2021-07-12-japan- tanakaao©Kenichi Arai

田中碧が痛感した世界との差。東京五輪代表の今につながるターニングポイントを知る

U-24日本代表は、本日、東京五輪(オリンピック)グループステージ初戦・南アフリカ戦を迎える。1997年1月1日生まれ以降の選手たちで構成される東京五輪代表チームは「金メダル」を目指して、過去にない「強化」が進められてきた年代でもある。Goalでは、このチームを発足当時から追い続けるサッカージャーナリスト川端暁彦氏と林遼平氏に対談で振り返ってもらった。

■ひたすら海外で続けてきた強化

 東京五輪代表の欠かせぬ存在である田中碧。この代表チームは、2017年初夏に行われたU-20W杯韓国大会がスタート地点と言えるが、田中にフォーカスした時、その転機のひとつは2019年だったといえるだろう。

 この年、6~7月にかけて五輪世代中心に構成されたA代表がコパ・アメリカに参加。時期が重なったトゥーロン国際大会には、いわば「五輪代表のBチーム」が参加した。田中碧、三笘薫、相馬勇紀、旗手怜央もこちらのチームで、ブラジルではなくフランスにいたことになる。

「トゥーロン組はコパ組に入れなかった選手たち選抜みたいになっていたので、気持ちも落ちてるのかなっていうのを懸念してたんですけどこれ逆で、みんな燃えてましたね。選手たちのキャラクターが良かった。ギラギラ系というか」と川端氏は振り返る。

 U-22日本代表(当時)は、グループステージを2勝1敗で勝ち抜き、準々決勝をU-22メキシコ代表、決勝をU-22ブラジル代表と戦って涙の準優勝。この2試合、ともにPKまでもつれ込んでいる。

川端「メキシコ、ブラジルともにすごいメンバーでした。最後に田中碧選手が表彰されましたが、参加したメンバーが得たものはすごく大きかった」

林「準決勝ではPKの最後に旗手(怜央)選手が決めて、決勝では旗手選手が外すという流れでした。Jでは僕、川崎フロンターレを担当していたこともあって、この大会が終わった後に、三笘選手、旗手選手、田中碧選手、みんな言っていました。『あのブラジルとやって自分のレベルを感じた。もっとここから上げないと上ではやっていけない』と。ここ数年でも結構、この試合の話をするんです」

川端「チームとしては何とか粘って戦ったんだけど、個と個になったときに、全然勝てないっていうのがあった。田中選手は直後にも『差を痛感したほうが絶対デカイです』と言っていました。ここで当たったブラジルですら世界トップクラスじゃないというところで」

林「言ってましたね。例えばスピードや技術で上回っていても、結局フィジカルも相手のレベルにならないと無理だっていうのを痛感したと。日本人だからここが秀でているではなくて、世界とやるならそこを秀でたうえで、ほかも同じレベルに持っていかないと無理だ。そんな話をしたのをすごく覚えています」

 この年の五輪世代は、9月に北中米、10月にブラジル遠征と海外遠征を続ける。そしてこのブラジル遠征で日本はU-22ブラジル代表と戦い3-2で勝利。田中碧が2得点、中山雄太が1得点を決めている。

川端「アウェイでブラジルに勝つという貴重な経験をしました。トゥーロンの時は日本がベストオーダーじゃなかった中で、この遠征はコパ組とトゥーロン組をガッチャンコしたような編成で。そして、田中選手が言ってみれば初めてベストメンバーを組んだ中でスタメンで起用されました」

林「ここで田中選手は完全に”一軍”になりましたね。トゥーロンの時も周りの選手が『碧くんが入るとボール出てくるし変わりました』といった話はしていたんですけど、ブラジル遠征のベストメンバーの中でも主になれるとすごく感じました」

川端「メンタリティの部分でもやれるっていうところを見せて、森保監督のハートもつかんだのが、この試合だったと思います」

 そして、2019年11月、東京五輪世代は発足後「初めて」日本国内で試合を行う。ここにもこの年代の強化の特長が表れている。2年あまりすべて海外で活動を重ねてきたのだ。

川端「この時まで、一回も日本でやってきてないんですよ。活動をひたすら海外でやってきた。『強化のためには外出ていくしかねえんだ、国内合宿なんかやっててもしょうがねえ』ってやってきたのがこのチームなんです」

1時間以上にわたる対談からは、日本サッカーの進化がうかがわれる。現メンバーのほとんどが「海外組」であることもその一つの証左だ。「金メダル」を懸けた舞台はいま、目の前に迫っている。

■さらに詳しい対談動画はこちら

広告

ENJOYED THIS STORY?

Add GOAL.com as a preferred source on Google to see more of our reporting

0