GFX Antonio RudigerGetty Images / GOAL

【独占インタビュー】リュディガーが明かす「逃げ道」としてのサッカー、EURO2024への思い

多くの経験を積んできたドイツのスター、アントニオ・リュディガーは、これまでカルロ・アンチェロッティ、トーマス・トゥヘル、アントニオ・コンテといった近年高い評価を得ている監督の下でプレーしてきた。今シーズン、レアル・マドリーをラ・リーガのトップに導いたリュディガーが『GOAL』の独占インタビューに応じた。戦術眼に長けた監督たちがどのように自身のキャリアを形作ってきたか、サッカーが幼少時代の「逃げ道」となったこと、チェルシーからパリ・サンジェルマンへの移籍が合意間近だったこと、その他さまざまな話題について語った。

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    レアルとロナウド

    ――あなたはノイケルンの質素な環境で育ちました。子どもの頃、伝説の銀河系軍団についてどれほど知っていましたか?

    正直、そんなには知らなかった。ただ今でも覚えているのは、2002年のチャンピオンズリーグ決勝のレヴァークーゼン戦で生まれたジネディーヌ・ジダンのゴールだ。あれがずっと頭の中に刻まれている。

    ――最初にサッカーに触れたのはいつで、ロールモデルは誰でしたか?

    当時、ジョージ・ウェアが大きな役割を果たしていたんだ!彼はバロンドールを獲得した唯一のアフリカ系選手だったからね。その後、2002年頃の憧れはロナウド、「エル・フェノーメノ」だった。その年のワールドカップ決勝で彼がドイツを破ったのは残念ながら事実だけど、それでもロナウドはずっと僕のインスピレーションの源だったんだ。

    ――当時の彼の、前髪が長く、後ろはスキンヘッドというヘアスタイル(大五郎カット)についてどう思いますか?

    当時は本当に目立っていたし、自分も真似していたよ・・・

    ――8歳も年上になるお兄さん、サー・セネシエが2000年にボルシア・ドルトムントへ加入しました。家族として厳しい生活をしていましたが、彼がドルトムントに移籍してからは状況に変化はあったのでしょうか?

    例えば質の良いサッカーシューズを持てるようになったとか、そういう点では改善されたよ。金銭面でも幾分か良くなった。けれど、すべてが変わったわけではなかった。若手選手が手にすることができる金額も、今日とは違ったしね。だから家族にとっては厳しい状況が続いていたよ。兄もその当時はまだ16、7歳だったから、当然家族全員の状況を一変させることはできなかったんだ。プロのキャリアで変化をもたらすことができたのは、私だけだった。

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  • シュトゥットガルトでの新たな出発と子ども時代

    ――かつての友人たちが犯罪者になったことを明かしていましたが、プロ選手か犯罪者か・・・その分岐点をどう考えますか?

    家庭での教育は基本で、そして自分も確かに良い教育を受けてきた。でも外に出たら、決断を下せるのは自分しかいないんだ。生まれ育った場所によっては、特定の誘惑や状況に「ノー」と言うのが難しいこともある。率直に言えば、私たちは皆、お金が必要なんだ。一番重要なものではないにせよ、必要なんだよ。そして、当時は特に必要だった。簡単に道を踏み外す誘惑に負けそうになる。だが幸いなことに、私には逃げ道としてサッカーがあったんだ。

    ――2007年の夏、お兄さんと同じく、あなたもドルトムントに移籍しました。そこでは攻撃的なポジションからセンターバックにコンバートされました。新しいポジションは当初どうでしたか?

    かなり苦労したよ。あのコンバートは、僕自身が適切に成長できることを念頭に置かれたものだったかどうか、いまだにわからないが、今となってはそれが完全に正しかったと思うよ。

    ――2011年、18歳の時にVfBシュトゥットガルトのユースに移籍したのは、どうしてでしょうか?

    短期から中期くらいの期間、ブンデスリーガでプレーしたかったからだね。その可能性はドルトムントより、シュトゥットガルトにいるほうがあるように見えた。当時BVBはチャンピオンで、若手が割り込むのは難しい時期だった。才能に溢れた素晴らしい選手がいたし、しかもそれはマリオ・ゲッツェだけではなかった。例えば、1991年組にはダニエル・ギンチェクやマルコ・シュティパーマン、マルク・ホルンシュー、ラッセ・ソビエフたちがいた。みんないいプレーヤーだったけど、本当にブレイクした選手はいなかった。ブンデスリーガでプレーしたのはゲッツェだけだったからね。だから、違うルートを探して、シュトゥットガルトを選んだんだ。

    ――プロキャリアで初めて指導を受けた監督はフーブ・ステフェンスでした。お二人は現在もよい関係にありますが、プロキャリアを始めるにあたってステフェンスが与えた影響を教えてください。

    フーブ・ステフェンスは厳しい人だが、ピッチの外ではとても良い人だった。正直で嘘をつかない。その率直さが僕にはしっくりきたし、それが必要だった。彼の下で学ぶことは大変なことだった。特にメンタリティの面でね。

    ――2013-14シーズンの残留争いのさなか、ステフェンスは練習中、シュトゥットガルトのチームを「猿」だと言いました。続く試合でゴールが決まった後、チームは野生の猿の群れのように歓声を上げています。この反応は彼の発言に対するリアクションとして計画されたものだったのでしょうか?

    計画された行動ではなかった。それはその瞬間に生まれたものだった。僕らはただそうやって歓声を上げただけだ。当時は事実が文脈から切り離されていたし、僕たちはそれを茶化したんだ(笑)。

  • Antonio Rudiger Carlo Ancelotti Real Madrid 2022-23Getty

    トゥヘル、コンテ、ローマでの問題点

    ――キャリアを振り返ってみましょう。共に戦った監督として、ルチアーノ・スパレッティ、フランク・ランパード、トーマス・トゥヘル、アントニオ・コンテ、カルロ・アンチェロッティという名前が挙げられます。特にどの監督と相性が良かったでしょうか?

    間違いなく素晴らしい監督たちと一緒にやることができたね。今一人を挙げるなら、トーマス・トゥヘルだろう。彼とは特に馬が合った。率直な性格が僕にはしっくりきたんだ。彼の戦術眼も「すごい!」と思ったよ。

    ――キャリアを通じて何度かイタリア人監督から指導を受けていますが、他のコーチのアプローチと違いはありますか?

    正直言うと、イタリア人は皆とても要求が厳しいね。だけどカルロ(アンチェロッティ)はとてもリラックスしている。コンテはとても規律を重んじる。戦術的にはトップレベルで、本当に素晴らしいコーチだよ。ルチアーノ・スパレッティは本当にすごいね。ナポリでの実績を見ると、本当に驚きだ。

    ――スパレッティの下では、フランチェスコ・トッティというローマにとって象徴的な存在であっても日の目を見ることはありませんでした。当時、チームはそれをどう受け止めましたか? ロッカールームの雰囲気はどうだったのでしょうか?

    確かに相当な緊張があった。2人には、僕には分からない歴史があった。だが最終的にはお互いを尊敬していた。スパレッティもトッティも、互いに飛び抜けた存在なだけだったんだ。

  • Antonio Rudiger Chelsea 2020-21Getty Images

    チェルシーでの浮き沈み

    ――2019-20シーズン、フランク・ランパード率いるチェルシーで出場機会を失いました。なぜそうなったのでしょうか?

    正直なところ、何が起こったのか正確に言うことはまだ難しい。サッカーとはそういうものだ。多分彼に何か考えがあったのか、それか他の選手の方が良かったんだろう。それでもサッカーの良いところは、答えがピッチの上にあるということだね。そして、僕は完璧な答えを見せられたと思うよ。

    ――その時点でチェルシーを離れたいと思ったりは?

    本当にそう思っていたね。PSGでトゥヘルと一緒にやりたかった。それが僕の願いだったけれど、叶わなかったんだ。すると、6か月後にトゥヘルがPSGからチェルシーにやって来た。その後、一緒にチャンピオンズリーグを制覇したんだ。そういう運命だったのかもしれないね。

    ――トゥヘルとランパードの違いは何だったでしょうか?

    僕はおそらくトゥヘルのサッカー観に合っていたし、彼自身も僕のことを一人の男として気に入ってくれていたんだ。

    ――どのような点で?

    チームを引っ張り、道を切り開けるタイプだというところだね。

    ――「チームが監督に反抗しながらプレーしている」と報道陣が言うことがありますが、それは本当にあることでしょうか?

    あるかもしれない。でも、僕のキャリアでそんなことは一度もなかったよ。ランパードの下でも終盤にはまたプレーすることができたんだ。こう言っておこうか。馬が合うこともあれば、合わなくなることもある。けれども、この世の中のフットボーラーがわざと負けるなんてことは絶対にないよ。

  • Niclas Fullkrug Antonio Rudiger Germany 2023Getty Images

    アンチェロッティとEURO2024への期待

    ――現在はカルロ・アンチェロッティの下でプレーしていますが、選手にとって心地良い監督としてよく名前が挙げられます。あなたの印象はどうでしょうか?

    それは間違いなく真実だよ。カルロは独自の方法論を持っていて、それを完璧にこなす。彼は自然体みたいだ。もちろん時に怒ることもあるが、カルロの下では僕たちは皆同じ方向を向いている。まさにその通りだ。

    ――約1年半レアル・マドリーでプレーしていますが、このような名門クラブでプレーすることにはどのような意味がありますか?

    常に夢見てきたことだ。意識したことはなかったけれどね。自分にとって、プレミアリーグが最終目標だった。プレミアリーグでプレーすることを間違いなく望んでいた。だが、チェルシーやレアル・マドリーのようなトップクラブでのプレーは、長年の努力に対するご褒美みたいなものだね。

    ――自国開催のEURO2024を前にして、大会のホスト国であるにもかかわらず、国内のファンの間ではあまり熱を帯びていないようです。その態度は理解できるでしょうか?

    もちろん理解できる。特に最近の国際マッチでの成績を見ればなおさらだ。もちろん、そういった状況では、これほど大きな大会に挑むにあたって勇気をたくさんもらえるわけではない。でも結局、私たち選手が国内に熱狂を呼び起こす責任がある。結果が良くて、プレーも噛み合えば、ファンも必ず支持してくれる。

    ――楽観視している点は?

    優れたチームと一流のコーチがいる。そして私たちは重要なタイミングを理解しているということだね。EUROでは誰もが全力を出し切るだろう。だから心配はしていないよ。

    ――EURO2024の個人目標を教えてください。

    メンバーに選ばれれば、できる限り先まで進むことだ。現状は問題ではなく、これから起こることや過去のことも重要ではない。ただ顔を見せに行くわけではないからね。もちろん最大限の結果を目指す。でも、ひとつひとつ段階を踏み、万全の準備を整えていくつもりだ。

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