2003年にスポルティング・リスボンから10代選手の移籍金最高額(当時)でマンチェスター・ユナイテッド入りしたC・ロナウドは、同年8月16日に行われたボルトンとのプレミアリーグ開幕戦でデビューを果たした。
C・ロナウドは61分にニッキー・バットに代わって途中出場。試合はルート・ファン・ニステルローイらのゴールにより、4-0で勝利している。今回は、C・ロナウドのデビュー戦で彼と共にプレーしたメンバーを振り返る。
GOAL2003年にスポルティング・リスボンから10代選手の移籍金最高額(当時)でマンチェスター・ユナイテッド入りしたC・ロナウドは、同年8月16日に行われたボルトンとのプレミアリーグ開幕戦でデビューを果たした。
C・ロナウドは61分にニッキー・バットに代わって途中出場。試合はルート・ファン・ニステルローイらのゴールにより、4-0で勝利している。今回は、C・ロナウドのデビュー戦で彼と共にプレーしたメンバーを振り返る。
Getty元アメリカ代表のゴールキーパーは2003年にクリスティアーノ・ロナウドと共にマンチェスター・U入り。3シーズンプレーした後、契約の最終年にエヴァートンへレンタルで移籍した。その後、完全移籍でエヴァートンに渡ると、9年間プレー。キャリア終盤にはメジャーリーグサッカー(MLS)のコロラド・ラピッズなどでプレーし、現役引退している。
Gettyマンチェスター・Uアカデミー出身のフィル・ネヴィルは92年組のメンバー。1994年にデビューすると、2005年までプレーした。その後の8シーズンはエヴァートンで主力を担い、2013年に現役引退している。引退後は、バレンシアのアシスタントコーチやイングランド女子代表の指揮官を務め、2021年1月にはMLSのインテル・マイアミの指揮官に就任した。
Getty Imagesイングランド史上最高のセンターバックの一人であるリオ・ファーディナンドは、2002年にライバルのリーズからマンチェスター・U入り。移籍金は当時のレコードとなる3000万ポンドだった。マンチェスター・Uで12年にわたってプレーしたファーディナンドは、2014年にQPRへ移籍。2015年に現役引退してからは、解説者の仕事などで人気を博している。
Getty Images元フランス代表のディフェンダーは1999年にインテルからマンチェスター・U入り。センターバックや左サイドバックとして、9シーズンにわたってプレーした。その後、アーセナルやブレーメン、ポートランド・ティンバーズなどでプレー。2014年にインドのスーパーリーグにも挑戦した後、引退した。その後は、レンヌのスポーツディレクターなどを務め、現在はフットボールディレクターのほか事業なども展開している。
Getty Images元南アフリカ代表のフォーチュンは、1999年から2006年までマンチェスター・Uに在籍。左サイドハーフなど中盤のほか、左サイドバックとしてもチームに貢献した。マンチェスター・Uのほかには、アトレティコ・マドリーやボルトンなどでもプレー。ドンカスター・ローヴァーズに在籍した後、2010年に現役引退した。引退後は、カーディフ・シティU-21チームやレディングのほか、マンチェスター・Uのユースのコーチも務めた。

マンチェスター・Uのキャプテンも務めたレジェンドのロイ・キーンは、1993年に加入してから2005年まで欠かせない存在として活躍。退団後はセルティックで1シーズンプレーして現役引退した。引退後はサンダーランドやイプスウィッチの監督、アイルランド代表やノッティンガム・フォレストのアシスタントマネージャーなどを務めた。現在は主に解説者として歯に衣着せぬコメントを残している。
Getty92年組のバットは、マンチェスター・Uで12年にわたって在籍。2004年にニューカッスルへ移籍し、その後に引退した。引退後はマンチェスター・Uに戻り、ファーストチームのコーチとしてクラブに貢献。2021年3月に職を離れた。
Gettyマンチェスター・Uアカデミーの傑作であるスコールズは、ライアン・ギグスと同様にワン・クラブ・マンとして伝説となった。2013年に引退した後、ギグスやバット、ネヴィル兄弟らと共に2014年にサルフォード・シティを買収した。その後はオールダムの監督やサルフォードの暫定監督などを務めつつ、解説者としても活躍している。
Getty1996年にモルデから加入したスールシャールは、2007年に引退するまで11シーズンにわたってマンチェスター・Uでプレーした。引退後はリザーブチームの監督を務め、モルデの指揮官に。カーディフ・シティの監督を経てモルデに戻り、2018年12月にはジョゼ・モウリーニョ元監督の後任としてマンチェスター・Uのトップチームを率いた。
(C)Getty Imagesオランダ代表のレジェンドは、2001年にPSVからマンチェスター・U入り。2006年にレアル・マドリーに移籍するまでに5シーズンにわたって得点を量産した。キャリア終盤にはハンブルガーSVとマラガに在籍し、2012年に現役を退いた。引退後はオランダ代表のアシスタントコーチやPSVユースなどを指揮。EURO2020ではフランク・デ・ブール監督のアシスタントとしてベンチ入りした。
Gettyマンチェスター・Uのレジェンドは24年にわたってワン・クラブ・マンとして象徴となり、963試合という史上最多出場記録を樹立した。2013-14シーズンのラスト4試合では、デイヴィッド・モイーズ元監督の後任として暫定的にトップチームを指揮。ルイス・ファン・ハール元監督のアシスタントも務め、2018年にはウェールズ代表指揮官に任命されたものの、個人的な理由で辞任するに至った。

ポルトガルのスーパースターは2003年から2009年までマンチェスター・Uで名を馳せた。出場した292試合で118ゴールをマーク。3度のプレミアリーグやFAカップ、チャンピオンズリーグ優勝も経験した。2009年にレアル・マドリーに移籍した後、ユヴェントスでセリエAに挑戦。2021年の夏にはマンチェスター・Uに12年ぶりとなるセンセーショナルな復帰を果たした。
(C)Getty Imagesカメルーン出身のボランチは、2003年から2シーズンにわたってマンチェスター・Uに在籍。その後、カタールやデンマークのオーデンセ、ハポエル・テル・アヴィヴ、パルチザン、セント・ミレンなど多くのクラブでプレーした。
(C)Getty Imagesウルグアイ代表のレジェンドは、2002年から2004年の約2年半にわたってマンチェスター・Uでプレー。その後、ビジャレアルやアトレティコ・マドリーで活躍すると、2010年の南アフリカ・ワールドカップではMVPを獲得した。さらにインテル、インテルナシオナルを経て、2014年から1年半にわたってセレッソ大阪に在籍した。キャリア終盤はペニャロールやムンバイ、傑志などでプレーした後に引退。監督としてはこれまでペニャロール、アテナスといった母国クラブを率いている。