大宮アルディージャは11日、U-18フィジカルコーチ兼U-18コーチを務めていた横山知伸氏が1月4日に死去したことを発表した。38歳だった。
現役時代に川崎フロンターレでデビューした横山氏は、セレッソ大阪や大宮アルディージャ、北海道コンサドーレ札幌、ロアッソ熊本などでプレー。2019年にFC岐阜に在籍した後、2020年2月に引退するまでJ1リーグ通算162試合などに出場した。その後、札幌アカデミーのフィジカルコーチを務め、昨年から大宮でフィジカルコーチを務めていた。横山氏は2018年に脳腫瘍と診断された後に摘出手術を受けたものの、昨年の夏に再発が伝えられていた。
大宮は横山氏の死去について、「ご逝去の報に接し、大宮アルディージャ一同、大きな驚きと深い悲しみに暮れております。故人の生前の功績を偲ぶとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします」と悼み、以下のようにコメントを出している。
「なお、葬儀は家族葬にて執り行われました。本来ならば早速申し上げるところではございましたが、ご遺族の意向により訃報のご連絡を葬儀後とさせていただきましたことをご容赦ください。また、ご供花、ご香典、ご弔問等は固く辞退させていただきたいとのお申し出がございましたので、何卒よろしくお願い申し上げます。」
「後日、『お別れの会』を執り行う予定です。日時、場所等の詳細が決まり次第、あらためてお知らせいたします」
また、大宮アルディージャの代表取締役社長を務める佐野秀彦氏は以下のようにコメントを出している。
「大宮アルディージャは、とても大切なかけがえのない仲間を亡くしました。突然の訃報に接し、信じられない気持ちでおり、悲しみにたえません」
「今夏、脳腫瘍の再発の診断されてから、必ずピッチに戻るという強い意志のもと、懸命に治療、リハビリに励んでまいりましたが、残念ながら帰らぬ人となり、無念でなりません」
「トップチームの選手としてともに戦った2014-2016シーズンは、強固なディフェンス力と確かな技術、そして空中戦の強さを武器に、チームを多くの勝利に導く活躍をしてくれました。2015シーズンの「J2優勝 J1昇格」、2016シーズンの「J1最高順位」は彼の活躍なくては成し得なかったことでありました。ピッチを離れても持ち前の明るいキャラクターと細やかな気遣い、類稀なるコミュニケーション力でチームを、そしてクラブを明るく照らし続けてくれました」
「2018年末に脳腫瘍を発症した際には、『必ず選手としてピッチに戻る』という強い意志を持って治療に向き合い、プロサッカー選手としてJリーグの舞台に戻ってきた姿は、我々をはじめ多くの方々に勇気と感動を届けてくれました。2019年2月9日、NACK5スタジアム大宮で大宮アルディージャサポーターがいち早く闘病中の横山選手へ送ってくれた励ましのチャント、そしてコールが彼の挑戦を後押ししてくれたと思っております」
「2023シーズン、トップチームのフィジカルコーチとして7シーズンぶりにクラブへ戻ってきてからも、自身を成長させてくれたサッカー界へ恩返しすべく、これまでの経験をもとに選手の成長、チームの成長のために全てを大宮アルディージャへ費やしてくれました」
「未来に向かい、ともに成長を続けていく仲間との早すぎる別れは、残念でなりません。クラブスタッフ一同、横山コーチの常に高みを目指し挑戦し続ける勇姿を心に刻み、意思を引き継ぎ精進してまいります」
「ご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申しあげますとともに、心からご冥福をお祈りいたします」
