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アストーリの死から1年。誰からも愛されたフィオレンティーナの主将を忘れないために…
Getty「アストーリの壁」
「アストーリの壁」。この言葉は、イタリアサッカー界で最も愛された選手の一人の早すぎる死を表現する、最も強烈な特徴の一つである。2018年3月4日にダヴィデ・アストーリが亡くなって数時間後から、毎日、毎月、何千人ものファン、チームメイト、対戦相手が、スタディオ・アルテミオ・フランキのゲートの一画に、花束やシャツ、タオルマフラー、写真、バナー、手紙を捧げてきた。もはや聖堂とも呼べるような感動的な場所だったが、セントロ・スポルチーヴォに移設され、現在はアストーリの名前が冠されている。
Getty喪に服すフィレンツェ
アストーリの死は、今でも街全体に衝撃を残している。フィレンツェのダリオ・ナルデッラ市長は、3月4日を服喪の日と通知し、こう述べた。
「我が街のチームのキャプテンを追悼しよう。彼はサッカーファンのみならず、街全体を深く結びつける絆を築いてくれた。彼の人間性と市民として果たしてくれた役割に感謝しよう。彼のプロ選手としての模範的な行動は、スミレ色のユニフォームにとって最も重要な理想を示すものであった。彼は、イタリアのみならずサッカー界全体を代表する選手であった。そして、とりわけ、彼があの若さで突然、悲劇的な死を迎えたこと、これらのことすべてが、フィレンツェのすべての市民の心に、大きな喪失感を残すものであった」
Getty Imagesシャペコエンセからのお悔やみ
アストーリの家族、所属していたクラブ、サポーターには、多くの励ましのメッセージが寄せられた。なかでも、いち早く哀悼の意を示したのは、2016年11月28日の飛行機事故で77名の命が失われたシャペコエンセであった。
「シャペコエンセは、亡くなられたフィオレンティーナのキャプテン、ダヴィデ・アストーリに深い哀悼の意を表します。ご家族、チームメイト、友人に心からのお悔やみを申し上げるとともに、その方々の痛みを分かち合います」
Getty Imagesサポナーラの感動的なトリビュート
フィオレンティーナの選手たちは、チームメイトの突然の死に驚愕し、心を痛めた。全員がキャプテンに哀悼の言葉を贈ったが、その喪失感をおそらく最も強く伝えたのが、リッカルド・サポナーラであった。アストーリへの公開書簡には、美しくも沈痛な言葉がつづられていた。
「ああ、キャプテン、我がキャプテン。どうして僕らみんなと朝食を食べに来てくれないんだ。いつものように、マルコ(スポルティエッロ)の部屋の外に置いてある自分の靴を履いて、オレンジジュースを飲みにこないんだ?」
「皆が僕らに『人生は続く。前を向いて元気を出さないといけない』と言う。だけど、キャプテンがいなくなったことをどう感じればいいんだ。これから誰が、毎朝カフェテリアに来て、笑顔でみんなを和ますというんだ」
「昨日の夜、何をしていたか、みんなに聞いて、笑い飛ばす役割を、誰が果たすんだ。誰が、若い連中を育て、ベテランに責任の取り方を教えるんだ。『ツー・タッチ・プレー』のとき、誰が輪を作るんだ。それに、誰が、プレイステーションでマルコを倒すんだ?」
「誰と一緒に、テレビ番組の『マスターシェフ』のこととか、フィレンツェのレストランのこととか、テレビ番組やゲームのことを語りあえばいいんだ? お願いだ、戻ってきてくれ! 『ラ・ラ・ランド』だって、まだ最後まで観てないじゃないか。新しい映画が出たら、いつだってキャプテンが解説してくれていたのに」
「フィレンツェに戻ってきてくれ。みんなが、キャプテンの契約更新を待っている。毎日、キャプテンが僕らに良いことやポジティブなことを与えてくれていることを、みんなわかっているんだ。あんな忌まわしい部屋から早く出てこいよ! 明日も練習があるんだから!」
「そう、キャプテンは一度も会ったことがない人とも仲良くなった。キャプテンに、ただ一言、『フィレンツェにようこそ、リッキー』と言われるだけで、みんなキャプテンが大好きになって、『ダヴィデ派』になったんだ」
「きっとどこにいても、キャプテンはチームのゴールを守りつづけ、バックラインから僕らに正しい道を示すんだろう。ああ、キャプテン、我がキャプテン。永遠なれ、我がキャプテン」
Getty Images「チャオ、ダヴィデ」
アストーリの死に衝撃を受けたのは、フィオレンティーナのチームメイトだけではない。かつて同じチームでプレーした選手、あるいは敵となって戦った選手たちも、心に深い傷を負った。
彼の死後、最初のセリエAの試合となった、3月9日のスタディオ・オリンピコでのローマ対トリノの試合では、両チームの選手たちが合同で大きな輪を作って黙祷したが、中には涙する選手たちもいた。
その週末、イタリアのトップチームの選手全員が、「チャオ、ダヴィデ」と書かれたシャツを着た。
Getty最後のお別れ
2018年3月8日はフィレンツェという街にとって決して忘れられない日となった。数千人が、最愛のキャプテンに別れを告げようと、サンタ・クローチェ聖堂に集まったのだ。
政治家、さまざまな他のスポーツのアスリート、歴代の偉大なチャンピオン、他のすべてのセリエAのクラブからの代表が、祈りを捧げに来ていた。
ユヴェントスはロンドンでのアウェーの試合から戻ってきたばかりだったが、マッシミリアーノ・アッレグリ監督、ジャンルイジ・ブッフォン、ジョルジョ・キエッリーニ、アンドレア・バルザーリ、フェデリコ・ベルナルデスキが、アストーリの葬儀に駆けつけた。ユーヴェはフィオレンティーナの最大のライバルであるが、聖堂を取り囲んだ人々から拍手で迎えられたのであった。
アストーリを慕う心は、あらゆるスポーツの垣根を超えて広がっていたのである。
Gettyバデリが告げた別れ
葬儀に参列した人々にとって、フィオレンティーナのMFミラン・バデリの感動的な弔辞は、永遠に記憶に残ることであろう。バデリは、アストーリからキャプテンマークのアームバンドを受け継いだ選手である。
「ダヴィデ…。まず初めに、君の名前はヘブライ語で『愛される』という意味だけど、今日ここに集まっている人々すべてが、君を愛している。まさに君の名前どおりだと思う」
「ダヴィデ、君はその深い洞察力で、人々を受け入れ、ずっと一緒にいようとしてきた。君は、他の誰とも違う。相手の言葉をよく知らなくても、それでも僕ら全員に話しかけようとしてくれて、心の底から話して、僕らを一つにしようとしてくれた。君は心という世界共通語を授けられた人だった」
「君のお母さん、お父さんには、君が何一つ間違いを犯さなかったことを知っておいてもらいたいと思う。君はまさに、すべての人にとって理想的な息子であり、兄弟だった」
「君は、サッカー小僧が望みうる最高のチームメイトだった。君が同じチームにいてくれはば安心していられ、『大丈夫、ダヴィデがいる』と思えた。君の笑い声や、誰とでもジョークをかわす姿は忘れられない」
「君は、『世界で最も有名なデザイナーでパートタイムのサッカー選手』だ。君はいつも、自分を表現するのが大好きだった。だけど、君のサッカーは、子どもがプレーするような純粋なサッカーだった」
「僕らの心は、君の家族、フランチェスカと、君のお姫様ヴィットリアとともにある。彼女に寄り添うことはみんなの義務だし、これから成長していく君の娘に、父親がどんな人物だったか、伝えていくよ。男の中の男だった、と」
「最後に、一つ話すことがある。君は毎朝マッサージ室に行って、いつも灯りをつけてくれていた。そう、君は、僕らすべての人にとって、光だったんだ」
「ありがとう、ダヴィデ」
fiorentina fb悲しみに包まれた試合
キャプテンの悲劇的な死から初めてのフィオレンティーナの3月11日の試合は、特別な試合となった。3月11日、悲しみに打ちひしがれたチームは、ベネヴェントとの試合でセリエAのピッチに戻ってきた。フィオレンティーナの紫に染まったスタンドは、いつもと違う雰囲気に包まれていた。開始から13分、主審が試合を中断して、アストーリへの追悼が行われた。
サポーターは、大きく「ダヴィデ」と描いたコレオグラフィーを披露し、紫の風船が空に向かって放たれた。この日は、イタリアサッカー界において、最も難しい日の一つであった。試合はヴィトール・ウーゴのゴールでフィオレンティーナが1-0で勝利した。奇しくも、DFウーゴは、アストーリの代わりにディフェンスの中央に起用された選手であり、その背番号31は、亡くなったキャプテンの背番号13をひっくり返したものであった。得点を決めると、ブラジル出身のウーゴは、アストーリを称える敬礼をした。
Instagramアストーリの背番号13を称えるタトゥー
フェデリコ・ベルナルデスキは、キャプテンの記憶を心の中だけではなく、皮膚にも刻みこもうと決心した。チームメイトの死から数日後、ベルナルデスキは、13という数字の入れ墨を入れた。紫のチームカラーのキャプテンが毎週末、フィオレンティーナのために身に着けていたのと同じ番号である。
フィオレンティーナのステファノ・ピオリ監督も「#DA13」という入れ墨を左腕に入れた。ピオリ監督は、アストーリの死から1年の間、しばしばキャプテン・アストーリについて語り、アストーリがどれほど強力に、ディフェンダーと他のチームのメンバーとのあいだを取り持っていたかを強調した。最近では「選手たちも私も、まだ心の傷が癒えてはいない。身の回りのすべてがダヴィデと関係があるからだ。だが、あのことが起こってから、私は人として、監督して成長してきた」と語っている。
Gettyイタリア代表が感じた悲しみ
アストーリの死は、イタリアのナショナルチームにも深い傷を残した。3月のアルゼンチン代表との親善試合で、アズーリは、背番号13の特別なシャツを着てピッチに入場し、元チームメイトに祈りをささげたが、そこには『ダヴィデの背番号13はいつも我々とともにある』と書かれていた。
数日後、ウェンブリーでのイングランド戦で、イタリア代表は再びアストーリに黙祷した。
Fiorentina Instagram「ダヴィデは、いつも我々とともにある」
アストーリは、亡くなってからもスタディオ・アルテミオ・フランキに存在し続けている。どの試合でも、ファンはキックオフから13分後に彼のチャントを歌い、彼を思い出すのだ。そして彼のシャツはホームスタジアムのドレッシングルームに残されたままである。
前キャプテンのロッカーはそのままにされており、チームメイトは常に、「ダヴィデ・エ・センプレ・コン・ノイ」と繰り返し言うが、これは、「ダヴィデは、いつも我々とともにある」という意味である。
Socialアストーリのアームバンド
セリエAは、2018-19シーズンのルール改正で、キャプテンのマークのアームバンドをカスタマイズすることを禁止すると発表した。全選手が同じものを身に着けなければならなくなったわけだが、シーズン当初、何人かはこのルールに従うことを拒否した。その中の一人がフィオレンティーナの現キャプテン、ヘルマン・ペッセッラであった。
フィオレンティーナの選手たちは、アストーリに捧げてカスタマイズされたアームバンドを諦められなかった。スミレ色のフルバック、クリスティアーノ・ビラーギは、こう言っている。「あのアームバンドを変えられてたまるか。罰金を払えというなら、払うまでだ」
その後、イタリアのサッカー界あげての論争となり、セリエAは、フィレンツェのクラブに例外を認めることを決定した。
Getty Imagesイタリア全土で広がる誕生日のメッセージ
2019年1月7日、アストーリは32歳になるはずだった。フィオレンティーナと、アストーリがセリエAデビューを果たしたカリアリの他、イタリア全土で、DFアストーリの記憶を称えるため、長期間のトリビュートが開催されることが決定された。
Gettyフィオレンティーナ、コッパ・イタリアの準決勝でトリビュート
アストーリが亡くなってほぼ1年後、フィオレンティーナは、非常に重要な試合を行うこととなった。コッパ・イタリアの準決勝ファースト・レグ、アタランタ戦である。ファンは、元キャプテンにトリビュートのコレオを捧げた。2018-19シーズンにフィオレンティーナのキャプテンが身に着けたカスタマイズされたアームバンドを巨大化したもので、次のような言葉が添えられていた。
「あなたの記憶は私たちの心と意識に刻みこまれており、何ものもこれを消すことはできない」
これはチームをピッチに迎え入れるときに披露され、「アストーリ13」と書かれた15,000本の紫の旗が振られた。
これは、早すぎる死を迎えた一人の勇者の1年を締めくくるオマージュにすぎないが、アストーリが、所属クラブと母国に決して消えない印を残したことは、痛々しいことに明らかである。
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