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ロナウドが紙おむつでプレー…アルゼンチンが失格危機?! 世界最古のコパ・アメリカ、驚愕の珍事&トリビア

日本時間15日から開幕するコパ・アメリカ2019(DAZN独占配信)。世界最古の大陸選手権大会ということもあって、これまでの歴史で様々な驚きのトピックが生まれている。今回は、南米サッカーに精通するジャーナリストの下薗昌記がコパ・アメリカにまつわるトリビアを紹介する。【文=下薗昌記】

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柴崎岳とコパ・アメリカに出場する代表選手2
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    1ラテン系も呼んじゃえ!?

    コパ・アメリカの意はスペイン語で「アメリカ大陸杯」。しかし招待国枠が1993年から導入されているのがこの大会の特徴で、アメリカ大陸以外から初めて参加したのは1999年の日本。今大会も日本とカタールが招待されているが、当初は同じラテン系のイタリアやフランス、ポルトガル、スペインを招待するプランもあった、とブラジルメディアは報じていた。実現の可能性は当初から極めて少ないものだったが「コパ・アメリカ」の大らかさを物語るエピソードと言えるだろう。

    【コパ・アメリカ日程(日本時間)】※全試合DAZN独占配信
    ■ブラジル代表開幕戦
    グループA第1節:6月15日(土)9:30~ vsボリビア
    ■日本代表日程
    グループC第1節:6月18日(火)8:00~ vsチリ
    グループC第2節:6月21日(金)8:00~ vsウルグアイ
    グループC第3節:6月25日(火)8:00~ vsエクアドル

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    2国歌の音楽を間違えるミス

    南米サッカー連盟の創設100年を記念して、北中米カリブ海サッカー連盟と共催の形で行われた2016年のコパ・アメリカ・センテナーリオ。史上初めて南米を飛び出しアメリカで行われたこの大会だったが、グループステージのウルグアイ対メキシコ戦で試合前の国歌斉唱の際、ウルグアイの国歌がチリの国歌と間違って流される一幕もあった。
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    3自国開催、強し

    アルゼンチンやウルグアイに比べると、必ずしもコパ・アメリカを重視してこなかったブラジル。だが、こと自国開催となると話は別だ。1919年大会以降、4回行われた自国開催で、サッカー王国は全て優勝を飾っている。コパ・アメリカ初優勝から100年目の記念すべき節目となる今大会、チッチ監督率いるカナリア軍団は当然、5回目の優勝だけを目指すことになる。また、ブラジル同様、ウルグアイも過去7度の自国開催では全て優勝を飾っている。
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    4延長の延長

    150分間の激闘で王者が決定したのはブラジルが初優勝を飾った1919年の自国大会。決勝はブラジル対ウルグアイで行われたが、スコアレスで90分間では決着がつかず、前後半合わせて30分の延長戦が行われたがここでもノーゴール。さらに30分の延長戦が行われることになったが、122分目に生まれたブラジルのエースであるフリーデンライヒの決勝点で初優勝を飾ったのだ。PK戦がなかった時代ならではの決着方法だ。
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    51試合で3度のPK失敗

    数々の名勝負、名選手を生み出してきたコパ・アメリカだが、時に珍記録も起こるものだ。1999年大会、コロンビアと対戦したアルゼンチンはPKを3度得たが、パレルモが3度のキックを全て失敗。1試合で同一の選手が3度のPKを失敗した例はプロサッカーの歴史においてないと、南米メディアは報じている。そして、2011年大会は準優勝のコロンビアが大会中の5試合全てを引き分けて決勝に勝ち上がってきた。グループステージは3分けで、決勝トーナメントの2試合はいずれもPK戦。1勝さえしていないチームが決勝に進むのは大会史上初めてだった。
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    6ロナウドが紙おむつで…!?

    1999年大会はリヴァウドとのコンビで連覇に成功したロナウド。この大会ではリヴァウドとともに大会得点王にも輝いているロナウドだが、なんと大会中は紙おむつを着用してピッチに立っていたという。当時の指揮官、ルシェンブルゴ監督が明かした逸話だが、大会前オーバーウェイトだったロナウドは利尿作用が強い痩せ薬の服用を命じられていたため、試合中も「おもらし」を避けるため、おむつを使わざるを得なかったというのだ。それでも得点王に輝き、優勝に導くあたりはさすが怪物の怪物たる所以ではある。
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    7コパ・アメリカに愛されるフォルラン家

    コパ・アメリカの女神に愛された一家がウルグアイに存在する。その名は「フォルラン家」である。C大阪でもプレーしたディエゴ・フォルランは2011年大会に優勝を経験しているが、彼の父もウルグアイ代表の名選手、パブロ・フォルラン。パブロは1967年大会に優勝を飾り、見事親子揃っての大会制覇を果たしている。これだけも偉業なのだが、祖父のフアン・カルソス・コラソは1959年と1967年のコパ・アメリカをウルグアイ代表監督として優勝。フォルラン一家は3世代で実に4度の優勝を飾っていることになる。
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    8スーパースターは優勝できない?

    南米を代表する二大巨人といえばペレとマラドーナ。ワールドカップは手にしている二人だが、意外にも二人ともコパアメリカの栄冠には縁がなかった。ペレは1959年大会に出場したのみで、得点王にこそ輝いたものの準優勝に終わっている。そして3度出場したマラドーナも優勝には手が届いていない。ペレと並ぶ国民的英雄のガリンシャやジーコ、コロンビアのバルデラマら世界的な名手もやはり、この大会では涙を飲んでいる。2大会連続、決勝のPK戦で敗れているメッシも、こうした悲運の天才たちの系譜にその名を連ねるのだろうか。
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    9差別問題を解決して優勝したセレソン

    ブラジルの栄光の歴史に欠かせない数々の黒人スター選手。しかし、黒人差別がまだ根強かった時代には、あろうことか時の大統領がブラジル代表から黒人を排除した時代があったのだ。1919年大会で初優勝を飾ったブラジルだったが、大会後から1922年までは当時の大統領、エピタシオ・ペッソアが黒人選手の代表選出を禁止。しかしその間のブラジル代表が低迷したため、大会直前に1919年大会の得点王で、黒人だったフリーデンライヒの代表入りが認められ、ブラジルは2度目の優勝を飾ったのだ。
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    10アルゼンチンがあわや失格?!

    1916年の記念すべき第一回大会では、アルゼンチン代表があわや失格の危機に陥っていた。当時は警告も退場もなかったためエントリーメンバーは11人ギリギリ。まだプロ化されていなかった時代、一人の選手が仕事で大会を離脱。ところが、地元開催だったため代表選手の友人の選手が観客席で観戦しており、急遽、メンバーに補填され事なきを得た。ちなみに決勝のアルゼンチン対ウルグアイ戦は審判が不在だったため、4位に終わったチリ代表の監督が笛を吹くという一幕も。