アストン・ヴィラ対ニューカッスルのFAカップ戦前半45分間、タミー・エイブラハムのオフサイドゴールが認められ、ルーカス・ディニェがペナルティエリア外でハンドをしたと不可解な判定が下された(実際には2ヤード内側に立っていた)。さらに同選手は無謀なタックルで退場処分となるべき場面を免れた。 もしVARが存在していたなら、審判はこれら3つの事例すべてに介入していたはずだ。だからこそ、ヴィラのウナイ・エメリ監督は、この試合が技術導入が「審判を支援するために必要である」ことを証明したと感じたのである。しかしアラン・シアラーは、実際には審判の足を引っ張っていると主張した。
「VARが審判に与えた悪影響の証拠が必要なら、土曜日の試合は絶好の例だ」 と元ニューカッスルFWは『マッチ・オブ・ザ・デイ・ライブ』 で主張した。「審判たちは判断を下すのを恐れている 。安心材料がなくなったからだ 。個人的には、審判の判定はむしろ悪化していると思う」
しかし元プレミアリーグ審判のグラハム・スコットは、審判が「VARに隠れている」という見解を否定した。
「それは全く公平ではない」と彼は『ウェイン・ルーニー・ショー』で語った。「私は彼らと密接に仕事をしてきたし、彼らを知っている。彼らはそんな人間ではない。彼らの思考プロセスも、判断プロセスもそうは機能しない」
「私のキャリアの半分はVARあり、半分はVARなしで過ごした。もちろん逆の順序で、最初はVARなしだった。プレミアリーグにいた時も、頻繁にチャンピオンシップに降格していた。つまり出たり入ったりを繰り返す中で、審判のプロセスは本質的に変わらない。
「しかし変化したのは、VAR導入後は試合中に『重大な誤審を犯した』と自覚する瞬間がなくなったことだ。VARが『再確認せよ』と指示し判定を修正させるか、あるいは『明白な誤審ではない』と判断されるため、ピッチを離れる際に『ペナルティを与えるべきだったか、あるいはゴールを認めるべきだったか』と後悔しながらも、少なくとも『再確認の機会が与えられた』と納得できる。 あるいは『明らかで明白な誤審ではない』と判断されれば、ピッチを離れる際に『ペナルティを与えるべきだった/与えるべきではなかった/ゴールを認めるべきだった』などと考えることもある。それでも少なくともVARが『致命的な誤審ではない』と確認してくれる。
「だから審判陣には同情と共感の両方を持っている。私も同じ立場を経験したからだ。誰もがミスを犯す。後で映像を見返すと、自分が何を見ていたのか信じられないこともある。『なぜあんな判断を?』と自問するのだ」
土曜夜のサン・シーロでのイタリア・ダービー後、フェデリコ・ラ・ペンナの頭の中にもまさにその疑問が渦巻いていたに違いない。