GK楢﨑正剛
楢崎氏は、1995年から1998年にかけて横浜フリューゲルス、1999年から2018年にかけて名古屋グランパスで活躍。2010年には初のリーグ制覇を支えるとともに、GKとして史上初のJリーグ年間MVPに選出されている。ポジショニングや判断能力に裏付けされたセービング能力の高さはもとより、キャリアを通じて極めてミスが少なく、随一の安定性を誇った。
DF酒井宏樹
2021年からは浦和レッズに所属しているものの、海外クラブのハノーファーやマルセイユでの活躍も印象的な酒井だが、2009年から2012年にかけては柏レイソルで、当時同僚だったレアンドロ・ドミンゲス氏らとともに旋風を巻き起こした。フィジカル、スピード、クロス精度とSBに必要なすべてを備えており、柏の下部組織が輩出した逸材として見れば、日本サッカーの育成の成功を示す代表的な例だ。
DF中澤佑二
中澤氏は1999年から2001年にかけて東京ヴェルディ(2000年まではヴェルディ川崎と呼称)、2002年から2018年にかけて横浜F・マリノスでプレー。恵まれた体格で鉄壁の対人能力を誇り、特に空中戦では無類の強さを発揮した。また、2013年から2018年にかけて記録したJ1リーグ178試合連続フル出場は、フィールドプレーヤーとして最多となる。
DF田中マルクス闘莉王
田中氏は2001年から2003年にかけてのキャリア初期をサンフレッチェ広島や水戸ホーリーホックで過ごし、2004年から2009年は浦和レッズ、2010年から2016年は名古屋グランパス、2017年から2019年は京都サンガF.C.でプレー。2004年から2012年に9年連続で年間ベストイレブンに名を連ね、2006年にはMVPにも輝いている。CBとして必要なすべてを兼ね備えているだけでなく、セットプレー時の得点能力も突出しており、J1リーグ通算75得点で歴代得点ランキング32位タイに位置している。
DF長友佑都
長らくインテルで活躍していた長友は世界的に名を知られた選手だが、やはりその原点はJリーグにある。2007年よりFC東京の特別指定選手に登録されると、2008年に明治大学卒業を待たずしてプロ契約を締結。育成年代でJリーグクラブの下部組織に所属していた経験もなく、
MF中村憲剛
2003年のデビューから2020年の引退まで川崎フロンターレ一筋で過ごしたレジェンド。プロ入り当初はJ2リーグからスタートし、2017年にJ1リーグ初制覇、翌年に連覇を果たすと、2019年にはJリーグYBCルヴァンカップ、2020年にはJ1リーグと天皇杯の2冠を達成した。それらタイトルに恵まれる前年、2016年には年間MVPにも輝いている。近年の川崎FがJリーグの歴史に名を刻んでいることは間違いないが、中村氏なくしては存在し得なかったチームだ。
MF阿部勇樹
1998年に16歳333日でジェフユナイテッド市原でJ1リーグデビューを飾った阿部氏は、2003年には故イビチャ・オシム元監督下で21歳にしてキャプテンに抜擢。才能を開花させた後、浦和などで活躍した。2010年から2012年にかけてはレスター・シティでプレーしたもののJ1リーグでの通算出場数は歴代4位。日本屈指の守備的なユーティリティプレーヤーであり、特にアンカーのポジションではその右足の精度でピッチを支配し、ミドルシュートやFKでも多くの歓喜をもたらした。
MF遠藤保仁
MVPにも選出した遠藤はキックの名手としても名を馳せており、中盤でのゲームメイクだけでなく得点に直結する仕事も多く果たしてきた。また、主要タイトル獲得回数はJ1リーグ2回、天皇杯5回、リーグカップ2回、AFCチャンピオンズリーグ(ACL)1回の計10回。特に2014年の国内三冠達成時には、若手主体に変化していったチームの大黒柱として圧倒的な存在感を放っていた。
MFアンドレス・イニエスタ
世界の頂点に君臨した男が生まれ育ったバルセロナに別れを告げた2018年、新天地にヴィッセル神戸を選んだことはJリーグにとって僥倖だった。その後、2019年、2021年には年間ベストイレブンにも選ばれるなど超一流としてのプレーを披露し続けており、現セルティックの古橋亨梧といったチームメイトや対戦相手に稀有な経験を与えている。サッカー史に残る名手と縁を結べたことは、Jリーグそのものの成長も象徴する出来事だ。
FW大久保嘉人
マジョルカやヴォルフスブルクといった海外クラブでもプレーした大久保氏だが、国内ではセレッソ大阪や神戸、川崎F、FC東京、ジュビロ磐田、東京ヴェルディを渡り歩いた。そして、J1通算得点数は歴代トップの191得点。多くの異なるクラブで継続的にネットを揺らし、特に動き出しの質と回数、何より得点への意欲という点で、天性のストライカーであることを示した。
FW中山雅史
中山氏は前身のヤマハ発動機サッカー部時代から所属した磐田で3度のJ1リーグ制覇を経験するなど黄金期を築いた後、2010年から2012年にかけてコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)、2015年から2020年にかけてアスルクラロ沼津に在籍。J1リーグ通算得点数は歴代4位の157得点で、特に1998年には4試合連続のハットトリックという偉業を成し遂げた。また、同年には27試合36得点で得点王にも輝いており、この記録は1シーズンにおける最多記録となっている。
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