BRITAIN-CINEMA-FILM-FBL-ENG-PR-ROBSONAFP

イングランド代表レジェンドが明かすアルコール依存症、薬物使用、盗聴被害、幼少期のトラウマ…

  • 現役時代にニューカッスルやトッテナム、レンジャーズなどで活躍したポール・ガスコイン氏。さらにイングランド代表として57試合に出場し、1990年ワールドカップではその圧倒的な技術力とセンスで目覚ましい活躍を披露。また、準決勝の西ドイツ代表戦で試合中に流した涙は「ガッザの涙」として世界中に広まり、イギリス国民のハートを掴んでいる。

  • 広告
  • Paul Gascoigne 1991 FA Cup Semi Final Tottenham Hotspur v ArsenalHulton Archive

    そんな“ガッザ”だが、現役時代からその言動が大きな話題を集めるとともに、引退後はアルコール依存症やうつ病に苦しめられていた。『ITV』の「グッド・モーニング・ブリテン」に出演した際、再びアルコール依存症匿名会(AA)に参加せざるを得なかった闘病生活について赤裸々に語っている。

    「何カ月も問題なく過ごせるのに、たった2日間のつまずきで最悪の結果を招いてしまう。その後数日間は自分自身を嫌悪するんだ」

    「ただただ惨めになって、AAのミーティングに参加してただ話を聞くしかない。『なぜこうなるのか』と自問するからだ。AAのミーティングに初めて参加して、初めて自分がアルコール依存症だと気づいたんだ」

    インタビュー中には、何度も涙を堪えるような仕草を見せたガスコイン氏。「断酒は不可能なのか?」と問われると、こう答えている。

    「そうでもない。(断酒を試みた期間)5年、さらに4年は耐えた。他のことと同じさ。床屋に長く座っていれば、いずれ髪を切られる」

    「この本『エイト』(ガスコイン氏の自伝)は、他の人を助けようと思って書いたんだ。これはフットボールの話じゃない。自分が経験した苦闘の記録だ」

  • またガスコイン氏は、現役時代の薬物使用も認めている。2015年には『ミラー・グループ』のジャーナリストが10年間に渡ってガスコイン氏の携帯電話をハッキングしていたことが判明したが、その時をこう振り返っている。

    「初めて薬物を使った時、電話盗聴が原因で両親と3カ月も疎遠になった。それが家族を壊したんだ。22歳の時、父が私を11日間強制入院させたよ。潜入捜査官がいたからね。その後は落ち着いていた」

    「話したのは両親だけだったのに、新聞に次々と暴露されて、結局彼らとも疎遠になった。携帯を6台も持つ羽目になり、それでも公衆電話ボックスで話してたんだ」

    「『一体何やってんだ?』、『なぜ新聞に話すんだ?』ってね。それが家族を壊した。薬物に支配された。父が強制入院をさせたことが人生で最高の決断だった」

  • England v Montenegro - UEFA Euro 2020 QualifierGetty Images Sport

    さらにガスコイン氏は、幼少期のトラウマも告白。10歳の時、面倒を見ていた友人の弟が腕の中で息を引き取ったことを明かした。

    「その弟はクラブに行きたがらなかったので、私が面倒を見ることにした。彼はたったの8歳で、私は10歳だった。店を出た時、私は『急いで、さあ、走って行こう』と言った。彼は私たちの前を1ヤードほど走ったところで、車がそのまま彼にぶつかったんだ」

    「駆け寄ると、彼は私の膝の上で息を引き取った。唇が微かに動いたのでまだ生きていると思い、『大丈夫、息してるよ』と言ったが、そうではなかった。あれが彼の最後だった」

    「10歳の時に棺から彼を抱き上げた。凍るように冷たかったのを覚えている。棺が運ばれた後、また同じ部屋で一週間、彼らと一緒に過ごした。10歳の子供が棺と同じ部屋にいるなんて、恐ろしいことだった。その後、私は物音や痙攣に悩まされるようになり、もう彼に会いに行かないと決めた。フットボールに本気で打ち込むようになって初めて、ようやくその記憶から解放され始めたんだ」