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アンリ、ベルカンプ、サカ…21世紀のアーセナル最高の選手ベスト25ランキング

アーセナルの21世紀は、イングランドの2強チームのひとつとして始まった。あれから25年、今も同じ地位にいる。その間の数年はチーム力が大きく衰退したことがあったとしてもーー。

2000年代初頭は、ガナーズ史上最高の時代のひとつであった。無敗優勝という快挙を達成した2003-04シーズンを頂点に、2010年代は急速に変化するサッカー界においてアーセン・ヴェンゲルの魔法が通用し続けるかを模索した時代であった。

2010年代が終わると、ミケル・アルテタが就任し、再びアーセナルはタイトル争いに向けて猛進した。だが、その旅は苦痛に満ちたものとなり、スペイン出身監督の時代は記憶に新しい中では最も厳しい数シーズンであった。

だが、不遇の時代を経験している時でさえも、アーセナルにはファンを楽しませられる魅力的な選手が大勢いた。プレミアリーグでタイトルを獲得し続けてきた強靭なメンタルを有する選手たちから、最近のアルテタ時代にも楽しい時間を取り戻すことに貢献したニュー・ヒーローまで、クラブに3シーズン以上在籍し、この四半世紀に活躍した英雄たちをランキング付けする。

  • Wiltord Arsenal Getty Images

    25シルヴァン・ヴィルトール

    2002年5月、マンチェスター・ユナイテッド戦でフレドリック・ユングベリのシュートを押しこみ得点を決めたシルヴァン・ヴィルトールは、アーセナルのファンから永遠に忘れられない存在となった。そのごっつぁんゴールはプレミアリーグ優勝を決定づける得点であったが、ヴィルトールがチームの成功に決定的な貢献をしたのはこれが最後ではなく、2002年のFAカップ決勝ではレイ・パーラーの見事なゴールのお膳立てをしている。

    ヴィルトールはティエリ・アンリやデニス・ベルカンプに比べると二番手という印象があるかもしれないが、右ウイングとして途中出場でも先発出場でも大いに敵を苦しめていた。報酬が高くなり過ぎさえしなければ、アンドレイ・アルシャヴィンの加入で途中で終わることとなった8年半というアーセナル史上最長の契約を続け、北部ロンドンでさらに愛される選手となっていたかもしれない。

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  • Bacary Sagna ArsenalGetty Images

    24バカリ・サニャ

    バカリ・サニャは面白い事例だ。2007年、フランスのオセールからさほど期待されることなく加入してきたサニャは、7年後にマンチェスター・シティに移籍するまでにタイトルをひとつしか獲得していない。それも最終シーズンのFAカップ制覇である。ただし、並べるトロフィーの数は少なくとも、彼がいた間、右サイドからアーセナルがやられることはなかった。

    同時代の他のDFはもっと攻撃的だったが、相手選手を止めることに関してサニャは世界有数の選手であった。空中戦でも地上でも敵を圧倒し、何度もぶつかられながら、倒れたままでいることはなかった。最終的にサニャはガナーズで300試合近く出場したが、アーセナルが最高の選手たちを放出していることに不満を感じてチームを去った。

  • Laurent Koscielny Arsenal Getty Images

    23ローラン・コシールニー

    ローラン・コシールニーは10年近くアーセナルの守備の要だった。確かに最初のころは少し危なっかしいところもあったが、その地位を確立してからは先発メンバーから外されることはなかった。

    センターバックとしての素晴らしさの源はその異常なほどの敏捷性にあった。ガナーズの高いラインが突破されても、コシールニーだけは戻って危険を一掃することができた。パスの精度も優れていて、1試合に何度もアーセナルの前線にレーザー並みの精度のピンポイントパスを送る一方、自分で重要な得点を決める能力もあった。

    キャリアの最後は残念な形になってしまい、アメリカへのプレシーズンツアーへの参加を拒否したことで、故郷フランスに戻らざるを得なくなった。それでも、全盛期の彼は実に素晴らしい選手であった。

  • Aubameyang Arsenal Getty Images

    22ピエール=エメリク・オーバメヤン

    終わり方のことは忘れよう。退団前までのピエール=エメリク・オーバメヤンは、アーセナルでとにかく点を取って取って取りまくった。最終的に163試合で92得点も決めたのである。その得点率はプレミアリーグを飾ったすべての至高のセンターフォワードの中でトップなのだ。

    北部ロンドンでの最初のシーズンの前半では、出場試合数よりも得点数の方が多かった(13試合で14得点)し、そんな信じられないスタートの後、2018-19シーズンと2019-20シーズンにはリーグ戦で2年連続22得点を記録した。その後、彼をめぐる事情は複雑になってしまったが、オーバメヤンなしではアーセナルは2020年のFAカップ制覇を果たせなかっただろう。このガボン代表は、無観客のウェンブリーでチェルシー相手に2得点を決めたのである。

  • Aaron Ramsey Arsenal Getty Images

    21アーロン・ラムジー

    アーロン・ラムジーは2013年から2017年にかけてウェンブリー・スタジアムを“庭”にしていた。この間、ラムジーは3度FAカップの決勝でプレーし、そのうち2試合で決勝点を決めた。最初はハル・シティ、次は難敵チェルシーが相手だった。

    これは大舞台でのラムジーの強さを示すものだが、このMFは、ガナーズ在籍中に北部ロンドンのダービーで3度ゴールネットを揺らしている。残念ながらその間、ケガのために長くプレーできない時期もしばしばあった。だが、2019年にフリーで完全にエミレーツを去る挨拶をした時にエミレーツの芝生の上で流した涙は、彼にとってアーセナルがどれほど大事なクラブであったかを物語っていた。

  • Santi Cazorla ArsenalGetty Images

    20サンティ・カソルラ

    2012年にエミレーツにやって来た時のサンティ・カソルラは、身長が150cmを少し超えたくらいで、恵まれない体格を補うだけの強さもなく、プレミアリーグのサッカー選手の平均に遠く及ばなかった。だが、カソルラは、そんな恵まれない体格を、プレミアリーグ史上最も完璧なテクニックのひとつを身に着けることで補ってきた。

    2010年代のアーセナルの敵たちは、どんなに挑戦しても、このなめらかな動きのスペイン代表からボールを奪うことが出来なかった。デビューシーズンに12得点11アシストを記録し、当然ながらガナーズの年間最優秀選手に選ばれた。両足使いのカソルラはアーセナルのファンを喜ばせ続け、2014年と2015年のFAカップ2連覇をもたらしており、ケガさえなければ、北部ロンドンにさらなる喜びをもたらしていたことだろう。

  • Kanu Arsenal Getty Images

    19ヌワンコ・カヌ

    ティエリ・アンリとデニス・ベルカンプがいたため、ヌワンコ・カヌは決してアーセナルの主役になれなかったが、それでも巷で最高に人気の選手となった。並外れたスキルの持ち主で、長身のナイジェリア代表にはバレリーナのような優雅さがあり、見事なボール扱いで相手DFを翻弄し、一瞬で置いてきぼりにしてしまうのだった。

    しかしながら、すぐにガナーズのファンに愛されるようになったわけではなく、その激しさに欠けたプレースタイルにファンが慣れるまでに時間がかかった。だが、ほどなく、世紀が変わる直前のチェルシー戦で素晴らしいゴールを連発してハットトリックを達成したことでファンに愛されるようになった。

    「チム・チムニー、チム・チムニー、チムチム・チェリー、アネルカなんか要らない、カヌがいるから」とファンは歌った。2004年にチームを去るまでに2度のプレミアリーグ優勝を果たし、ガナーズの伝説のひとりとなった。

  • Martin Keown Arsenal Getty Images

    18マーティン・キーオン

    1980年代半ばにユース時代から所属していたアーセナルで結果を残せなかったマーティン・キーオンは、1993年に再びアーセナルと契約し、その後11年にわたってヨーロッパで最も恐れられた守備陣のひとりとして重要な役割を担い続けた。2000年以降の成功に関して言えば、その多才な守備力で2001-02シーズンの二冠達成に中心的な役割を果たし、”インヴィンシブルズ”時代にはレギュラーではなかったが、それでも存在感を示していた。

    実際、DFキーオンは2003年9月のかの有名な「オールド・トラッフォードの戦い」の主役だった。同点のまま後半のアディショナルタイムに突入したその試合、キーオンと何度か接触したディエゴ・フォルランがボックス内で倒れ、ルート・ファン・ニステルローイがPKを蹴ったが、失敗。たちまちアーセナルの選手たちが彼を取り囲んだが、その先頭にいたのがキーオンだった。アーセナルのカリスマはファン・ニステルローイの顔すれすれまで近づき、その光景はプレミアリーグ史上最も象徴的な画像のひとつとなった。

  • Martin Odegaard Arsenal Getty Images

    17マルティン・ウーデゴール

    過去数十年において、サッカーは多くの天才を生みだしてきた。そのほとんどは消えていき、無限と思われた才能を発揮できずに終わっている。ところがマルティン・ウーデゴールは違う。15歳でレアル・マドリーに加入し、世間にその存在を知らしめた後、ミケル・アルテタ率いるアーセナルの創造性の主軸に成長したのである。

    安定したスタートを切ったウーデゴールは、2022-23シーズンの初めにキャプテンとなり、世界最高のMFの一人として成長していった。2年連続でアーセナルの年間最優秀選手に選ばれたが(2023、2024)、そのアタッキングサードでの統率力で、ガナーズを、マンチェスター・シティの比類なきプレミアリーグ支配を崩すのにあと一歩のところまで近づけた。

  • Lauren ArsenalGetty Images

    16ローレン

    おそらくは”インヴィンシブルズ”で最も過小評価されている選手であるローレンは、2000年にレアル・マドリーへの移籍を蹴ってアーセナルに加入し、センセーションを巻き起こした。その決心が素晴らしかったことは、スペイン育ちのカメルーン代表がプレミアリーグ二冠達成シーズンのレギュラーとなったことで証明された。

    ローレンはユース時代にはFWだったが、彼のプレーを見ればすぐになるほどと思うだろう。前線に駆けあがって攻撃陣をサポートすることを好み、2002年の北部ロンドンのダービーでは、大事な決勝点を決めたことで有名であるが、守備面でも激しい選手だった。フレドリック・ユングベリとのコンビは特に強力で、2人で何年にもわたって左サイドに多くの混乱をもたらした。

  • Ray Parlour Arsenal Getty Images

    15レイ・パーラー

    平均的なサッカーファンにレイ・パーラーのことを話しても、熱狂することはないだろう。現役を終えた後のラジオ番組での軽妙なトークを除けば。ただし、アーセナルのファンにとっては、「ロムフォードのペレ」は生きる伝説である。

    ユース・アカデミーの出身で、トップチームに昇格した時はかなりのアルコール好きだった。ヴェンゲルの就任とともに、パーラーのような古いタイプの選手の時代は終わりを迎えたかに見えたが、「教授」はパーラーを起用し続けることを選択した。

    パーラーは、1990年代後半から2000年代初頭にかけて精力的なプレーでその恩に報いた。観客に注目されるような選手ではないが、勤勉で多才で性格のよいパーラーは、チームに貢献できる完璧な選手であった。ガナーズの二冠達成に貢献し、特に2002年のFAカップ決勝での得点は衝撃的であった。”インヴィンシブルズ”のシーズンを完結させた後、究極のアーセナルの英雄のまま2004年にチームを去った。

  • Bukayo Saka Arsenal Getty Images

    14ブカヨ・サカ

    ブカヨ・サカはアーセナルの伝説になる道を進んでいる途中である。クラブの有名なヘイル・エンド・アカデミー出身であることが助けになっていることは確かだが、このイングランド代表のスターが尊敬を集めているのは、センチメンタルな感情からのみではない。驚くほど定期的に攻撃の結果を出してきたからでもある。

    アーセナルがプレミアリーグで結果を出せないでいた時期は、サカが先発メンバーに定着し始めてきた時期と一致する。率直に言って結果がさえない時にファンの心が離れないようにするのに、サカの存在がどれだけ大事だったか、どんなに強調してもしすぎることはない。過去2年以上にわたり、若きサカは目覚ましいスピードで成長を続け、タイトル争いにおいてガナーズがマンチェスター・シティに急追する間、ほとんどすべての試合に出場し続けた。

    サカの時代はまだ始まったばかり。2025-26シーズンに優勝を果たすために決定的な仕事を果たせば、さらに大きなランクアップは間違いない。

  • Alexis Sanchez ArsenalGetty Images

    13アレクシス・サンチェス

    2014年、アレクシス・サンチェスがバルセロナからアーセナルに移籍した時、ヴェンゲルは、前線に「パワーや創造性、質の高さ」がもたらされるだろうと予言した。チリ代表サンチェスは最初のシーズンですぐさまプレミアリーグのトップ・ストライカーのひとりとなり、予言の正しさは証明された。サンチェスは25得点12アシストを記録したが、その中にはその年のFAカップ決勝での1得点1アシストが含まれる。

    その後の数年間サンチェスは活躍を続け、2016-17シーズンには再びFAカップ決勝で得点して勝利に貢献し、公式戦30得点を決めて2度目のアーセナルの年間最優秀選手に選ばれた。翌年1月にマンチェスター・ユナイテッドに移籍したが、この移籍は両当事者にとって良いものではなかった。実際、最初の練習参加後すぐにエミレーツに戻れないかと代理人に頼んでさえいる。

    「みんなに笑われた。僕はみんなに、どうもうまくいかないことがあると言った。良くないように感じていた」と、2020年に語っている。

    「だけど僕はもうサインをしてしまっていた。すでにそこにいたんだ。最初の数カ月が過ぎても、同じ気持ちだった。あの時、僕らはチームとしてまとまっていなかった」

  • Arsenal's German Goalkeeper Jens LehmannAFP

    12イェンス・レーマン

    イェンス・レーマンほど少しクレージーなGKというステレオタイプに当てはまる選手はいない。伝説のGKデビッド・シーマンの後を継ぐのは簡単なことではなかったが、ドイツ代表レーマンはひるむことなく挑戦した。実際、レーマンの攻撃的で勇敢で、時に愚かなスタイルはいくつかの失敗につながり、困難な時もあった。特に有名なのは2006年のチャンピオンズリーグ決勝で、うかつにもサミュエル・エトーを倒してしまった。それでも最終的にガナーズ在籍中のレーマンの存在はプラスの収支であった。

    アーセナルで最初のシーズンはプレミアリーグを無敗で制したシーズンだったが、レーマンは全試合フル出場。チャンピオンズリーグ史上最多連続無失点試合の記録も持っている。2008年、ガナーズとして最後の試合となると思われていた試合では熱狂的な拍手を受けたが、実際には数年後、ケガ人続出のアーセナルを救うべく引退を撤回し、再びファンの称賛を受けるチャンスをもたらした。

  • Kolo Toure Arsenal Getty Images

    11コロ・トゥーレ

    コロ・トゥーレがトップに立つまでの道のりは興味深いものだった。コートダジュールのASECミモザから2002年にアーセナルに移籍したトゥーレはさまざまなポジションでプレーした後、2003-04シーズンを前にして、ベテラン選手のマーティン・キーオンの負傷により一番好きなポジションであるセンターバックでプレーできるようになった。キーオンやソル・キャンベルに守られて大いに成長したトゥーレは、たちまち積極的な守備で頭角を現し、そのシーズンのプレミアリーグで出場しなかったのは1試合だけだった。

    「あれは私にとって大きな意味があった。マーティンは現役の最後に近づいていたが、私を大いにサポートしてくれて、自分を表現する場を与えてくれた」と、トゥーレは最近のクラブのサイトでのインタビューで当時を振り返っている。

    「彼は、私のことを自分を脅かすものだとか、ライバルとはみなさず、一緒にチームを強くする弟のように思ってくれていた」

    センターバックの相棒だったウィリアム・ギャラスとの確執から2010年に早まった移籍をしなければ、トゥーレはガナーズの先発イレブンの要であり続けただろう。

  • Ashley Cole ArsenalGetty Images

    10アシュリー・コール

    アシュリー・コールはアーセナルのファンに嫌われている。だが、悪名高いチェルシーへの移籍に先立って論争を巻き起こした「金目当て」との批判を除けば、彼がこのリストに入れるべき存在であることは疑う余地がない。ジョゼ・モウリーニョに攻撃的本能を鈍らされる前のコールは、自由な精神で攻撃的なマインドを持つサイドバックとの評判を北部ロンドンで築きあげていた。

    今世紀のアーセナルの2度にわたるプレミアリーグ制覇の際にはレギュラーとして活躍し、2003年から2005年まで3年連続でPFA年間ベストイレブンに選出されている。ヴェンゲルでさえ、2018年に、コールを手放したことが自身のキャリアの中で最も大きな後悔だと告白している。「(彼は)クラブを去ったが、私は、あれは数千ポンドの誤解だったと思う」と自伝に書いている。

  • Robin van Persie Arsenal Getty Images

    9ロビン・ファン・ペルシ

    ロビン・ファン・ペルシを、プレミアリーグの偉大なストライカーの殿堂入りに値するというのはおかしく感じられるかもしれないが、度重なるケガさえなければ、もっと活躍できた選手であった。

    アーセナルでのキャリアの始まりは、ややゆっくりしたものだった。比較的若くして加入した後、2シーズンかけてワールドクラスの選手に成長していき、プレミアリーグのわずか63試合で合計48得点を挙げた。

    もちろん、このリストに挙がっている他の何人かの選手同様、彼も、レガシーの構築という意味では、理想的とは言えない去り方をしている。2011-12シーズンが終わった後、マンチェスター・ユナイテッドのサー・アレックス・ファーガソンのもとでプレーすることを選択し、結果的にPFA年間最優秀選手に選ばれた。自伝によると、ヴェンゲルは2015年に、ファン・ペルシにエミレーツへ戻ってこないかと声をかけたと明かしているが、ファン・ペルシはそれを断っている。

  • Gilberto Silva Arsenal Getty Images

    8ジウベルト・シウバ

    ジウベルト・シウバの異名「ブラジル見えない壁」は、2003年から2008年にかけてヴェンゲルのチームに彼がいかに貢献したかを見事に表現している。ブラジル代表としてワールドカップで活躍した後プレミアリーグへの移籍を勝ち取ったジウベルトは、アーセナルが望むプレーに完璧に見合った守備的MFであった。

    試合の読みが完璧で、そのおかげでパトリック・ヴィエラは自由に動きまわることができ、両サイドバックはピッチのより高い位置にいることができた。ジウベルト自身も提供できる能力を数多くもっていた。”インヴィンシブルズ”のシーズンにはプレミアリーグで4得点に貢献したが、数年後にはゴール数を爆増させ、2006-07シーズンには公式戦で11得点を挙げている。

    ジウベルトはこの時代に最も称賛すべき選手ではないかもしれないが、ガナーズが満喫した成功すべてにおいて鍵となる選手であった。

  • Cesc Fabregas Arsenal Getty Images

    7セスク・ファブレガス

    彼のサッカーの経歴については知らない人でも、セスク・ファブレガスが10代でアーセナルのトップチームに抜擢された時、彼がかの有名なラ・マシアのアカデミー出身であることはすぐにわかった。最終的にバルセロナは過ちに気づき、2011年、地球で最も優れたMFのひとりに成長したファブレガスと途方もない額で再契約した。

    掲げたトロフィーはひとつだけでアーセナルを去ったファブレガスだったが、ガナーズのファンに与えた喜びは測り知れない。長くチームの創造性の支柱だったファブレガスは、2007-2008シーズンを20アシストで終えたが、これは現在でもプレミアリーグ記録であり、2009-10シーズンには驚くべきことに30得点に貢献している。

    2014年にバルセロナを去って宿敵チェルシーへの移籍を決めたことは苦々しいことであったが、だからと言ってアーセナル時代の彼のプレーの素晴らしさを忘れ去ることはできない。

  • Sol Campbell Arsenal Getty Images

    6ソル・キャンベル

    ソル・キャンベルは、2001年に北部ロンドンを横切って衝撃的に移籍した時、トッテナムで最も憎まれる男となった。スパーズのファンからしてみればこの移籍はキリスト教における「ユダ」のようなものであったが、純粋にサッカーの観点から見れば、結果的にその決心はアーセナルにとってもキャンベル自身にとっても良いものであった。

    移籍して最初のシーズンはガナーズがプレミアリーグとFAカップを制覇したシーズンであったが、キャンベルが出場しなかったのは7試合だけで、シーズン終盤にトニー・アダムスが引退すると、キャンベルの重要性は増すばかりであった。体格のいいセンターバックとして、2002-03シーズンと2003-04シーズンにはPFA年間ベストイレブンに選出され、2006年にはチャンピオンズリーグ決勝で大活躍した。パリで開催されたこの試合で、バルセロナ相手に得点まで決めたが、ほどなくしてチームを去ることとなる。

    ところが2009-10シーズンの途中、アーセナルの守備陣にケガ人が続出したことで声がかかると、アーセナルに復帰して人々を驚かせた。

  • Freddie Ljungberg Arsenal Getty Images

    5フレドリック・ユングベリ

    1998年、赤く髪を染めあげたフレドリック・ユングベリが登場した時、プレミアリーグの人々は何が起こったのかわからなかった。アーセナルでのデビュー戦、それもマンチェスター・ユナイテッド戦で途中出場から得点を決めた後、今世紀に入って以降、赤いユニフォームを着たユングベリの絶頂期が訪れる。

    ロベール・ピレスのケガにより、ユングベリは二冠を達成した2001-02シーズンを先発メンバーとして終えると、チャンスを最大限生かしてチームのプレミアリーグ最後の8試合で6得点を挙げ、タイトル獲得に貢献した。同じ年のFAカップ決勝のチェルシー戦でも得点している。

    ユングベリは同じく”インヴィンシブルズ”のシーズンでも重要な役割を果たし、退団までに300試合以上に出場して大いに名をあげた。

  • Robert Pires Arsenal Getty Images

    4ロベール・ピレス

    ロベール・ピレスは北部ロンドンですぐに活躍できたわけではなかった。2000年にマルク・オーフェルマルスの代わりに起用されたピレスは、10月までプレミアリーグでの初ゴールを挙げることができなかった。だが、最終的には新しい環境に慣れ、誰にも止められないドリブルとゴールチャンスを見逃さない目を持ったピレスは、ボックス内でのトリックとフェイントで、止めようとしてくる相手サイドバックを恐怖に陥れた。

    アーセナルでの2シーズン目はあの有名な二冠達成シーズンだったが、ピレスは13得点18アシストを記録し、3月に前十字靭帯のケガを負ったにもかかわらず、最終的に、FWA年間最優秀選手賞を受賞した。5月にプレミアリーグのトロフィーが授与された際には、チーム全員がピレスに頭を下げ、究極の敬意を示したほどだった。

    この時がピレスの絶頂期だったが、その後の数年間もエキサイティングなプレーを見せ、最終的に2006年にビジャレアルへ移籍するまでに、公式戦で300試合近くに出場した。

  • Patrick Vieira Arsenal Getty Images

    3パトリック・ヴィエラ

    パトリック・ヴィエラはあまりにも圧倒的な存在だったため、2005年にアーセナルを去った後、クラブは彼の後任を見つけるのに10年以上も苦労した。実際、彼を失った穴を完全に埋めることは不可能だった。真に唯一無二の存在だったのだ。

    ヴィエラは1996年に加入してすぐ活躍し、同じくフランス代表のエマニュエル・プティと中盤でダイナミックなコンビネーションを見せつけ、ガナーズとしての最初のシーズンにチームのプレミアリーグ制覇に貢献した。2002年には再びタイトルを獲得し、アーセナルのキャプテンに任命され、大いに活躍した。とりわけ、マンチェスター・ユナイテッドのキャプテンだったロイ・キーンとは大いにやり合った。

    おそらくヴィエラのことを最もうまく総括したのはフランス代表の同僚マルセル・デサイーで、次のように語っている。

    「彼は2人の選手が合わさったような選手だった。フィジカルが恐ろしく強かったが、同じくらい技術が洗練されていた」。実際、ヴィエラは楽々とボールを奪うだけでなく、ライン際に絶妙なパスを通すこともできた。そのためアーセナルのサポーターはヴィエラを敬愛していた。

  • Dennis Bergkamp Arsenal Getty Images

    2デニス・ベルカンプ

    デニス・ベルカンプは10年近くも北部ロンドンにいた間、不可能と思われることを楽々とやってみせた。1995年、ベルカンプがアーセナルの移籍記録を大きく超える額でインテルから加入したことが、クラブの歴史の転換点となる。アーセナルはこれ以降、その特徴となる世界的に熱狂的な支持を受けるチームとなったのだ。

    1990年代後半は、おそらくベルカンプにとって絶頂期だったろうが、21世紀に入ると実質的にプレーできない状態が続いた。彼の伝説的なゴールは2002年のニューカッスル戦での得点で、おそらく史上最もエレガントなゴールであり、彼の才能が凝縮されたゴールであった。しかし、2000年代に彼を重要人物たらしめたのは、その無欲さであった。「彼はストライカーにとって夢の存在だ」と、長く前線でコンビを組んでいたティエリ・アンリは言った。

    「最も大事なのはチームだ。私がデニスを尊敬するのはそのためであり、それこそが彼が長年してきたことである。私はいつも、私が一緒にプレーしてきた中で最高の選手は彼だったと言っている」

  • FBL-ARSENAL-KEOWN-TESTIMONIALAFP

    1ティエリ・アンリ

    ティエリ・アンリは1999年の夏、アーセナルに加入した。レアル・マドリーへ超大型移籍を果たしたニコラ・アネルカの代わりを務めたが、最初の頃は特に期待されるような選手ではなかった。プレミアリーグ開幕日のレスター・シティ戦にウイングとして途中出場したが、何度もチャンスを逃してしまった。だが、その後の8年間でプレミアリーグ史上最も破壊的なセンターフォワードとなっていくのである。

    猛烈なスピードを誇り、すべてのゴールが記憶に残り、別次元の視野を持っていたアンリは、数々の記録を打ち立て、いくつものタイトルを獲得し、2007年にバルセロナへ移籍するまで、紛れもなくガナーズの神であった。FWA年間最優秀選手賞に3度選ばれ、2011-12シーズンの途中にレンタル移籍でアーセナルに復帰し感動を呼んだ。2度目のデビュー戦となったFAカップのリーズ戦で得点を決めてもいる。シュートが決まった瞬間のエミレーツの大騒ぎぶりは、アンリがアーセナルのファンにとってどれほど神のような存在であり続けていたかを物語っていた。

    このリストのトップの座をめぐって彼を脅かす者は誰もいない。