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(C)Getty Images浦和入団
サッカー王国静岡県出身の長谷部。藤枝東高校では全国高校サッカー選手権に出場することはなかったが、浦和レッズからスカウトを受け、高校卒業と同時に浦和へ入団した。
(C)Getty Images圧巻のドリブルシュート
2004年には長谷部のJリーグでのキャリア最高のゴールは生まれる。2004年8月29日ジュビロ磐田戦、センターサークル付近でボールを受けた長谷部はドリブルを開始。3人の相手選手を振り切り、最後は左足でネットを揺らす。このゴールは現在もJリーグ最高のゴールのひとつとして語り継がれている。
(C)Getty ImagesJリーグ初優勝
2006年にはJ1リーグ初優勝をレギュラーとして経験。浦和にとってはステージ制廃止後初のタイトルとなっている。
(C)Getty Images日本代表デビュー
2006年2月のアメリカ遠征で日本代表初選出。同年2月11日のアメリカ戦で途中出場し、A代表デビューを飾った。
(C)Getty ImagesACL制覇
2007年にはアジア・チャンピオンズリーグ優勝も経験。長谷部は初戦を除くすべての試合に出場し、決勝のホーム&アウェイではフル出場。浦和にとって悲願のACL初制覇に大きく貢献した。
(C)Getty Imagesブンデスリーガ挑戦
2008年1月にヴォルフスブルクへの移籍が決定。2月にデビューを果たすと、4月に初ゴールを記録した。当時の指揮官は“鬼軍曹”として知られるフェリックス・マガトだった。
(C)Getty Imagesブンデス初優勝
長谷部にとって加入2季目となった2008-09シーズン。本職のボランチに加えて右サイドバックとしても起用されるようになると、公式戦33試合に出場し、リーグ優勝を経験した。
(C)Getty Images初のCLの舞台に
ドイツ王者となったヴォルフスブルクは翌シーズンにチャンピオンズリーグに出場。長谷部にとって初の欧州最高の舞台では5試合に出場し、1アシストを記録した。
(C)Getty Images初のW杯へ
南アフリカ・ワールドカップのメンバーに選出され、自身にとって初のW杯の舞台へ。ゲームキャプテンとして全4試合に出場し、ベスト16入りに貢献した。
(C)Getty Imagesアジアカップ優勝
アルベルト・ザッケローニ監督の下でも大きな信頼を勝ち取り、引き続きキャプテンに。2011年のアジアカップでは全6試合に先発出場し、2大会ぶりの優勝に大きく貢献した。長谷部にとっては代表キャリアで初のタイトルとなった。
(C)Getty ImagesGKとしてプレーする珍事
2011-12シーズンは長谷部にとって珍事件が…。第5節ホッフェンハイム戦で出場すると、GKが終盤に退場に。交代枠を使い切っていたため、急遽長谷部がゴールマウスを守ることに。チームは1-3と敗れたが、欧州5大リーグで初めてGKとしてプレーした日本人となった。
(C)Getty Imagesフランクフルトへ移籍
ニュルンベルクでの1シーズンを経て、2014年6月にフランクフルトへ完全移籍。1年目から主力としてプレーし、以降10年にわたって活躍することとなる。
(C)Getty ImagesDFBポカール優勝
2017-18シーズンにはDFBポカールで決勝に進出。当時、ニコ・コヴァチ監督の下ではリベロとして見出されていた長谷部だが、決勝のバイエルン戦ではアンカーとして出場。3-1の勝利に貢献し、フランクフルトでは初のタイトルを手にした。
(C)Getty Imagesベストイレブンに選出
2018-19シーズン、CBとしてハイパフォーマンスを披露。ドイツ誌『キッカー』のベストイレブン、そして選手が選ぶベストイレブンに選出。また、ヨーロッパリーグでもベスト4入りに貢献し、大会の優秀選手に選ばれた。
(C)Getty Imagesヨーロッパリーグ優勝
2021-22シーズン、37歳となっていた長谷部だが、一定の出場機会を獲得。ヨーロッパリーグでは決勝を含む7試合に出場し、クラブ史上初のEL制覇に大きく貢献した。
(C)Getty Imagesクラブの外国人選手史上最多記録を更新
2023-24シーズンは出場機会が減少しているものの、2023年12月のバイエルン戦に出場し、フランクフルトでブンデスリーガ通算230試合に出場。クラブの外国人選手として史上最多記録を更新した。
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