メッシ、ペレ…フットボール史上最高のティーンエイジャー20人とは?

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    #1 ジョージ・ベスト

    ジョージ・ベストはマンチェスター・ユナイテッドですでにリーグタイトルを勝ち取っていたが、1966年のチャンピオンズカップのベンフィカ戦で圧巻のパフォーマンスを披露したことで19歳にして本物のスーパースターとなった。“5人目のビートルズ”のニックネームで愛されたベストは27歳で第一線から退いたものの、フットボール史上最も優れたプレーヤーのひとりとして懐かしく思い出される選手である。それだけに、もし北アイルランドでの生活でアルコールを摂取しなければどうなっていたか余計に想像をかき立てられる。ベストは、「私は偉大な才能を持って生まれた」と後に述懐している。「だから時々破壊的な性格が訪れる。プレーで全員を凌駕したかったように、街に出かけても抜きん出なきゃダメだった。」

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    #2 ジャンルイジ・ブッフォン

    パルマに所属していたジャンルイジ・ブッフォンは17歳でデビューしたACミランとの試合でセンセーショナルなセービングを連発し、たちまち名声を得た。それから20年以上の時が経つ現在でもGKのアイコンとして健在であり、今年の1月には40歳を迎えた。ユベントスのキャプテンでもあるブッフォンは引退をもう1年先延ばしにするかを真剣に検討しているが、彼の試合に対する思いを知ればそれは何も驚くべきことではない。「僕が自分のゴールに背を向けたのは12歳の時。自分の脚、頭、そして心が許す限りは続けるつもりだよ。」

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    #3 ヨハン・クライフ

    シンプルな話、ヨハン・クライフはフットボールの歴史において最も影響力のある人物である。選手としても監督としても、クライフほどフットボールを急進的に変えた人物は他に誰もいない。クライフは若くしてすでにフットボールを唯一無二の方法で理解していた。17歳でアヤックスに入団したクライフについて、当時の監督だったヴィック・バッキンガムは「彼はプレーの仕方を我々に見せてくれたよ。非常に熟達していた。痩せた小さな少年なのに計り知れないスタミナを持ち、どんなこともやってのけた…神から与えられたフットボールセンスさ。それがヨハンだった。そしてナイスな少年でもあったよ」と語っている。

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    #4 ダンカン・エドワーズ

    1958年に起こったミュンヘンの悲劇によって21歳でこの世を去ったとはいえ、ダンカン・エドワーズはその頃にはすでにイングランド史上最も傑出した才能を持つ一人として自身の地位を確立していた。守備的MFだったが前線のプレーにも参加するエドワーズは、マンチェスター・ユナイテッドで当時のファーストディヴィジョンの史上最年少記録となる16歳185日でデビューを果たした。悲しいことにフットボール界は偉大なエドワーズの行く末を見届けることは出来なかったが、元レッドデビルズの監督であるトミー・ドハーティーは「ジョージ・ベストはペレやマラドーナのように特別な存在だった。でもダンカンのオールラウンドな才能とスキルはさらにずっと優れていたと思う」と語っている。

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    #5 エウゼビオ

    ベンフィカは当時18歳のエウゼビオと契約を交わし、スポルティング・リスボンからリーグの覇権を奪い返した。実際、“黒豹”が入団したイーグルスは1962年のヨーロッパカップ決勝でレアル・マドリーを下し、クラブは大会連覇を果たした。また、1966年のワールドカップではその傑出した得点能力によってポルトガルをベスト4へと導いた。しかしエウゼビオが自身の優れたスポーツマンシップを最も発揮したのは、その2年後にウェンブリーで開催されたヨーロッパカップ決勝でライバルのマンチェスター・ユナイテッドのGK、アレックス・ステップニーのファインセーブを讃えた時だっただろう。2014年に逝去したとき、レッドデビルズのレへジェンドであるボビー・チャールトンは「対戦相手として、そして友人として関われたことを誇りに思う」と述べた。

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    #6 パウロ・フットレ

    パウロ・フットレは17歳の時にスポルディングでプロデビューを果たしたが、その1年後には賃金闘争によってライバルクラブのポルトに電撃的に移籍した。ディエゴ・マラドーナと比較されたこともあるこの左ウィンガーはドラゴンズで2つのリーグタイトルを勝ち取ると、弱冠21歳で出場した1987年のヨーロッパカップでは決勝でバイエルン・ミュンヘンを下し優勝を果たした。その後はケガの影響によって同じ高みへと上がることは出来なかったが、現在もポルトガルフットボールのアイコンであり続けている。

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    #7 パトリック・クライファート

    パトリック・クライファートは1995年のヨーロッパカップ決勝で弱冠18歳にして王者ACミランから決勝ゴールを決め、瞬く間にスーパースターとなった。その後このオランダ人ストライカーはロッソネリに入団、サンシーロに降り立ったが、最も成功を掴んだ地は1999年にリーグタイトルも獲得したバルセロナであった。息子のユスティン・クライファートも今年の『NxGn』で注目のプレーヤーである。

  8. #8 ミカエル・ラウドルップ

    かつてアンドレス・イニエスタがフットボール史上最高のプレーヤーは誰かと尋ねられた時、このバルセロナのMFは「ミカエル・ラウドルップ」と間髪入れずに回答した。この知性を兼ね備えたデンマーク人フットボーラーは他の誰も真似出来ないようなパスを繰り出していた。常に試合を先行する眼を持つラウドルップはブロンビーで自身の名を上げると、1983年に10代でユベントスに大型移籍を果たした。大会中に20歳の誕生日を迎えた1984年の欧州選手権フランス大会ではデンマーク代表の中心選手として活躍。セリエAに留まることはなかったが、その疑う余地のない非凡な才能はスペインでも証明された。バルセロナのドリームチームの主力メンバーとしてリーガ4連覇とヨーロッパカップ優勝を達成すると、直後に移籍したレアル・マドリーでもすぐさまリーガで優勝を果たし、5年連続でプリメーラ・ディビシオンを制した。

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    #9 パオロ・マルディーニ

    「パオロは非常に若かった。だから私はいくつかのアドバイスを与えようとしたんだ」と、フランコ・バレージは説明する。「でも彼にはほとんど不要だった。すでに偉大なプレーヤーだったよ。」その言葉の通り、伝説的なDFであるパオロ・マルディーニはまだ16歳だった1985年にACミランでデビューを果たした。1988年の欧州選手権までに代表先発メンバーの座を掴み取っただけでなく、恐らくミランのクラブ史上最強の4バックの一角を担うまでになっていた。アッズーリでは優勝トロフィーと縁がなかったマルディーニだが、クラブではヨーロッパカップを5度制し、フットボールの歴代ベストイレブンにも選出された。

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    #10 ディエゴ・マラドーナ

    ディエゴ・マラドーナが幼少の頃から熱狂的に愛するボカ・ジュニオルスに入団したのは21歳になってからのことである。しかし、その前に所属していたアルヘンティノス・ジュニオルスでは弱冠15歳でプロデビューを果たしていたし1979年のFIFAワールドユース選手権も制していたことで、ボカに入団する頃にはマラドーナが“生涯で1度きりの才能を持ったプレーヤー”であることはすでに広く知れ渡っていた。アルヘンティノスのフランシスコ・コルネホ元監督は、「彼は小さな少年に過ぎなかったがトレーニングで非常に目を引いた。実際よりもずっと大きな少年のようにプレーしていたよ」と語り、「マラドーナは他の惑星出身だ。異次元だったよ」とのコメントを残した。コルネホは決して間違っていない。1986年ワールドカップでは素晴らしいパフォーマンスでアルゼンチン代表の優勝をけん引し、セリエAに移籍してからは平凡だったナポリをリーグのチャンピオンチームへと変容させた。正真正銘のフットボールのレジェンドと評される所以である。

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    #11 スタンリー・マシューズ

    スタンリー・マシューズがイングランド・スクールボーイズで驚くようなパフォーマンスを見せると、多くのクラブがこの若手プレーヤーを獲得するためにこぞって列をなした。15歳でストーク・シティに入団すると、そのわずか2年後となる17歳1ヶ月でプロデビューを果たした。特筆すべきは、この“ドリブルの魔術師”が50歳でシューズを脱ぐまで実に33年間も現役を続けたことだ。伝説的な指導者であるブライアン・クラフは、「私は、フットボールのプレーを望む者たちにとってマシューズが神だった時代に育った」と語り、「彼は正真正銘のジェントルマンで、あの様な選手を目にすることは二度とないだろうね」というコメントを残した。

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    #12 リオネル・メッシ

    2005年5月1日、17歳のリオネル・メッシはアルバセテ戦でリーガ初ゴールを記録したが、それが後に量産される数多のゴールのほんのひとつ目に過ぎないと予見できた者は当時ほとんどいなかったかもしれない。しかし、フットボール史上最も優れた才能のひとつがカタルーニャ人の手の中にあることはその後瞬く間に明らかになった。この“ノミ”サイズのアルゼンチン人は21歳で最初のバロンドールを掲げたが、その後4回の受賞を経て、今日では多くの人がメッシをフットボール史上最高の選手であると考えるようになった。ハビエル・マスケラーノはかつて、「我々は皆フットボールにコントロールされているが、レオだけはコントロールしているのさ」と語っている。

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    #13 マイケル・オーウェン

    マイケル・オーウェンは1997年にリバプールに入団した。しかしチャンピオンズリーグ覇者のカール=ハインツ・リードレにとって、オーウェンは他の多くの選手と同じように聞いたことすらないプレーヤーだった。そのため、初めてオーウェンのスピードと身のこなしを目にした時、このドイツ人は度肝を抜かされた。リードレは「17歳がプレーしているなんてまるで信じられなかった」と語る。また、「オーウェンはすでに偉大なプレーヤーだったが、もう1、2年もすれば最高に偉大になると思った」とも述べている。実際、リードレは間違っていなかった。まだ18歳のオーウェンはプレミアリーグの1997-98シーズンでチーム内得点王となり、フランスで行われたその夏のワールドカップでは決勝トーナメントのアルゼンチン戦でセンセーショナルなゴールを決め、世界的なスターへと躍り出た。そして2001年にはバロンドールの栄冠にも輝いた。キャリアの後半は怪我に悩まされたが、それはすでにフットボール界に爪痕を残した後でのことだった。

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    #14 ペレ

    恐らくフットボール史上最も偉大なプレーヤーだ。ペレは出身国のブラジル以外では全くと言っていいほど無名だったが、いざ1958年のワールドカップが始まると大会が終わる頃にはスーパースターとなっていた。当時17歳のアタッカーはトーナメントをベンチで過ごすが、準々決勝のウェールズ戦で決勝点を挙げると、続く準決勝のフランス戦ではハットトリックを、そして決勝のスウェーデン戦では史上最も有名なゴールのひとつを決めて見せた。“王様”はさらに2度のワールドカップ優勝を経験し、キャリア通算でも1,000ゴール以上を記録した。セレソン、サントス、そしてニューヨーク・コスモスで輝かしいキャリアを築き、現役を退いた。しかし、ペレのレガシーは今でも脈々と息づいている。アーティストのアンディ・ウォーホルは、「ペレは私の理論に反する数少ない人物のひとりだ」と語っている。

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    #15 ラウール・ゴンサレス

    アトレティコ・マドリーのヘスス・ヒル会長は、「あれを見てみろ」と赤と白に包まれた痩せた14歳の少年を指差した。「我がキャプテン、ラウールだよ。この名前を覚えておいてくれ。怪物になるからね。」そして実際にラウールは怪物となった。ただし、アトレティコではなかったが。ヒルが2つを除くロヒブランコの全てのユースを閉鎖すると決断した時、約束された多くの才能が突然所属するクラブのない状態に置かれたが、その筆頭がラウール・ゴンサレス・ブランコだった。驚くほどの才能に恵まれた15歳のストライカーはすぐにライバルのレアル・マドリーに引き抜かれ、17歳でトップチームに昇格すると、20歳になる頃にはすっかりサンチャゴ・ベルナベウのお気に入りとなっていた。

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    #16 ジャンニ・リベラ

    ジャンニ・リベラはイタリアフットボールの“ゴールデン・ボーイ”だった。そしてその理由を理解するのは容易なことだ。このスレンダーな攻撃的MFがホームタウンのアレッサンドリアでプロのキャリアをスタートしたのは弱冠15歳の時だった。そしてわずかその1年後にACミランへと移籍すると、滑らかなスキルと端正なルックスによってたちまちイタリアフットボールのアイコンとなった。リベラのプレーを初めて目にした伝説的なジュゼッペ・メアッツァは「優れたタッチを持つエレガントな若手プレーヤー」としていたく感激した。弱さとスピードのなさに常に疑問を投げかける者はいたが、リベラは素晴らしいパサーであり、ミランで2つのヨーロッパカップを掲げ、代表でも欧州選手権を制した。さらに1969年にはバロンドールも受賞している。

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    #17 クリスティアーノ・ロナウド

    リスボンで開催された親善試合でマンチェスター・ユナイテッドのDFを置き去りにした後にレッドデビルズの一員となったクリスティアーノ・ロナウドは、18歳でデビューした瞬間からそのトリックと動きでオールド・トラフォードの観衆を虜にした。ジョージ・ベストさえもが興奮し、「この数年の間に何人かの“新たなジョージ・ベスト”と形容される選手がいたが、賞賛に値するのは初めてのことだ!」と語っている。このポルトガル人はそれ以来最も効率的なゴールマシンへと成長し、4回のチャンピオンズリーグ優勝(マンチェスター・ユナイテッドで1回、レアル・マドリーで3回)と5回のバロンドール受賞を経験している。

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    #18 ウェイン・ルーニー

    ホームタウンのエバートンではすでにプレミアリーグ(リーグカップ)でゴールを記録していたとはいえ、真の意味で“スター”ウェイン・ルーニーが誕生したのは、17歳の誕生日を目前に控えた2002年10月に開催された王者アーセナルとの一戦で決勝ゴールを叩き込んだときのことだった。ユーロ2004では4ゴールを記録し爆発的な人気を博すようになる。怪我で大会を途中離脱したものの、それでもスヴェン・ゴラン・エリクソン代表監督は「トーナメントでこれだけのインパクトを残したのはスウェーデンで開催された1958年ワールドカップのペレ以外には思い出せない」と語っている。残念なことにルーニーは様々な理由からメジャーな国際タイトルを制することはできなかった。マンチェスター・ユナイテッドの歴代最多得点記録を塗り替えた後、昨年グディソン・パークに感動的な復帰を果たした。

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    #19 ロナウド

    このストライカーは生まれ故郷のブラジルでは“怪物”的な才能を持つと評されていた。1994年のワールドカップではクルゼイロでわずか14試合しかプレーしていなかったにも関わらず代表に選出され、優勝を経験した。ロナウドはこの米国大会では注目を浴びなかったものの、同じく優勝した2002年の日韓大会ではセレソンの一員として大会得点王に輝き、ワールドカップ歴代通算最多得点記録者となった。この記録はミロスラフ・クローゼに塗り替えられたものの、多くの人にとってロナウドは今でも史上最高の9番である。

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    #20 フランチェスコ・トッティ

    ローマのレジェンドであるフランチェスコ・トッティは、16歳の時にホームタウンのクラブでデビューを果たした。22歳の時にセリエA史上最年少のキャプテンに就任すると2001年にはローマの歴史的なスクデット獲得をけん引し、2006年のワールドカップではアッズーリで優勝を果たした。セリエAの歴代通算得点ランキングで2位の成績を残した後、40歳で現役を引退した。