Getty/GOALルジェー・シュリアク(Roger Xuriach、スペイン『パネンカ』誌)&江間慎一郎
【バルセロナの憂鬱】「すべてか、何もないか」…生き残るために手放した未来と生き残るためのクラシコ
(C)Getty Images漫画のようなあの夜も…
ピエール=エメリク・オーバメヤンはバルサにわずか6カ月間しかいなかった。が、カタルーニャのクラブの歴史に刻まれるには十分だった。
昨季にサンティアゴ・ベルナベウを舞台にして行われたレアル・マドリー対バルセロナ、その51分のことである。チャビ・エルナンデス率いるチームは、あらゆる予想を裏切って、フットボールとゴールのハリケーンとなった。フェラン・トーレスのスルーパスから最終ラインを突破し、ティボー・クルトワを眼前に華麗なループシュートを放ってこの試合のチーム4点目、自身2点目を記録したオーバメヤンは、コーナーに駆け寄ると両目を閉じて、右手の人差し指と中指を額の真ん中に持ってきた。
『ドラゴンボール』で、孫悟空がヤードラット星人から学んだ技「瞬間移動」である。
あれは予期していなかった大量得点で、オーバメヤンが即興的に見せたパフォーマンスだが、クレ(バルササポーターの愛称)たちを解放へと誘う夜に生まれた象徴的な振る舞いだったと言っていい。あの子供じみていて、誰にとっても無害なセレブレーションに、苦難の道を歩んできた青とえんじの人々は深い安堵感を覚えた。自分の頬をつねって夢じゃないことを確認しつつ、少しくすぐったい気持ちを感じた。何よりも、スペイン首都の夜を楽しんだ。バルサは鳥山明の漫画やアニメのように、クレたちを夢中にさせたのだった。
だがしかし、である。あのときはまるで、大人の小手先の行動で一時的に泣き止んだに過ぎない子供だった。悲しみは消えないまま、気を逸らされただけ。チャビのバルサは大きく胸を張ってベルナベウから去ったものの、クラブに金がないこと、チームのリーダーがいないことをすぐに思い出さなければならなかった。
Getty「生き残るため」の大型補強
昨季のバルサは、ラ・リーガでチャンピオンズリーグ出場権こそ獲得したものの、3シーズン連続でメジャータイトルの獲得を逃し、なおかつヨーロッパリーグではフランクフルトに不覚を取って、いまだ脆弱なチームでありことを露呈。2022年夏には、グラン・トリノのウォルト・コワルスキーのような、銃による一発が必要だった。
ジョゼップ・マリア・バルトメウ前会長の時代に13億5000万ユーロもの借金をつくり、なおかつ膨れ上がった人件費に圧迫されるバルサにとって、夏に選手補強を実現するのは奇跡に近かった。そこで現会長ジョアン・ラポルタは、クラブの命の一部と引き換えに奇跡を起こした。リーガのテレビ放映権収入25%を約6億ユーロ(期間は25年。買い戻しも可能)、同クラブのオーディオビジュアルを扱う小会社バルサ・ストゥディオスの49%を約2億ユーロで売却。つまりは、未来を抵当に入れたのである。それは中長期ではなく短期間のプロジェクト、いや、短期間のプロジェクトでもなく、純粋にサバイブ(生き残る)の術である。死んでしまっては、短期間も中長期もへったくれもないためだ。
こうしてバルサは移籍金を支払いハフィーニャ(5800万ユーロ)、ジュール・クンデ(5000万ユーロ)、ロベルト・レヴァンドフスキ(4500万ユーロ)を獲得し、またフランク・ケシエ、アンドレアス・クリステンセン、エクトル・ベジェリン、マルコス・アロンソもフリーを引き入れた。加えてフィリペ・コウチーニョ、アントワーヌ・グリーズマン、トリンコン、サミュエル・ウンティティら、赤字を導く選手たちを放出している。1億5000万ユーロも投じた選手補強については「自殺行為だ」「なぜ下部組織のラ・マシアを信用しない?」という意見もあるだろうが、チャビの意向にずいぶんと沿ったことが予想できる。
チャビは昨年12月に、「私は6年間ここを離れていた。一体誰の責任かは分からないが、戦術的に驚くようなことが多々ある。誰がプレッシングを仕掛けるのか、誰が第三の動きを見せるのかが整理されていない……。ポジショナルプレーを理解していない選手たちがいるんだ。このクラブはプレーモデルを失っている」と発言。バルトメウ時代に外部からの積極的な選手補強や、クロス攻撃などフィジカル的なフットボールにも取り組むなど育成方針が変わったラ・マシアに信用を置けなくっていた。窮地に陥るバルサを救うために帰還を果たしたチャビではあるが、トップチームの監督はタイトル獲得こそが至上命令。ラ・マシアの選手たちに最初からプレーモデルを把握しているという利点がないならば、登用する理由もない。そのために元トップ・オブ・トップの選手である自分の眼を頼りにして、その命を果たせると見込める選手たちを外部からかき集めたわけだ。
クレたちにとっても大型補強は歓迎すべきものだった。今季のカンプ・ノウは近年で最も観客を集めているが、それはレヴァンドフスキというワールドクラスのスターなどが加わったことで、期待が膨れ上がったからにほかならない。もちろん、レヴァンドフスキはリオネル・メッシではないが、彼がいた頃のような安心感、高揚感を誰よりも与えている。昨夏のメンフィス・デパイ、先の冬のフェラン・トーレスにしても期待のレベルを上げたのかもしれないが、まったく別のレベルだ……ただ、ここに来て、その期待に失望が染み込み始めているのだが。
Getty Imagesすべてか、何もないか
バルサは今回、そのレヴァンドフスキがゴールで、マルク=アンドレ・テアシュテーゲンがスーパーセーブで勝ち点をもたらし、リーガ首位としてベルナベウに乗り込む。計算外だったのは、チャンピオンズリーグで再び悲劇が起こっていること。欧州の悲劇は毎シーズンのことだが、シーズン毎にタイミングが早くなっている。日曜、彼らは精神的な傷を負いながらスペインのクラシックマッチ、クラシコに臨むことになる。
チャンピオンズの敗退はもはや首の皮一枚だが、チャビの首はまだまだ切れる気配がない。しかし、インテル戦のようなアクシデント(そう、あの3-3ドローはジェラール・ピケを中心としたディフェンスのミスが要因である)が、これ以上許されることもないだろう。
公の場で話すチャビからは野心、情熱、誇りが言葉の端々から感じられるが、現役時代のピッチ上の振る舞い同様、冷静なトーンで口にされていく。テクニカルエリアで見せている凄まじい頻度と速度の首振りも、ユニフォームを着ていた頃と何ら変わっていない。その一方で、現在ピッチに立つ選手たちは感情、焦り、過度な興奮を抑えられない様子だ。
現時点ではチャビが分析していることとチームが実行していることは、完全には同調していないように思える。それが問題だ。クレたちがこれ以上、言い訳を受け入れることはない。前指揮官ロナルド・クーマンは「これが現実ということだ」と戦力の乏しさにあきらめの言葉を口にできたが、次のワールドカップのスター候補たちを引っ張ってきたチャビが似たような発言をすることは許されないのだ。
ピッチ上にある問題は戦術的なものではあるが、それと同時に期待的なものでもある。チャビは選手時代に何度も披露したルーレットを監督として行うことはできない。話の方向を「不当だ」や「運が…」や「負傷者が…」などに転換してはいけないし、「勝つために楽しんでプレーする」「スタイルこそが最重要」という説法の答えを、ウスマン・デンベレの放り込みクロスにしてはならないのだ。
オーバメヤンは昨季のクラシコで、バルセロニスモ(バルセロナ主義)に笑みをもたらした。が、その笑みは徐々に失われていき、永遠のライバルが成功を収め続けるチャンピオンズでのさらなる失態によって、顔をひきつらせるところまでいった。チャンピオンズで見込んでいた収入は、ヨーロッパリーグでパンくずほどの収入に変わるのである。ちなみに来季、カンプ・ノウは改築工事に本格的に着手する予定だ。
今のバルサが今のマドリーに勝つのは難しいように思える。しかし、それは前回のベルナベウの試合でも同じだった。「すべてか、何もないか」というマキャヴェリズムとともに生きるバルサにとって、リーガは最も切望すべき大会となった。もしリーガを落とすならば、奈落の底へのフリーフォールは続き、人々は本当に「瞬間移動」を望むことになるのだ。
文=ルジェー・シュリアク/Roger Xuriach(スペイン『パネンカ』誌)
翻訳=江間慎一郎
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