Shunsuke Nakamura - RegginaGetty

中村俊輔氏が語るレッジーナ時代「うまく行っている時はヒーロー」。奇妙に感じたこととは?

元日本代表MFの中村俊輔氏について、イタリア紙『ガゼッタ・デロ・スポルト』が12日付で特集を組み、インタビューを掲載した。

2002年から2005年にかけて南イタリアのレッジョ・ディ・カラブリアを拠点に置くレッジーナに所属し、セリエAでプレーした中村氏は、当時についてイタリア紙のインタビューで振り返った。

「最初は非常に奇妙に感じました。イタリア人は違うんです。うまく行っている時は、ヒーローのようでした。外に出ると、人が群がってきて、サインを求めてきたり、エスプレッソやいろんなものを奢ってくれようとしたりしていました。スーパーマーケットに買い物に行くのも難しいほどで、それが印象に残っています」

「日本では、野球もあるので、サッカーが一番人気のスポーツというわけではありません。ところがイタリアでは、生きるか死ぬかの問題なんです。それが不思議でした。それでも、私はレッジョの街とレッジーナが大好きでした。最高に居心地が良かったです。ただ、うまく行かない時は、ファンが練習場に入ってきて選手と話をしようとすることがありました。何がうまく行っていないのか、なぜ試合に負けたのかを尋ねられました。その時は少し怖かったです。日本で、こうしたことは見かけませんから」

また中村氏は、レッジーナ時代に指導を受けた中で最も重要だった2人の指揮官の名前を挙げたほか、思い出の対戦相手を明かした。

「ボルトロ・ムッティとヴァルテル・マッザーリです。ムッティは、2人目の父親のような存在でした。マッザーリは、ジェスチャーや紙に書いてコミュニケーションを取ろうとしてくれました。彼のおかげで多くを学びました」

「一番の思い出の対戦相手は、ロベルト・バッジョです。2002年10月5日、グラニッロで、彼の所属するブレーシャを相手に、セリエAで初めてFKを決めたんです。彼のようなカンピオーネ(王者)に、自分に何ができるかを見てもらいたいと願っていました。試合終了後、ユニフォーム交換をお願いしなかったのは、リスペクトからです」

最後に元レッジーナMFは、自身にとって「イタリアとは何であるか」を問われると、自身の考えを語った。

「本能と情熱です。レッジーナのファンが、負けた時は絶望し、勝った時は泣いて喜ぶ姿を見ました。後になってその意味を理解しました。チームへの無条件の愛だったんです」

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