■“グアルディオリスタ(グアルディオラ主義者)”
バルセロナ監督に就任したジョゼップ・グアルディオラは、彼らのサポーターたちへのお披露目で、こんなことを語っていた。
「シートベルトをしっかり締めてくれ。私たちは楽しいひとときを過ごすんだよ」
それから約13年が経ち、トップチーム、ひいては「クラブ以上の存在」を謳うクラブの命運は、チャビ・エルナンデスの手に委ねられた。ペップの教え子は、今一度シートベルトをしっかり締めなくてはならないことを理解している。が、その理由は以前とはまた異なるものだ。彼の運転する車は、ここからトンネルに、闇に突っ込んでいくのだから――。
歴史的な6番のトップチーム監督就任は、グアルディオラのものと比べることができない。ペップはその前にBチームを率いて下部組織のことを隅から隅まで知っていた(セルヒオ・ブスケツやペドロを見出したのも、そのおかげだ)。片やチャビは現役を引退したアル・サッドでそのまま監督になると、レベルが高いとは決して言えないリーグで采配を振るい、下部組織で際立つ選手を見出すことはできなかった。そのほか、ペップには新進気鋭のリオネル・メッシがいたのに対して、チャビはアンス・ファティがいつまで病室で苦しみ続けるのかに気を配り、ペップがシーズンの最初からチームを指導できて補強の余裕もあったのに対して、チャビはシーズン途中に借金だらけのクラブを背負うことになり……と、両者の置かれる環境はまったく違う。
そもそも、グアルディオラのトップチーム監督就任は誰もが納得するものではなかったし(フランク・ライカールトの後任には、ジョゼ・モウリーニョをはじめとして多くの監督が立候補していた)、その一方でチャビは必然的に期待を生み出さなくてはいけなかったのだ(ほかの監督候補者たちは破滅に向かうクラブにやって来ることを嫌っていた)。彼ら唯一の共通点としてあるのは、最初の補強選手がダニ・アウベスになったということだが、それについても“素晴らし過ぎる”と形容できるほどの兆候にはなり得ない。
だがしかし、チャビの帰還には、ペップとの比較で優っているであろうものが一つある。ペップ先生のことが大好きな、落ち着きのない生徒であったチャビは、彼のイデオロギーの中で育ったというだけでなく、その原理主義を過激化させてもいる。つまるところ、チャビはグアルディオラよりも“グアルディオリスタ(グアルディオラ主義者)”なのだ。グアルディオラがヨハン・クライフよりも“クライフィスタ(クライフ主義者)”であるように。
加えて、チャビの主張はそこまで叙情的ではなく、“フィロソフォ(哲学者)”と呼ぶことは難しい。選手時代、ゴールよりも良質なパスを出すことに快感を覚えていた彼は、芝が伸びていれば裁判沙汰として、ボールを失えば発疹が出て、ロンドがうまくできない選手を容赦なく叱責し、超保守的な提案や戦術は生理現象のごとく嫌悪する。そして臆面もなく、こう宣言するのだ。「プレースタイルとは楽団の楽譜」「洋上の漂流者の板」「選手のGPS」「綱渡りをする人間の安全ネット」、であると。
そのために、うまくいくかどうかにかかわらず、選手たちは肝に銘じていなくてはならない。ゲームプランを、何のためにプレーしているのかを、どうポジショニングすべきかを、いつ走っていつ待つべきなのかを、相手選手を追いかける代わりにスペースを埋めることを、相手のゴールを見据えることを、主役になることと主役だと感じることを(その二つは一緒ではない)……以上の長ったらしい羅列を、このスポーツが生み出した最高の代表チームと最高のクラブチームの導き手だった男以上に伝達できる人間など、この世にいるのだろうか?
■巨大な挑戦。真っ直ぐな目

ペップから学んだチャビは、スタイルというものが美辞麗句ではなく、選手たちに浸透させて目に見える形で発現されなくてはならないことを知っている。変節家やスタイルに疑いを持つ選手はチームにいらない。グアルディオラは汚染されていたロッカールームで毒となっていた存在(ロナウジーニョ、またはデコ)を取り除き、新たなヒエラルキーを確立した。チャビは自分が擁する陣容に贅沢を言っている場合ではないが、しかしかつてのチームメートたち(テア・シュテーゲン、ジョルディ・アルバ、ブスケツ、ジェラール・ピケ、セルジ・ロベルト)をベンチに座らせることも、1週間の中で最も良いプレーを見せた選手にチャンスを与えることも恐れはしない。若さとはスポンジ状であり、何でも吸収してしまおうという姿勢がチームを下から突き上げていく。同様に、自分たちの価値をまだ示していないと歯を食いしばる選手たちにも、チャビの考えはおあつらえ向きだろう。
チャビはアントニオ・コンテのような統率者でもウナイ・エメリのような方法論者でもルイス・エンリケのようなモチベーターでもない。チャビがバルセロナの内部規律を復活させたと話題になったのは彼が厳しいのではなく、単純にクラブ内から厳しさが失われていたからだ。彼が取り戻そうとしているのは、グループ内にあるべき常識、である。バルセロナではそれがエルネスト・バルベルデの到着から徐々に失われていったが、誰も非難しようとはしなかった。なぜなら、少なくとも勝てていたからである。チャビとそのコーチングスタッフが求めるのは、団結とプロフェッショナル精神、それ以上でも以下でもない。逆説的に言えば、バルセロナはあまりにも現実世界から遠ざかっていた。
チャビの眼前にはあまりに巨大な挑戦が立ちはだかる。しかし彼が挑戦から目を背けたことなど一度としてない。困難に出くわしたとしても、ついには逃げなかった。選手としてトップチームデビューを果たしたときにはニュー・グアルディオラと持て囃され、期待に応えられなかったために退団(ミラン移籍)を考えたときには、母親から自分たちの最愛のクラブを捨てるならば父親と離婚すると言われて踏みとどまった。その後も中庸な監督が指揮を執るバルセロナとスペイン代表の両方で渇きの時期を過ごしたチャビだったが、幸運か運命か、人生を一変させる2人の指揮官と邂逅を果たすことになる。バルセロナはご存知ペップ、そしてスペイン代表がルイス・アラゴネスだ。彼らはそれぞれの領域で、チャビの選手としての格とポジションを引き上げ、ピッチ上の全権を与えた。チャビはキャプテンマークを巻かないキャプテンとなり、世界で最も信じることのできるMFとなったのである。
■フットボールという病に冒された男

ここまでメッシの影に隠れていたバルセロナは、もう動きを誤魔化せないメトロノームであり、いよいよ信用を取り戻さなくてはならない。そのためにはチームとしての働きが欠かせないが、今の彼らにはゴール、プレー、パーソナリティーのすべてが欠けている。ロナルド・クーマンはポスト・メッシ、ポスト・パンデミック、ポスト・バルトメウという無茶苦茶な過渡期の監督を引き受けて、レジェンドとしてのステータスを傷つける危険を冒した。昨季はコパ・デル・レイ優勝を果たしたものの、もっと大きなタイトル獲得を常とするバルセロナにとってはささやかな慰めであり、何よりオランダ人指揮官が率いたチームにはサポーターを楽しませ、熱狂させる力がなかった。カンプ・ノウに閑古鳥が鳴き始めている今、「“どうやって”勝つか」はかつてないほどに大切だ。バイエルン・ミュンヘンに0-3で敗れた直後、クーマンとピケは「これが現実ということだ」とユニゾンして語った。そんなことを、もう繰り返してはならない。
チャビはバルセロナという存在の根幹を見直すために帰ってきたわけが、同時にクラブに自尊心を取り戻させ、惨憺たる状況から脱却させなくてはならない……無論、簡単ではない。最初の日程にしても、エスパニョールとのダービー、次にベンフィカ戦と道のりはいきなり険しい。それでも、チャビの頭の中ではペップの言葉が響き続けているはずだ。
「現在の私たちは勝ち続けている。バルセロナのプレーモデルは素晴らしいものと考えられており、誰にも疑われていない。とはいえ、ずっと勝ち続けることなど不可能な話だし、いつか疑義を差し挟まれることになるだろう。そしてそのときにこそ自分たちのプレーモデル、スタイルをかつてないほどに信じなくてはならないんだ。私たちをそこから引き離そうとする力は、とてつもなく強いはずだからね」
2009年、グアルディオラが六冠を達成した直後に発したこの言葉に、バルセロナはしがみつかなくてはならない。だからこそ 今、ここにはチャビがいるのだ。フットボールという病に冒された者。プレースタイルのタリバン。髪のスタイルにしたって、衰退しない限りは(そんな気配は見えない)、きっと永遠に変わらないだろう。
文=ルジェー・シュリアク/Roger Xuriach(スペイン『パネンカ』誌)
翻訳=江間慎一郎


