現代のプロフットボーラーが完璧なまでに磨き上げられ、スポットライトを浴びるなか、カントナという名前はある時代の遺物ように感じる。現在58歳の彼は1992年から1997年にかけてマンチェスター・ユナイテッドで活躍したのは周知の事実。だが、喜ばせることなど考えもしない選手だった。
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Hulton Archive信念の反逆者
その代わりに、カントナは常に挑戦的だった。今日に至るまで自らの行動を通して自分が単なる商品ではないのを示しており、荒削りな部分を持った人間である。
現役時代のカントナはあるとき、「俺が戦うのは目の前の相手ではない。諦めるという考えと戦っているんだ」と語った。この言葉に彼の姿勢が集約される。彼は簡単には抑えておけない選手で、卓越した技術、ゴールを決める本能、そしてリーダーシップに感嘆した一方で、激しい感情の爆発にイライラさせられたコーチ陣だけでなく、メディアとファンにとっても愛しつつ、恐れた。
シャツの襟を立てるのがトレードマークだったカントナはよく言われるスターとはまた意味が異なる存在だったが、創設されてから間もないプレミアリーグで真のスーパースターではあった。実際、リーズでプレミアリーグ創設前最後のシーズンを制した後、1993年にマンチェスター・Uを26年ぶりのリーグタイトルに導き、5年間で計4度のリーグ優勝を成し遂げている。
カントナは後にマンチェスター・Uを代表するレジェンドとなるデイヴィッド・ベッカム、ポール・スコールズ、ライアン・ギグス、ニッキー・バット、そしてネヴィル兄弟が若かれし頃にインスピレーションを吹き込んだが、典型的なロールモデルではなかった。単に逆らいたいからではなく、他の同僚と同じように画一的になりたくなかったからこそ、プロ特有の見せ物的な風潮を嫌ったのだ。そうした信念に基づいた反逆者だった。
gettyカントナに影響したジム・モリソン
カントナは幼い頃から探究心があった。10代の頃、伝説的なアメリカのロックバンドである『The Doors』の音楽に出会い、ボーカルであるジム・モリソンの歌詞に没頭している。暗い歌詞や、荒削りなバリトンボイス、そして実存主義を拒絶する姿勢はフットボール界のどんなアイドルにも太刀打ちできないほどの力で、思春期のカントナに語りかけた。
カントナ自身、モリソンについて「自分の怒りと夢を同時に映し出す鏡のような存在だった」と話す。1971年に27歳で亡くなった詩人はカントナにとってロールモデルというより、ソウルメイトだった。モリソンは限界を広げるだけでなく、打ち破ってもいけるのを示し、後のカントナはミュージシャンとしても活動の場を広げ、自身の楽曲を携えてツアーも企画した。
そんなモリソンが残した言葉のなかで、特に彼の心を打った「心の奥底にある恐怖に身をさらけ出せ。そうすれば、恐怖は力を失う」との言葉がある。この考えはカントナにとって晩年のキャリアにおける指針となり、ピッチ上でも、インタビューでも常に楽な逃げ道を避け、対戦相手、権力者、そして自分との戦いを求めた。
AFP伝説のカンフーキックは差別主義者に対する一撃
幼き頃から音楽と詩に親しんだカントナは言葉よりも思考力に優れたフットボーラーへと成長した。単なるアスリートではなく、ピッチを舞台とアーティストとなり、レッドデビルズでの活躍が彼を真のアイコンへと押し上げている。
マルセイユ生まれのこのMFはピッチ上でジーニアスぶりを発揮した一方で、外では哲学的な一匹狼だった。インタビューでは決まり文句よりも謎めいた言葉で埋め尽くすのを好んだ。1995年1月25日、彼に唾を吐き、ナチス式敬礼をした人種差別主義者のファンに伝説的かつ象徴的なカンフーキックを見舞ったカントナは「カモメがトロール船を追いかけるのはイワシが海に投げ込まれると思っているからだ」と言い放った。
この一件で2週間の禁錮刑を受けたほか、8カ月の出場停止に処されたカントナだが、それから数年後にもっと強く蹴りを食らわせなかったのを後悔する趣旨の言葉を残している。
getty「世間一般の常識には同意できない」
もちろん、このキックは一線を越えた行為だったが、正直さも表すものでもあり、従順なフットボールスターのイメージに屈するつもりなしをも証明するものに。自らを裏切るよりも数カ月におよぶ出場停止処分を選び、「世間一般の常識には同意できない。自分には独自の世界観があって、それを手放したくない」と述べる。
カントナがフットボール界にいる他のスキャンダラスな者と違うのは行動の裏にある姿勢だ。うぬぼれから反抗したのではなく、キャリアが終わってからの俳優業やアーティスト活動、政治家挑戦はそれを示す。
ある日はホームレスに連帯を示しイェ資本主義と搾取を批判し、不平等に対する抗議を支持。2012年には金融危機への抗議として「平和的バンクラン」を公に呼びかけている。それは市民が自らの力を出せるようにする行動でもあった。
getty今もなお忘れられない存在かつ物議を醸す人物
選手のキャリアがPR会社に操られ、姿勢までもスポンサー契約に縛られる現代において、型破りなカントナは独立性と個性の象徴であり続けている。そんな地位を築く上で必ずしもアンファン・テリブル(恐ろしいほど遠慮がなく、その発言によって両親や他人を困惑させる子供)である必要もないのだ。カントナはフットボール界でも信念を曲げない人間であり続けられるのを示し、「私はフットボールを愛しているが、今のフットボールのあり方は大嫌いだ」との言葉を発する。
今もなお忘れがたい存在であると同時に、不快な存在で、他人を喜ばせようとしなかった反逆者だが、それゆえに多くの人の心を揺さぶった。彼は「革命とは目的地ではなく、心の状態だ」と説き、その信念をもって生きてきた。モリソンもさぞ誇らしく思ったことだろう。