノウで主役になれるのを待ち続けることに疲れてしまい、メッシより先にバルサを去った。バルサにとっても打撃だったが、ネイマール自身にとってはさらに大きな不名誉となった。魔術師は、バルセロナでのたった4シーズンで105得点を決め、さらに59アシストを記録した魔法を、その後は再現することができなかったのである。

  • Gerard Pique Barcelona 2022Getty

    9ジェラール・ピケ

    ウェイン・ルーニーは、サー・アレックス・ファーガソンがジェラード・ピケを売却したのは、ピケがプレミアリーグの体力勝負なプレーに適していなかったためだと言った。だが、スコットランド出身監督は、カタルーニャ出身のピケがバルセロナに行きたいと言ったのが主な理由だと主張している。真相はともかく、マンチェスター・Uの損失はバルサにとって大きな利益となった。

    ピケはバルセロナに加入した初期には多くのミスをしたとして批判されることもあったが、非常に優れたDFに成長し、「ピッケンバウアー」と称されるほどになった。スペイン国内のタイトルを9回、チャンピオンズリーグを3回制覇した。「ジェラールは壮大なレガシーを残した」と、2022年にピケが引退した際、セルヒオ・ブスケツは言った。「彼はバルサの選手として模範的であり、あるべき姿を示した」。

  • Dani Alves Barcelona 2016Getty

    8ダニ・アウヴェス

    ダニ・アウヴェスは、2008年夏にペップ・グアルディオラが監督に就任した直後にバルセロナに加入し、グアルディオラ時代のバルセロナにおいて、最も重要な選手のひとりとなった。

    ブラウグラナはセビージャに当初2800万ユーロを支払ったが、それが安い買い物であったことが証明された。アウヴェスはグアルディオラのバルサにとって完璧な右サイドバックであり、サッカー選手として多才で、ピッチのほぼどこででもプレーすることができた。俊足で、前方に走りこむだけでなく、ボールを失った際には素早くポジションに戻ることも可能だった。非常に適応力があり、グアルディオラが去った後も長期にわたりバルサのラインアップの重要な構成要素であり続け、2016年にユヴェントスに移籍するまでに3度チャンピオンズリーグを制覇した。>

  • Carles Puyol Barcelona 2013Getty

    7カルレス・プジョル

    容赦ないセンターバック、カルレス・プジョルは率直に認めた。「私には、ロマーリオのようなテクニック、(マルク)オーフェルマルスのような速さ、(パトリック)クライファートのような強さはない。しかし、私は他の人よりも一生懸命働いている。賢くはないが、試験のために復習をして結果を出す学生のようなものだ」と。プジョルは最終的にはそれ以上の成果をあげた。このカタルーニャ出身選手は、プロとしてのキャリア全部をバルセロナで過ごした極めて稀なワンクラブ・プレーヤーであり、カンプ・ノウでの15年間のうち10年間キャプテンを務めた。

    チャビによれば、プジョルは「世界で最高のDFのひとりであるだけでなく、その性格によっても、クラブを持続的な成功に導いた」と言う。「彼は決して諦めなかった」。その結果、『ザ・シャーク』はバルセロナ史上最も優れたリーダーのひとりと見なされている。「私は守られていると感じていた」と、2014年にプジョルが引退した際、長年にわたりセンターバックのパートナーを務めたピケは語った。「君は私の守護天使だった」。

  • Sergio Busquets Barcelona 2022Getty

    6セルヒオ・ブスケツ

    セサル・ルイス・メノッティは、初めてセルヒオ・ブスケツのプレーを見たとき、友人に電話をかけ、「絶滅した種類の選手を見た!」と言った。ブスケツは現代サッカーにおいて、アスリートというよりはエレガントな守備的MFであり、ボールを奪うのもキープするのもスマートで、本当に珍しい存在だった。

    ブスケツはバルサの成功において、チャビやアンドレス・イニエスタと同様に不可欠な存在であった。彼らと共に最高の中盤のトリオを形成したが、本当に受けるべき称賛を一般の人々から得ることはほとんどなかった。ただし、ビセンテ・デル・ボスケは「試合全体を見ているとブスケツは見えないが、ブスケツを見ていると、試合全体が見える」と称賛した。

  • FBL-ESP-BARCELONA-SEVILLAAFP

    5ロナウジーニョ

    バルサの21世紀の成功をもたらしたのはロナウジーニョだった。「それまではクラブにとって辛い時期だった」とメッシは認め、「彼が来たことで起こった変化は驚くべきものだった」と、述べた。この元ブラジル代表の影響は瞬時に現れ、2003年9月、セビージャを相手にデビュー戦で驚異的なゴールを決めたのを皮切りに、バルセロナで数え切れないほどの驚異的な得点を記録し続けた。

    しかし、この背番号10は、カンプ・ノウだけを楽しませたわけではなかった。実際、「世界中が彼を愛している」と言ったフランク・ライカールトの言葉は間違っていなかった。サンティアゴ・ベルナベウの観客でさえ、スタンディングオベーションで、誰もが考えもしなかったことを実現することができる、最も才能ある選手のひとりを称賛したのだった。彼なら、もっと多くのことを達成できたに違いない。しかし、ロナウジーニョの名前を聞くだけでサッカーファンが笑顔になる、それが彼の驚くべきレガシーである。

  • Luis Suarez Barcelona 2019Getty

    4ルイス・スアレス

    バルセロナは何としてでもルイス・スアレスを獲得しようと、リヴァプールに7500万ポンドを支払ったが、当時、この予測不能な元ウルグアイ代表は、またしても相手を噛んだことで出場停止中であった。それでも彼が獲得に値する究極のサッカー選手であることはすぐに証明され、スアレスはカンプ・ノウでの最初のシーズンに25得点し、バルサの三冠獲得に貢献した。

    翌年、同世代で最高のセンターFWはヨーロッパのゴールデンシュー賞を受賞。アトレティコ・マドリーに売却されると、たちまちチームにラ・リーガ優勝をもたらした。スアレスのバルセロナでの記録は全公式戦283試合出場し、198得点を記録。彼の働きには得点以上のものがあったことを考えると、メッシが「クラブ史上最も重要な選手のひとり」の退団に憤慨した理由は容易に理解できる。

  • Andres Iniesta FC BarcelonaGetty Images

    3アンドレス・イニエスタ

    現代サッカーは得点とアシストに執着するようになっており、気がかりなのは多くのサッカーファンがアンドレス・イニエスタをそれほど高く評価しないことである。選手というよりファンの考え方の問題で、イニエスタは見る者に喜びを与える選手であり、静かでありながら毅然とした性格で、常にチャンスを逃さず力を発揮した。

    イニエスタは自らのペースで試合を進め、相手を滑るように楽々とかわすことができる選手だった。静かでありながら競争心を持ち、常にチャンスを逃さず力を発揮した。スペイン代表としてワールドカップ決勝に出場したときも、スタンフォード・ブリッジでのチャンピオンズリーグ準決勝第2戦でも同じだった。

    彼はバルサで合計9回のスペインリーグ優勝と4回のチャンピオンズリーグ優勝を果たしたが、トロフィーの数以上にその天才ぶりが記憶されることだろう。「彼はよく私と比較された。確かに似ていると思う」と、ジネディーヌ・ジダンは言った。「ただ、比較されて嬉しいのは私のほうだ!」

  • Xavi Barcelona 2013Getty

    2チャビ

    チャビは「バルサのDNA」の概念を体現している。ラ・マシアですべてを学び、トップチームに昇格するや否やチームメイトや対戦相手にパスの技術を教えこむカタルーニャ人だったのである。ディエゴ・マラドーナでさえ彼を「サッカーの教授」と称し、「彼がボールを持つと、世界が微笑む」と言って、引退しないよう懇願した。

    チャビは15年以上にわたってバルサの中盤の心臓であり、チーム全体を稼働させる選手だった。中盤の底にいるMFの重要性がしばしば見過ごされる時代においても、チャビは同業者から崇敬され、2007年から2013年にかけて6シーズン連続でFIFPRO(国際プロサッカー選手会)の年間ベストイレブンに選ばれた。バルサでともにプレーした、チアゴ・アルカンタラは「チャビはバルセロナを現在の姿にした選手のひとりである」と称えている。

  • Lionel Messi Barcelona Manchester United Champions League final 2011Getty

    1リオネル・メッシ

    他に誰がいるだろう。リオネル・メッシはアルゼンチンをワールドカップの栄光に導き、史上最高の選手としての地位を確立したが、その基礎を築いたのはバルセロナでだった。『ラ・プルガ(蚤)』は、10代で登場するとたちまち前代未聞で持続的な卓越性を確立した。かつて、ホルヘ・バルダーノは、こう言った――「マラドーナは時々マラドーナだった。メッシは毎日マラドーナだ」。

    メッシの得点記録は狂っている。バルサで778試合で672ゴールを決めたのだ。しかし、彼はそれ以上の存在だった。彼は、どこにいてもボールを持つと常に脅威となった。なぜなら、彼は、驚異的な視野を持ちながら、それを完璧に補完する見事なパス範囲があり、さらに破壊的なドリブルまで身につけていたからである。他に何を言う必要があるだろう。メッシはバルサのGOATであり、すべての人にとってのGOATでもある。