プレミアリーグを代表するクラブの1つである、アーセナル。日本代表DF冨安健洋が所属することもあり、日本でもおなじみのビッグクラブだ。
そんなアーセナルだが、選手育成能力はヨーロッパでもトップクラス。現チームでもブカヨ・サカやエミール・スミス=ロウが主力として活躍している他、過去にも世代を代表するような選手を輩出してきた。
今回は『GOAL』アーセナル番記者チャールズ・ワッツ氏が選出した、ヨーロッパ屈指のタレント工場で育ってきた選手を紹介する。

プレミアリーグを代表するクラブの1つである、アーセナル。日本代表DF冨安健洋が所属することもあり、日本でもおなじみのビッグクラブだ。
そんなアーセナルだが、選手育成能力はヨーロッパでもトップクラス。現チームでもブカヨ・サカやエミール・スミス=ロウが主力として活躍している他、過去にも世代を代表するような選手を輩出してきた。
今回は『GOAL』アーセナル番記者チャールズ・ワッツ氏が選出した、ヨーロッパ屈指のタレント工場で育ってきた選手を紹介する。

アーセナルのシャツに袖を通した最も才能溢れる選手の1人。15歳でユースチームへ加入し、その2年後にトップチームデビュー。7年間の在籍で300試合以上に出場し、1979年にはFAカップ制覇にも貢献した。
その後1980年にユヴェントスへ移籍。サンプドリア、インテル、アスコリと7年間をイタリアで過ごし、1987年にイングランド復帰。ウェストハムで現役生活に幕を閉じた。

アーセナル歴代最多出場記録保持者だ。1973年にユースへ加入し、2年後にトップチームデビュー。1993年にリーズへと移籍するまで、20年間で公式戦722試合に出場した。
このアイルランド代表は、アーセナルで2度のリーグ優勝にFAカップ2回制覇、リーグカップも2度優勝を経験している。
Gettyアーセナルに所属した選手で、彼以上に人気のある選手は殆どいないだろう。1982年にユースへ加入、3年後にトップチームデビュー。1991年にリーズへと移籍するまで、2度のリーグ制覇とリーグカップ優勝に貢献した。
その驚くべき才能とどんな試合展開でも諦めずにピッチを走り回る様から、サポーターに愛され続けた。悲劇にも33歳という若さでガンに侵されこの世を去ったが、今でも彼の名前はノース・ロンドンで歌い継がれている。
Getty Imagesアーセナルの歴史上、最も有名なゴールを決めた選手。1982年にユースへ加入したトーマスは、1988-89シーズン最終節のリヴァプール戦、敵地アンフィールドでリーグ優勝を決定づける伝説的なゴールを決めた男だ。
その後、彼は1991年にそのリヴァプールへと移籍。翌年には、サンダーランドとのFAカップ決勝戦で先制ゴールを奪っている。退団後にはベンフィカで国外挑戦を経験し、ウィンブルドンでキャリアを終えた。
Gettyアーセナル史上最高のキャプテンで間違いない。1980年に下部組織に加入し、その3年後に17歳の誕生日を迎えた直後にトップチームデビュー。21歳でキャプテンに任命され、公式戦699試合に出場した。およそ30年にわたって活躍し続けた。
アーセナルでは1998年と2002年のダブルを含み、リーグ戦4回、FAカップ3回、リーグカップ2回、UEFAカップウィナーズカップで優勝。真のクラブレジェンドであり、イングランド代表でもキャプテンを務めている。
Getty1980年代後半のユース出身選手であり、クラブヒーローとなった1人。1984年のユース加入後、2年でトップチームデビュー。1989年と1991年のリーグ制覇の立役者で、FAカップやリーグカップ、UEFAカップウィナーズカップのタイトルも獲得している。
1997年にミドルスブラへ移籍するまで、全コンペティションで99ゴールをマークした。その後はアストン・ヴィラ、ポーツマスを経て、下部リーグで引退している。
Getty Imagesアーセナルの印象は薄いかもしれないが、プレミアリーグ史上最高のストライカーとして名を刻む前にノース・ロンドンでその才能を磨いていた。
アーセナルではリーグ戦1試合の出場に留まり、その後ブリストル・シティへのレンタルで成功。ニューカッスル移籍後、1995年に当時のイギリス最高額となる700万ポンドでマンチェスター・ユナイテッドへと加入する。そして5度のリーグ優勝など伝説的な活躍を残し、フラム、マンチェスター・シティ、ブラックバーンと渡り歩いて、偉大なキャリアに終止符を打った。
Gettyプレミアリーグ創設後、彼以上にアーセナルで試合に出場した選手はいない。1989年に加入、3年後にトップチームデビューを果たすと、10年以上にわたって主力として活躍している。
その間3度のプレミアリーグ制覇、4度のFAカップ優勝など数々のタイトルを獲得。“インビンシブルズ(無敵のチーム)”の中心選手だった。2004年にミドルスブラへ移籍するまで、333試合に出場している。
Getty Imagesアーセナル在籍期間は短いものであったが、そのインパクトは強烈だ。1997年に17歳でパリ・サンジェルマンのユースから引き抜かれ、1997-98シーズンにイアン・ライトの負傷を受けてトップチームデビュー。同シーズンのダブル達成の立役者となった。
もう1年在籍したアネルカだったが、1999年夏に2250万ポンドでレアル・マドリーへ移籍。翌年にはチャンピオンズリーグを制した。その後はリヴァプール、チェルシー、マンチェスター・シティなどで活躍し、2015年にインドで現役生活を終えた。
Getty幼少期からファンであったアーセナルで成長を続け、1999年にアーセン・ヴェンゲルに抜擢されてトップチームデビュー。シルヴィーニョからポジションを奪い、ヨーロッパ最高の左サイドバックへ成長した。
2006年にはチェルシーへと移籍し、アーセナル時代同様に数々のタイトルを獲得。またイングランド代表としてもワールドカップに3回出場、107キャップを記録している。

アーセナル・アカデミー出身者で最も有名な1人だろう。2008年にトップチームデビューを果たしたが、まさにセンセーショナルだった。たった16歳で出番を得ると、2011年のチャンピオンズリーグ・バルセロナ戦(2-1)は今も記憶に残る一戦であることは間違いない。
残念ながら相次ぐケガでそのポテンシャルを最大限に発揮できなかったが、そのキャラクターも含めて愛された選手だった。そして2022年夏、30歳の若さで現役を引退し、U-18チームの監督に就任している。
Getty Images16歳でアーセナル下部組織に加入。ヴェンゲルが「アーセナルのNo.1になる」と予言した通り、ブレントフォードへのレンタルを経て、正守護神に成長した。
しかし、ヴェンゲルとの関係悪化によって退団。ローマへのレンタルを経て、2017年にユヴェントスへと完全移籍で売却された。それ以降、イタリア屈指の名門で主力として活躍し続けている。

彼もまた、アーセナル史上最も才能に溢れた1人であった。16歳でヴェンゲルに引き抜かれたが、2003年10月にわずか16歳177日でトップチームデビュー。当時のクラブ史上最年少デビューだが、ピッチですぐに特別な選手であることを知らしめている。
アーセナルではキャプテンも務め、300試合以上に出場。その後、古巣であるバルセロナへと移籍した。カンプ・ノウでの3年間でラ・リーガ制覇を経験すると、2014年にはチェルシーへと移籍。2度のプレミアリーグやヨーロッパリーグ優勝を経験している。またスペイン代表でも、ワールドカップやEURO連覇と輝かしい功績を残した。
Getty Images Sport16歳でシュトゥットガルト下部組織から加入し、すぐさま頭角を現すと17歳でトップチームデビュー。そのポテンシャルから大きな期待を集めたが、負傷もあって失速すると、ストークやウェストブロムでのレンタルでも成功できず。新契約を拒否した後、2016年にブレーメンへと売却された。
その後は母国ドイツで躍動すると、バイエルン・ミュンヘンへと移籍。大きな成功を収め、現在もヨーロッパ屈指のアタッカーとして活躍を続けている。
Getty現在もアーセナルで輝き続ける宝石の1人。7歳から所属し、2019-20シーズンにわずか17歳でトップチームデビューを果たすと、爆発的な人気を獲得した。
20歳ながらすでにチームの核であり、ミケル・アルテタのプロジェクトの絶対的な中心だ。2年連続でクラブの年間最優秀選手賞も手にしている。また、イングランド代表でも欠かせない1人となっている。
Gettyサカ同様に、10年以上にわたってクラブに在籍。ここ数シーズンでトップチームの中心に上り詰めた。2021-22シーズンでは、チーム2位のゴール数を誇っている。
21歳の彼の全盛期はまだまだこれからであり、ファンとしてはエミレーツ・スタジアムでスターになる様を長く見守っていきたいはずだ。