今季レアル・マドリー(ラ・リーガ)から完全移籍で加入し、レアル・ソシエダで才能を開花させた久保建英。これまで以上に幸せそうな姿や本人がソシエダを「理想的な場所」と語る理由について、バスク出身ジャーナリストが紐解いていく。
文=ナシャリ・アルトゥナ(Naxari Altuna)/バスク出身ジャーナリスト
翻訳=江間慎一郎
(C)Getty Images今季レアル・マドリー(ラ・リーガ)から完全移籍で加入し、レアル・ソシエダで才能を開花させた久保建英。これまで以上に幸せそうな姿や本人がソシエダを「理想的な場所」と語る理由について、バスク出身ジャーナリストが紐解いていく。
文=ナシャリ・アルトゥナ(Naxari Altuna)/バスク出身ジャーナリスト
翻訳=江間慎一郎
(C)Getty Images久保建英は次の日曜(29日)、スペインの首都マドリーに戻ることになる。まだ21歳ながら、いくつも作ってきた家の一つ……。レアル・ソシエダのアタッカーは、スペインだけでバルセロナ(下部組織)、レアル・マドリー(Bチーム)、マジョルカ、ヘタフェ、ビジャレアルのユニフォームに袖を通して、その短いキャリアの中で激しい経験を積んできた。
バルセロナの下部組織に入るだけで狭き門であるのに、久保は日本に一度帰国した後、レアル・マドリーのBチームに加入することでスペインに戻ってきた。ただバルセロナでもレアル・マドリーでも、トップチームまで到達して自分の居場所を確保するのは、たとえスペイン人でも至難の業だ。現代フットボールではごくごく限られた選手にしか許されない。
フットボールで成功をつかむ――そう夢を抱く久保は、ピッチの上やマイクの前に立つときに見せるインテリジェンスを身の振り方でも発揮している。成功へとつながる道はいつも直線ではない。期待通りにいかない失望を飲み込み、機転を利かせるエネルギーにして、迂回しながらゴールを目指す。むしろ、そちらの方が最短距離なのかもしれない。久保はマドリーではEU圏外枠と厚い選手層によって居場所がないことを悟り、レアル・ソシエダに完全移籍する道を選んだ。それはおそらく、これ以上はない選択だったはずだ。
そんな久保のキャリアを見守ってきた人たちが、いつも口にする言葉がある。それは「こんなにも幸せそうな彼は見たことがない」という言葉。なぜ彼はラ・レアルで幸せなのだろうか?
(C)Getty Imagesフットボールというものはコンテクスチュアル(文脈的)ものであり、ピッチ上のプレーも取り巻く環境も重要となる。久保はサン・セバスティアンで、そのどちらでも豊かさを手にすることになった。現在の彼はクラブに深く根ざしたセンチメント(感情)に抱かれている。そしてそのセンチメントこそ、ラ・レアルが他クラブと一線を画す部分にほかならない。
ラ・レアルのセンチメントを体現する最たる存在は、監督のイマノル・アルグアシル。彼はほかのラ・レアル下部組織出身者と同じく、選手・監督になる前からこのクラブのファンだった。ラ・レアルのアイデンティティーに何十年も浸ってきた人物であり(ちなみにラ・レアルの選手、監督としてレアル・マドリーに勝利したことがある唯一の人物でもある)、青白の選手たちがどんな心の持ちようであるべきかを誰より熟知している。
例えば、アトレティック・クラブとのバスクダービーだ。久保は私たちバスク人にとって、いかにそのダービーが重要かを理解していたが、イマノルがその熱さで選手たちを焚き付けていたことは容易に想像できる(フットボールは世界共通語と言うが、外国人選手がスペイン語などプレーする土地の言語を理解する必要性も感じられる)。
ダービーでゴールを決めた久保は、まだ前半にもかかわらずユニフォームを脱ぎ、スタンドと喜びを分かち合っていた。その行動を「軽率過ぎる」「賢くやれ」と咎めるのは簡単だ。しかし、この日本人を「あいつも私たちの一人だ」と感じたバスク人は決して少なくない。そこにあったのは、ラ・レアルのセンチメントだった。
(C)Getty Imagesさて、レアル・マドリーとの対戦を控える状況で、思い起こされるのはマルティン・ウーデゴールだ。彼もマドリーが将来的にスター選手となる可能性を感じた逸材だったが、スペイン首都でやはり居場所を見つけることができず、ラ・レアルにレンタルでやって来た。ラ・レアルのファンはフットボールでも文化でもここに馴染もうと一所懸命だったウーデゴールのことを、まるで下部組織出身のように扱っている。バスク語で子供に呼びかけるように「マルティンチョ」という愛称まで付けて彼のことを可愛がり、応援し続けた。そんな彼は今や、プレミアリーグ首位を走るアーセナルのリーダーである。
ウーデゴール、そして久保も、ラ・レアルのクラブ・フットボール文化にも見事に適応した外国人2選手だ。「レアル・ソシエダを感じる」、「レアル・ソシエダの人になる」ことが、もともとあった凄まじい才能を発揮することにつながっている。
バスク人は典型的なスペイン人像に当てはまらず、どちらかというとドイツ人や日本人のように几帳面で働き者だ(もちろん、全員が全員そうでないのは当たり前として)。そして知り合ったばかりの人には冷たいかもしれないが、「私たちの一人だ」と感じた人間に注ぐ情は、どの地域よりも厚い。生え抜きのエース、ミケル・オヤルサバルが長期離脱から復帰を果たしたときのアノエタは、まさに“家”と呼ぶにふさわしかった。スタジアム中の人々が総立ちで、途中出場からピッチに入るチームの象徴に長く温かい拍手を送ったのだった。それはまさしく、金で買うことができないもの。「ラ・レアルを感じる」ことは、愛し、愛されることと同義だ。
(C)Getty Imagesバスクの選手は真面目で、よく働き、規律をしっかり守る。それは日本人と似通っているのだろうが、前述のように全員が全員そうでないのは当たり前。そして久保本人については、バスク人、日本人の典型に当てはまらないようにも思える。久保はソシエダに溶け込んではいるが、決して迎合はしていない。言語とフィーリングと文化を理解しつつ、もしかしたらバスク&スペイン人よりも強烈な意志の強さ、パーソナリティを持っている。スペイン語のインタビューで、これほど口数が多い(しかも話している内容に実がある)選手はそうはいないし、バスクダービー終了後に言い放った「今日は僕の日になるべきだった」というビッグマウスもなかなかに刺激的だった。
久保を見ていると、アントワーヌ・グリーズマンを思い出すところがある。子供の頃、フランスのクラブの下部組織に入団できなかった彼をラ・レアルが引き取った。トップチームまで到達した彼はそのプレーのクオリティーはもちろん、その陽気さや奔放な振る舞いでもチームに新たな風を吹き込み、地獄のラ・リーガ2部から脱出することに貢献している。今、グリーズマンは世界的スターとなって煌めき、久保もそんな彼の後を追っているかのようだ。どちらも左利きで、独特なパーソナリティーを持ち、それでいて大きな野心を抱えて、決然としている。ただ普段の久保は、その飾らぬ言動でいつもチームメートを笑顔にしており、そんな彼に魅了されている人たちは多い。
久保は、今度は青白のユニフォームを着てサンティアゴ・ベルナベウに赴き、マドリディスタの神殿でも仲間たちとサポーター、さらには自分自身を笑顔にすることを目指す。レアル・マドリーのトップチームにたどり着くことを目指して、焦って、プレースタイルがはまらなかったレンタル先で空回りして……といった焦燥の日々はもう過去のことになった。久保自身が言うように、彼にとってラ・レアルは「理想的な居場所」なのだ。
かつてのラ・レアルの象徴であり、ワン・クラブ・マンであったシャビ・プリエトは、引退時にこう語った。「僕の夢は選手になることじゃなかった。ラ・レアルでプレーすることだったんだ」。
久保にそこまで言ってもらうことは望まないが、せめて、これからも「私たちの一人」としてプレーし続けてほしい。少なくとも、私たちバスク人は彼という選手、人間のことを、まるで自分たちの下部組織出身選手のように支え続けていくだろう。