「バスク」の誇りと特殊性
夏だとしても関係がない。ここではいつ、どんな日であっても、まるで秋や冬のように雨が降る。バスクは緑豊かで、あたたかい。湿度が高く、ときにムンムンするほどである。
久保建英は、そのことをすでに知っていた。ビルバオ、ビトーリア、エイバル、パンプローナ、サン・セバスティアンと、これまでにもバスクでのアウェー戦に臨んできたのだから。そして、彼は痛感もしていたはずだ。アトレティック・クラブ、アラベス、エイバル、オサスナ、レアル・ソシエダとの対戦が、どれだけ骨が折れるものなのかを。
しかし、この日本人がバスクという土地の本質、その特殊性を深く実感するようになったのは、2022-23シーズン、ドノスティア(サン・セバスティアンのバスク語呼称)で生活するようになってからに違いない。バスクはスペインの一地域となってはいるが、ほかと同じにはなり得ず、その違いに嫌でも気付かされることになるのだ。
パイス・バスコ――“バスク国”を意味し、エウスケラ(バスク語)とエスパニョール(スペイン語)を公用語としているこの地域は、スペインのほかの地域とは一線を画している。バスク人は進取の気性に富み、とても働き者で、あらゆることに真剣に取り組む人々とされている。そうした性格が形づくられた背景には、海、山、変わりやすい天候と、真剣に向き合わなければ命を落としかねない厳しい自然との共存の歴史がある。また1800年代の終わりに広まったバスク・ナショナリズムは、1936~39年のスペイン市民戦争、1939年から40年間続いたフランシスコ・フランコの独裁政権の中で厳しい弾圧に遭うことになったが(例えばアトレティック・クラブは、クラブ名をスペイン語準拠のアトレティコ・デ・ビルバオに変更しなければならなかった)、彼らは長きにわたる悲劇の中で自分たちの気骨をさらに逞しくし、仲間内の絆をより強固なものにしていった。
だからこそバスク人は信頼できる者/物は厳選する。たとえ、スペインのほかの地域で“あまりに閉鎖的な人々”とのレッテルを貼られているとしても。そしてバスク人は、口先で語られることではなく、行われた事実にのみ信頼を置く。そのことは日常のあらゆる範疇から感じられ、とりわけ「カルチャー」「ガストロノミー」「スポーツ」というこの土地の三本の柱に色濃く表れている。
バスクでもスポーツの王様として君臨するフットボールは、100年以上前から熱狂的なファンを生み出してきた。バスクのフットボールクラブは1929年のラ・リーガ創設に大きく関与し、それから重要なタイトルを幾度も争ってきた。レアル・マドリー、バルセロナという二つの巨人に取って代わったことも一度や二度の話ではない。
伝統的にバスク・フットボールの特徴は選手育成にある。アトレティック・クラブとレアル・ソシエダは40年前、ほぼ生え抜きのチームでラ・リーガ優勝を果たした。それから時は流れて、国境の外から大量に選手が流入するようになったが、それでも両クラブの本質は変わっていない。彼らは自分たちの土地で取れた種を植って、育てて、収穫している。
レアル・ソシエダについては30年前に外へ向けた門戸を開き、スペインの異なる地域や外国からの選手を受け入れるようになった。生え抜きだけでは高いレベルの競争で通用しないと考えたためである。とはいえ、それでもソシエダの中心メンバーは地元の選手たちであり続けた。クラブは若き才能の育成を決して疎かにせず、ベテランの背中を追っていた若手が新たなベテランとなり、新たな若手がそのベテランの背中を追いかける……というサイクルをずっと守ってきた。実際、歴代のキャプテンたちはこのクラブで育ったことにより、守らなければならない価値観をその身に刻んでいたのだった。
悲願の獲得実現
(C)Real Sociedadさて、この若き才能を重視する哲学の下、ドノスティアに迎え入れた外国人選手こそが、久保建英である。ソシエダは何シーズンも前から彼のことを追いかけていた。
日本人MFの獲得オペレーションの中心には、スポーツ・ディレクターを務めるロベルト・オラベがいた。マドリーとラ・リーガ優勝を争いチャンピオンズリーグ出場も果たした2002~05年、そして2018年から今現在までと、二つの時期に同職を務める彼は、第二期になってから若い才能により注力するようになった。2010年代、カタールのアスパイア・アカデミーでフットボール・ディレクターとして働き、その後エクアドルのインデペンディエンテ・デル・バジェで下部組織のコンサルタントを務めた経験も反映されているのだろう。ちなみにインデペンディエンテ・デル・バジェは2019年にコパ・スダメリカーナで優勝するなど、南米有数のチームに成長を遂げている。
若手育成のスペシャリストとも言える地位を確立したオラべは、久保のことを何年も求め続け、今夏ついに獲得を実現。オラべには久保がラ・レアルの連係重視のプレースタイルに適応し、ダビド・シルバ、ミケル・メリーノ、ミケル・オヤルサバルらラ・リーガ屈指のテクニシャンたちと響き合えるという確信があった。同じく連係を重視するバルセロナの下部組織にいた経験が、適応の助けになるとの理解もあったに違いない。
それでも、新天地では最初は苦労を強いられるものだが、バスクという地域とソシエダというクラブは、すぐに結果を求めるほど度量が狭くない。ここでは働く者が有用な存在かどうかを一方的に判断するのではなく、規律、(効果的な)努力、連帯責任でもって有用な存在に仕立て上げることを目指すのだ。そうしたバスクの精神性は、きっと日本人の精神性とリンクしているはずである……まあ今季の久保は、ラ・リーガ開幕節カディス戦のゴールを皮切りに、ここまでに2得点3アシストを記録とすぐに結果を出したのだが。
久保建英が愛される理由
(C)Getty Imagesソシエダを率いるイマノル・アルグアシルは、監督と選手というより人と人の付き合いを大切にする指揮官だ。選手にはたっぷりの愛情をもって接し、しかし日々の練習から全力を尽くすことを厳しく求める。ソシエダのサポーターは、そんな彼にクラブのアイデンティティーと帰属意識を感じている。
ソシエダの下部組織出身選手、下部組織出身監督(ユース、Bチーム、トップチームの監督を歴任)であるイマノルは、このクラブがどういう存在なのかを深く理解し、ときに一ファンとしての振る舞いを見せる。例えば2020年のコパ・デル・レイ優勝直後、イマノルは会見場を去る前に「ここからはファンモードになるよ」と言い、青白のユニフォームを着て、マフラーを頭の上に掲げて、ソシエダのチャントを声の限り叫んだのだった。
サポーターとイマノルの関係性が象徴するように、ラ・レアルはまるで大きな家族である。ここで久保は、すべてのポテンシャルを示すために必要なだけの信頼を感じているはず。愛されていると感じているはずだ。というのも、サポーターは彼のボールを扱う技術のほか、労を惜しまず守備を行う姿勢を何よりも称賛する。アノエタに集う人々は、そうした努力を惜しまないタイプの選手と、心を深く通わせるのである。
久保がバスクのチームと対戦した際に骨が折れると感じたならば、この日本人選手のプレーに臨む姿勢こそが答えになるのだろう。バスク人は口先で語られることではなく、行われた事実にのみ信頼を置く。パイス・バスコはもう、その深い懐に久保を迎え入れている。
文=ナシャリ・アルトゥナ(Naxari Altuna)/バスク公共放送EITB記者
翻訳=江間慎一郎


