おそらく来夏、ビラル・エル・カヌースはシュトゥットガルト史上2番目の高額移籍となるだろう。ブリュッセルのストリートでフットボールを学び、18歳でモロッコ代表のワールドカップメンバー入りを果たした逸材は、今季加入したシュトゥットガルトで大活躍。上位を狙うクラブにおいて早くも欠かせない存在になった。
ヘンク時代は記者エリアでも礼儀正しくメディアに話しかけ、奢ることなく謙虚に自らのフットボールに集中してきたモロッコのスターの歩みを振り返る。
文=ラース・カプア
GOALおそらく来夏、ビラル・エル・カヌースはシュトゥットガルト史上2番目の高額移籍となるだろう。ブリュッセルのストリートでフットボールを学び、18歳でモロッコ代表のワールドカップメンバー入りを果たした逸材は、今季加入したシュトゥットガルトで大活躍。上位を狙うクラブにおいて早くも欠かせない存在になった。
ヘンク時代は記者エリアでも礼儀正しくメディアに話しかけ、奢ることなく謙虚に自らのフットボールに集中してきたモロッコのスターの歩みを振り返る。
文=ラース・カプア
ヘンク時代のフェレンツヴァーロシュ戦、後半開始に向けてピッチに戻ってきたエル・カヌースのアディダス製スパイクは、前部が今にも破けそうになっていた。それをたった1枚のテープで補修し、後半も戦いきった。
こうした光景は、通常アマチュアリーグでしか見られない。ましてや欧州トップリーグでは笑いの種になってしまうだろう。しかしこれこそ、彼の性格を物語っている。試合後、『Sporza』のエディ・デマレ記者の取材に丁寧に応じた本人はこう語る。
「前半に足を蹴られてスパイクが壊れたんだ。ハーフタイムにテープで補強した。あるものでやりくりするしかないんだよ。明日には新しいスパイクが手に入るといいね!」
今あるものでやりくりする――それがエル・カヌースの生き方だ。もし彼がそうしなければ、彼の家族が許さないだろう。フットボーラーであるという幸運を痛感しているからこそ、彼は社会問題についても積極的に考えている。
「母は僕にとって全てだ。1日に3回は電話するね。僕は自分の役割を果たしているんだ。それをみんなに知らしめる必要はない」
「神は僕に贅沢な人生を与えてくれたんだよ。時々、目が覚めて思うんだ――『ああ、今日はこれとあれをやらなきゃな』って。コートジボワールでは、70歳の女性が家族を養うために重い食料の入ったバケツを頭に乗せて、裸足で山を登っているのを見た。そういう光景は、胸が張り裂けそうになるよ」
2004年にストロンビークに生まれたエル・カヌースだが、彼がフットボールを学んだのはブリュッセル。ヨサファット公園のケージマッチで、幼少期からその特別な才能をいかんなく発揮している。『デ・モーレン』紙のインタビューで、「ケージでの5vs5は大きかったね。13歳まではフツサル・ベシクタシュ・ヘントで室内でもプレーしていたよ。狭いスペースでのプレーは、賢く走ることを教えてくれた。間違いなく助けになっている」と振り返っている。
Getty Images若くして名門アンデルレヒトのユースチームに所属し、ブリュッセルと同クラブへの愛着も深かったエル・カヌース。しかし、15歳の時にライバルであるヘンクへと移籍した。当時ベルギーの新聞でも大きな注目を集めたこの移籍について、本人は「アンデルレヒトの反応? 色々言われたよ。コーチの中には“裏切り者”と言った人もいたね。笑顔だったけど、本心だと思った」と語っている。
アンデルレヒトに10年所属し、ロメオ・ラヴィアらともプレーした。それでも、彼にとってはヘンクの環境のほうが魅了的だった。18歳でトップチームデビューを飾り、数カ月後にはアヤックスなど海外の名門クラブが接触するまでに。本人は熟考を重ねたうえで、ヘンクとの契約延長を決断している。
そして、彼の選択は正しかった。ヘンクではさらに重要な存在となり、2022-23シーズンには公式戦41試合に出場。その結果、カタール・ワールドカップのモロッコ代表入を果たす。18歳はチーム最年少である。
ユース年代ではベルギー代表でプレーしていただけに、またも彼の選択はメディアを騒がせることになる。本人はこの決断に「ベルギーで得た全てのチャンスに心から感謝しているよ。でも幼い頃から、自分がモロッコを選ぶと分かっていたんだ。祖父母がモロッコからベルギーへ渡ってきた。これは彼らへの恩返しだと思っている。もうこの世にはいないけど、きっと誇りに思ってくれているはずだよ」と説明した。
(C)Getty Imagesモロッコ代表がアフリカ勢史上初めてワールドカップ準決勝に進んだ中、エル・カヌースはクロアチアとの3位決定戦で先発を任された。憧れのルカ・モドリッチとのマッチアップは、彼にとって忘れがたい経験だ。そしてこの大会を経て、彼の名前はモロッコでもベルギーでもさらに注目を集めることになる。「どこでも認知されて、ファンの愛情を感じられるのは素晴らしいよ。でも、時には無名時代が恋しくなるね。モロッコ人がほとんど行かないレストランを選ぶ術を覚えたよ。彼らは文字通りどこにでもいるからね!」と笑いながら話している。
ワールドカップ終了後もヘンクで1年半プレーし、シーズン最優秀選手にも輝いた。そして2024年夏、アトレティコ・マドリーやレヴァークーゼン、リヴァプールの関心が伝えられる中、レスターが2520万ポンドを支払って争奪戦を制している。
初のプレミアリーグ挑戦となったエル・カヌースだが、スティーブ・クーパーの解任などチームは不安定な状況だった。ルート・ファン・ニステルローイ監督就任後も、チームの成績は伸びず最終的に降格することになる。ファンにとっては長く暗いシーズンだった。
それでも、彼の活躍は唯一の明るい光だった。指揮官は「彼については、これから何度も名前を聞くことになるだろうね。チャンピオンズリーグでもトッププレイヤーになるポテンシャルを秘めているよ」と絶賛している。
ベルギーでエル・カヌースを指導したトルステン・フィンク監督も、ファン・ニステルローイの意見に同調している。「私は多くの選手を指導してきたが、彼は特別だよ。ヨーロッパ最高の選手になれる。そう確信しているね」と『433』で語った。
そして、現・世界最高の指揮官も彼の才能を褒め称えている。マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督は、本人に直接伝えていたようだ。エル・カヌースは「僕のプレーに感銘を受けたと言ってくれた。でも、僕はそう思わない。これが僕のプレーであり、毎週を示さないといけないんだ」と明言。「それ以外は試合と1日を楽しむ。僕らは世界最高の仕事をしているんだからね」と謙虚に、そして前向きに語っている。
そして2025年夏、ニック・ヴォルテマーデを失ったシュトゥットガルトは、1シーズンのレンタルでエル・カヌースを獲得した。買い取り義務は2500万ユーロ。クラブ史上2番目の高額移籍になる。レスターでの1シーズンは36試合出場3ゴール6アシストだったが、その才能はドイツの名門クラブにしっかりと評価されていた。
シュトゥットガルトへの移籍は9月に入ってからと合流が遅れたにもかかわらず、すでに公式戦6試合で3ゴールをマーク。セバスティアン・ヘーネス監督も「驚異的な才能を持っているね。それはプレミアリーグでも証明済みだったが、素晴らしいスタートを切ってくれた。獲得できたのは本当に嬉しいね」と大満足だ。ヨーロッパリーグでもゴールを奪っており、ファン・ニステルローイの予言通り、今シーズンは何度も彼の名前を目にすることになるだろう。
10月のインターナショナルウィークでもモロッコ代表に選出されたエル・カヌース。「じっとしていられないんだ。フットボールが大好きで、いつでもプレーしたい。試合もたくさん観ている。チームメイトに笑われるほどにね」と強烈な愛情を語る青年は、この10月で代表キャップを「26」まで伸ばすことになるだろう。
そんな彼を、祖父母と母はきっと誇らしげに見守っているはずだ。たとえスパイクが言う事を聞かなくても、自らの足で再び証明してくれるに違いない。