父親はイアン・ラッシュやケニー・ダルグリッシュが活躍した時代にリヴァプールのアカデミーに通い、長男のパディもレッズのアカデミー出身、もう1人の兄ルイスもウェールズのリーグで活躍するなど、サッカー一家に生まれたシェイ・レイシー。しかし2007年生の彼は、そんなサッカー一家でも際立った才能を持っていた。兄パディは『GOAL』の取材でこう語ってくれた。
「裏庭に人工芝とゴールがあった。彼がボールを扱うスキルは、僕や兄貴では到底及ばなかったよ。シェイは3歳でロナウジーニョの“エラシコ”を真似ていて、それが得意技だったんだ。試合のたびにコーナー付近でそれを成功させていたね。リヴァプールに住んでいた頃はそのスキルでちょっと有名だった」
その後リヴァプール、エヴァートン、ブラックバーン、マンチェスター・シティの練習に参加したものの、父親はマンチェスター・ユナイテッドこそが最適な場所として選んでいる。そこには、クラブの教育に関する姿勢も関係していたという。パディはこう続ける。
「あるコーチは5歳の頃から『シェイ、ドリブルばかりするな。パスをしろ』と言っていたけど、父は『ドリブルができるならそれを磨け』と考えていたんだ。ユナイテッドは、5歳からでも素晴らしいことがたくさんある。コーチの目をしっかり見ることを教え込まれるし、握手もする習慣を学べるね。そして自分で話すこと、個人としての成長を促される。シェイは内気だったけど、クラブが殻から引っ張り出してくれたんだ」
「ユナイテッドは常に彼を大切に扱ったくれた。シェイには常にレッドカーペットを敷いてくれたね。すべての年齢層のキャプテンを務めたこともあって、頭の中で『僕はマンチェスター・ユナイテッドなのか、それとも(故郷の)リヴァプールなのか』という葛藤があったみたいだね。そして、彼は暗黒面を選んだんだ!」