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「サッカーをさらに好きになった」そして迎えるWEリーグ元年 ちふれASエルフェン・荒川恵理子が振り返る25年の軌跡/最終編

WEリーグにおいて最も長い選手キャリアを持つちふれASエルフェン・荒川恵理子と紐解く女子サッカーの歴史。2011年ドイツW杯で優勝を果たし、日本中に大きな感動を与え、存在感を示した女子代表。そのとき荒川は30代という節目を迎えていた。第3回となる最終編は、荒川自身のサッカーへの意識の変化について。

■30代、恩師との再会で「サッカーの楽しさ」を見つける

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 2009年アメリカのFCゴールド・プライドから帰国後、さまざまなクラブでプレーした荒川。移籍を重ねるなかで、どのような心境の変化があったのだろうか?

「ベレーザにいた時は、このチームをもっと良くしたい、何か働きかけたいとはあまり考えなかったんですよね。けれどレッズに移籍して、自分自身がこのチームをより強くしたい、このチームで優勝したいという意識が出てきました。感覚だけで動くんじゃなく、頭で考えられるようになった。『松田さん(松田岳夫元・日テレ・ベレーザ監督)が言っていたのはこういうことだったのか』と、30歳を過ぎて気づいたんですよね」

 彼女のように、長年培ってきた経験値が選手を伸ばす可能性は大いにある。現にWEリーグでは、今も変わらず技術が光るベテラン選手がチームを引っ張る存在として活躍している。新陳代謝が激しいサッカーの世界だが、いまのWEリーグでは30代で花開いた選手の存在が、試合をより面白くしていると言えるだろう。

「レッズでの経験を経て『松田さんにもう一度教えてもらいたい』と思っていた頃、エルフェンに松田さんが就任すると聞いて。その時エルフェンは2部に落ちてしまったんですが、『自分がこのチームを1部に上げたい』というモチベーションをもって加入しました」

「実は、松田さんには私がメニーナ(日テレ・東京ヴェルディメニーナ)にいた中学1年生の頃から教えてもらっていたんですよね。プレーやボールの持ち方に至る細かい部分まで、サッカーでの遊び心を教えてもらって、非常に衝撃を受けたんです。それが自分の原体験としてあるし、松田さん自身も大事にしている根本の部分は変わらない。だからもう一度松田さんの元でサッカーの奥深さを教えてもらえて、めちゃくちゃ楽しかったんですよね」

■W杯と五輪直前でのケガがサッカーと向き合うきっかけに

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 恩師との再会で、サッカーの面白さにますますのめり込んでいく荒川。しかし、またもやケガが彼女を襲う。

「北京五輪を経て4年後に目標を切り替えて、2011年3月のアルガルベカップまで行っていたんですが、疲労骨折が発覚したんです。目標は2012年のロンドン五輪でしたが、もちろんドイツW杯もチャレンジしたかった」

 この負傷で、荒川は2011年6月から開催されたドイツW杯のメンバーから外れることになる。

「これだけは仕方ないですよね。ドイツW杯は日本が優勝できてすごくうれしい気持ちもあったんですけど、『なんでこのタイミングで』といった寂しさとか複雑な思いもあって。でも、このケガが選手寿命を延ばしてくれたとも思っているんですね。自分の身体を見直すきっかけにもなった。もっと言うと、2008年の時点でサッカーを辞めていた可能性もありました。だけど、切り替えて『4年後を目指そう』って考えて」

「結果的にロンドン五輪も行けませんでしたが、これだけ長く選手としてプレーできて、サッカーを心から好きって言えるようになりました。ケガのおかげで、もう一度サッカーに向き合えた。けががなければ、サッカーを楽しいって思えないままだったかもしれません」

 ケガによって選手寿命が伸びた。同年代の仲間はほぼ引退した今、「ベレーザのみんなともこうした思いを共有できれば、もっと楽しくサッカーができたのかな」と過去を懐かしむ。

■WEリーグでの始動で新たに感じるプレッシャー

 WEリーグ開幕から1カ月。ちふれASエルフェン埼玉はプロチームとして戦ってきた。アマチュアリーグ時代とプロリーグ時代の違いを、荒川はいかに感じているのだろうか。

「自分自身はガラッと変わった感覚はないんですが、俯瞰してみると、サッカーをしてお金が貰えるのはすごく大きなことですし、女子サッカーにこんな時代が来るとは思っていませんでした」

 プロとして改めてサッカーに向き合う環境に置かれた今だからこそのプレッシャー、そして思いもある。

「子どもたちの夢になるためにも長く続けたいとは思いますが、一方で不安も大きくて。お金を払って見に来てもらうお客さんたちに、私たちは何を見せられるか。何を感じて帰ってもらうか。これから自分たちが無条件に背負っていかなければならない評価について、考えるところはあります。サッカーだけに集中できる環境はできたけど、その分のプレッシャーはついてきますよね」

「でも、こんな年になってもこんなに恵まれた環境で、WEリーグの初年度に選手としてサッカーができるのは、本当にありがたいですね。これまで、私がつらい時に気にかけてくれた周囲の人たちに、元気な姿を見せたいと思ってプレーしてきました。ロンドンには行けなかったし、恩返しはできなかったですけど…。でも今、元気でやれている自分を見ていただけたらと思います」

 恩師やアメリカでのチームメートたちの言葉を受け止め、ケガに苦しみつつもここまで歩んできた荒川。そんな彼女が日本初のプロリーグでプレーを続けているーーその姿と存在は、次世代のサッカー選手にDNAとして受け継がれていくだろう。これからもサッカーを愛しサッカーにひた向きに向き合う荒川恵理子を応援していきたい。そして、女子サッカーを思う人たちで繋がれてきたこのリーグを大切にしていきたい。

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