1988年EURO決勝ソビエト連邦戦での圧倒的な輝きから、1995年8月18日の感動的な引退試合まで、“ユトレヒトの白鳥”のキャリアはフットボール史に永遠に刻まれる忘れがたい瞬間で満ち溢れている。
まずは、フットボールに最高の喜びをもたらすゴールだ。クラブレベルで奪った277ゴール、代表チームで奪った37ゴールはどれも素晴らしいものだ。
その中でも最も美しいゴールは、あの1988年EURO決勝戦。1-0とリードしていた54分、左サイドからMFアーノルド・ミューレンが送った緩やかなクロスを、強烈かつ繊細かつ完璧なタッチでダイレクトボレー。一瞬、誰もが目を疑うようなスーパーゴールがネットに突き刺さったのだ。このゴールを未だに「フットボール史上最も美しいゴール」に挙げる人も多いだろう。それほどの“格”を感じさせる伝説的なゴールである。
また、彼の技術とダイナミックさを証明する2つのゴールも魅力的だ。アヤックスでプレーしていた1986年、若き日に決めたオーバーヘッドでのエールディヴィジ初ゴールは、本人も「美しい絵画」と表現するほどお気に入りだ。自伝『Fragile』でもその場面を鮮明に振り返っていた。
さらに、ミラン時代の1992年11月のチャンピオンズリーグ、IFKヨーテボリ戦も圧巻だ。この試合で4ゴールと異次元のパフォーマンスを見せていたが、特に3ゴール目はおそらくロッソネリで決めた最高のゴールだろう。あのシザースからのゴールはタイミング、精度、協調性の完璧な融合だった。
だが、ファン・バステンがフットボール界の「アイコン」であるのは、最高のゴールを決め続けたからだけではない。良いときも悪いときも、歓喜も悲哀も知るからこそ、彼の物語は世界中の人の胸を打ったのだ。
自身のアイドルであったクライフと代わって出場したプロデビュー、足首の痛みを抱えながらプレーを続けた苦悶の表情、1992年EURO準決勝のPK戦後の涙、1993年チャンピオンズリーグ決勝で敗れた後の表情……極めつけは1995年8月18日。スエードのジャケットに身を包んだ30歳の彼は、ほぼプレーできなかった2年間を経て、サン・シーロのピッチを周りながら涙に暮れるミランサポーターへ別れを告げた。そう、偉大な選手としては早すぎる現役引退を余儀なくされたのである。彼は自伝にこう記している。
「8万人の前で、私は自分の別れの瞬間を目撃している。マルコ・ファン・バステン、フットボーラーはもう存在しない。みんなはもういない人間を見ているんだ。亡霊に拍手を送っている。私は走り、拍手を送り返すが、もう自分はいない……悲しみが奥深くから湧き上がり、私を圧倒する。大声援と拍手が、私の心を貫いていく。泣き出してしまいたいが、ここで子どものように涙は流せない。冷静さを保たないと……試合は終わった。何かが変わってしまった。私を形作っていた、何かが変わってしまった。フットボールは私の命だった。私は命を失った。フットボーラーとしての死を迎えた。だが、私はここにいる。自分の葬式に招かれた客人のようだ」