試合前の長谷部誠にはルーティーンがある。ホームスタジアムのドイチェ・バンク・パークに鳴り響く場内アナウンスに促されて先頭を切ってピッチへ躍り出ると、バックスタンド脇まで走り寄ってスタンドの観衆に向けて手を叩く。その後は足元を確かめるようにステップを踏み、何度かダッシュを繰り返した後にようやくボールに触れる。
今季の正キャプテンに就いたMFセバスティアン・ローデがケガがちで頻繁に欠場を強いられる中、当然のように左腕にキャプテンマークを巻く長谷部はブンデスリーガ349試合で7ゴールに留まる中でもシュート練習に余念がない。ウォーミングアップを終えてロッカールームへ引き上げる足取りは軽く、キックオフに向けて高鳴る彼の鼓動がスタンドの最上段に居ても伝わってくる感覚を覚える。
昨年末までのドイツ・ブンデスリーガは新型コロナウイルス感染症流行による観客入場制限が州ごとに緩和され、アイントラハト・フランクフルトのホームタウンであるフランクフルト・アム・マイン市が属するヘッセン州はサッカーの試合に際してフルハウスでの開催を許可する時期もあった(ウィンターブレイク明け後の今年1月からは当面の間、無観客試合を予定)。
かねてから「ファン、サポーターの前でプレーする方が格段に力が入る」と語ってきた長谷部は、寒さが増す昨年11月のピッチで躍動感に満ち溢れていた。ここ数年続くシーズン序盤の『冷遇』から年末の『反撃』、そして年明け後の『盤石』という自らの立場の変節も、もはや毎年のルーティーンと化した感がある。
■“ツヴァイカンプフ”でも存在感
(C)Getty Images今季からフランクフルトを率いるオリバー・グラスナー監督はシーズン開幕当初のブンデスリーガで長谷部をダブルボランチの一角で起用したが、チームがスタートダッシュに失敗すると彼をベンチ入りメンバーから外すことが多くなった。しかし、チーム低調の要因が他にあったことが明らかになると、グラスナー監督は再びチーム最年長選手の力を求め、システムを3-4-2-1、もしくは3-4-1-2に定めた上で長谷部を3バックの正リベロに指名した。
長谷部のリベロ起用が最良策であることはミッドウィークに開催されていたUEFAヨーロッパリーグ(EL)・グループステージでの戦いで如実に証明されていた。長谷部はグループステージ開幕節のフェネルバフチェ(トルコ)戦でベンチ外となった以降は5試合すべてで3バックのリベロを任され、そのチーム戦績は3勝2分の無敗を堅持した。フェネルバフチェ、オリンピアコス(ギリシャ)、アントワープ(ベルギー)と決勝トーナメント進出を争う中で早々に首位突破を果たしたフランクフルトの屋台骨を支える存在として、長谷部はすでに地元メディアから高い評価を受けていたのだ。
グラスナー監督も当然その試合内容と結果を精査していたはずで、ELの決勝トーナメント進出がほぼ濃厚になった昨年11月初旬の時期に長谷部をブンデスリーガのゲームでも重用し始め、国内の戦いでチーム状況を上向かせる方策を見出そうとしていた。
グラスナー監督は当初、ドイツ国内での長谷部のプレー傾向にいくつかの不安を抱いていたように思う。指揮官は昨季まで率いたヴォルフスブルクでフランクフルトと対戦した際、相手3バックの中央に立つ長谷部に対してフィジカル能力の高い自軍FWをマッチアップさせて狙い撃ちする戦略を採っていた。『ツヴァイカンプフ』(ドイツ語で1対1の意)に弱点があると分析したグラスナー監督が自軍の選手として長谷部を評価したとき、同じくそのリスクを鑑みたとしても不思議ではない。
しかし、今季の長谷部は指揮官の懸念を払拭するプレーを見せつけている。ウィンターブレイク直前のブンデスリーガ第17節・マインツ戦では188センチ・85キロのカリム・オニシウォらを擁する相手2トップを封殺。また、同第13節のウニオン・ベルリン戦では今季大プレイクしている相手FWタイウォ・アウォニイとのスピード勝負で引けを取らず、今季すでに9ゴールを挙げている危険なFWを無得点に抑えた。
今の長谷部は足からピッチに太い根を生やしているように見える。相手と身体をぶつけ合っても体軸が振れず、逆に跳ね返すこともある。180センチ・70キロと、ブンデスリーガーの中では小柄な体躯でスマートな印象を受けがちだが、それでも長谷部は肉弾戦を厭わない。軽やかにかわすのではなく、むしろ敵のスピード&パワーを反発させる『柔(やわら)』の論理で立ち向かい、鮮やかかつしなやかな動作で局面を制している。研ぎ澄まされた予測と豊富な経験に裏打ちされた判断はその能力を増幅させ、今季の長谷部はおそらく自身のキャリアで最も力強いプレーを見せている。
■キック精度も向上
(C)Getty Images局面勝負で動じない所作は昨季から凄みを増しつつある。2020-2021シーズンの長谷部は前任のアディ・ヒュッター監督(現・ボルシア・メンヒェングラートバッハ監督)からボランチを任され、数年ぶりにミドルエリアでフル稼働した。360度包囲の苛烈なプレッシャーに晒される中盤のプレー強度を再び経験した彼は30代後半にしてさらなるスケールアップを遂げ、チームの最後尾に君臨することで一層の自由を享受してプレー精度を高めつつある。
自軍がボール保持した際、長谷部はバックラインから果敢に前へ打って出ることが多くなった。ときには両脇のストッパーを後方に従え、逆三角形の形で突出することもある。いわゆる『第3のボランチ』として振る舞う彼の挙動は異質で、ミドルエリアへ飛び込んできた長谷部に困惑した敵が恐る恐るアプローチすれば、その思惑に首尾よく嵌ることとなる。相手を誘き寄せた刹那に放つミドル・ロングパスが鋭く速く飛び、味方選手の足元へ正確に吸い付くと、スタンドから感嘆の溜息が一斉に漏れる。
20代前半から30代始めの長谷部は平均的なキック能力の持ち主だったように思う。例えば遠藤航のようにノーステップで40メートル以上ボールを飛ばせるわけでもなく、中村俊輔や遠藤保仁のように数センチの狂いもなく到達地点にボールを送れるわけでもなかった。しかし、今の長谷部は明らかにキック精度が向上している。彼の蹴ったボールがサイドラインを大きく越えていく姿を久しく見ていない。広角にして縦横無尽な“発射台”からレーザービームが照射された瞬間にダイナミズムが生まれ、味方選手が連動・連係して相手ゴールへ殺到する。
例えば、現在のフランクフルト最強の攻撃者である左サイドアタッカー、フィリップ・コスティッチは長谷部がボール保持した瞬間にワイドポジションを取り、相手陣内奥深くのスペースへ一気にランニングを始める。後方を視認すること無く疾走したコスティッチの足先には長谷部から正確かつ高速にボールが届けられ、その先にはゴールへの道筋が生まれている。
トップ下の鎌田大地も長谷部の挙動を十二分に理解している。直近、遠方を問わず、常に長谷部からのパスを待ち構えて確信的にボールを受ける鎌田は、先駆者の下支えを得て敵陣でタクトを振り、チームを斬新かつ効果的にオーガナイズする。コスティッチや鎌田ら味方攻撃者の背後には、常に頼もしき長谷部の“影”が伸びている。
■まもなく38歳となるもさらなる向上心
(C)Getty Images1月18日に38歳の誕生日を迎える長谷部は近年、フランクフルトと単年契約を継続する中で常に“ラストシーズン”を意識してきた。ここ数年は「おそらく、ここまで」と達観する中で、それでも滾る情熱を携え、クラブ首脳陣、コーチングスタッフ、そして同僚たちから請われることに無上の喜びを得ながら、現在地から再び一歩でも前へ進む努力を続けている。
「周囲から求められる限り、現役としてプレーし続けたい思いはあります。正直に言って、今の僕はサッカーをプレーする以上の欲求はないんです。もちろん指導者やゼネラルマネジャーなどのクラブサイドの仕事にも興味はありますよ。でも、それは選手を辞めてから考えればいいことだと思っているんです」
このプロサッカー選手を定形の枠に収めてはならない。表向きに発する彼の謙遜も額面通りに受け取ってはならない。10代の頃に醸した野心、20代に期した責任感、そして30代にして達したさらなる向上心。様々な感情が積み重なり、この人物は我々の想像を超える範疇で、その凛々しい姿を見せ続ける。
試合終盤、小柄なDFが屈強な相手FWの前に立ちはだかり、鋭利なスライディングタックルで相手をピッチに叩きつけ、ボールをサイドライン外へ押し出すと、スタンドの四方から万雷の拍手が降り注いだ。
称賛のコールは止まない。今季も、そしておそらく、その先も。長谷部誠が行く前人未到の道のりには、眩い光が射している。
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