今季2試合目の先発でいきなりのハットトリック。プロ初ゴール+ハットトリックで度肝を抜いた19歳の若きストライカーは、長崎の前線で見る者の心を沸かせている。DAZNとサッカーメディアで構成する「DAZN Jリーグ推進委員会」の月間表彰で、Goalは9月の「ベストヤングプレーヤー」に選出した。(インタビュー日:10月7日 聞き手:上村迪助/Goal編集部)
■名だたる先輩たちから「いいとこ取り」
(C)Getty images――9月はまさにセンセーショナルな活躍を披露されました。プロ2シーズン目の今季は天皇杯で出場を重ねるところから始まって、2試合目の先発となる9月14日の第25節・モンテディオ山形戦(5-1)でいきなりのハットトリック。この経緯を振り返ってください。
その試合の前節(第24節・SC相模原戦)で途中出場からの決定機を外してしまったんです。チームも0-0で終わって責任を感じていました。連戦だったので中2日の山形戦に向けてコンディション調整する中で(松田浩)監督が先発起用してくれると分かった時に、「これはラストチャンス」と何人かの選手と話をしていたんです。だから本当に内容というより「個人として結果、点が欲しい」そのことだけを考えていました。その中で(プロ)初ゴールとなるチーム2点目を取れたことで、本当にほっとしました。プレッシャーから解放された感覚がありました。そこでリラックスできたことが一番大きくて、そこから周りの選手のいいパスのおかげでハットトリックができたのだと思います。
――周りという意味では、チームメイトにはエジガル・ジュニオ選手、都倉賢選手、玉田圭司選手といった名だたる選手たちが在籍されています。先輩たちから学ぶことはありますか?
日本を代表する選手はもちろん、エジガル選手はJ1でも結果を残していました。一人ひとりがいろんな武器を持っています。自分はコミュニケーションを取るのが好きなので、相談したりアドバイスをもらったり、「いいとこ取り」の吸収ができていると思います。そういった意味でも長崎は良い環境です。ただ、リスペクトし過ぎると追い越せないとも思いますし、「自分のほうが上回っているところもあるんだぞ」という強い気持ちを持ちながら、練習や試合に臨んでいます。
――ビクトル・イバルボ選手も復帰してきました。チーム内での争いも激しくなってくると思います。
個人の能力はどう考えても僕よりイバルボ選手のほうが上です。でも、例えばたくさん走ったり、泥臭く守備をしたり、体を張って頑張ったり、自分の武器で勝負できないことはないとも思っています。この前の京都戦(第32節・2-0)でもゴールが取れたことは、自信にもつながりました。
――首位・京都との直接対決でした。この勝利で長崎は3位に浮上、チームのターニングポイントになるような得点だったと思います。得点の後のゴールパフォーマンスもハットトリックの時より慣れていたように見えました。
ハットトリックの時は、自分が本当にハットトリックした感触みたいなものがあまりなかったんです。でも京都戦はボールが転がってゴールに入るまでの瞬間に会場が沸きました。「ゴールを決めた感」はこちらのほうがありました。
■小倉南FCで過ごした小学生時代
(C)GOAL――これからももっと多くのゴールパフォーマンスが見られると思います。ここで少し過去についてお聞かせください。2020年、JFAアカデミー福島U-18から長崎に加入されました。経緯を教えていただけますでしょうか?
もともとプロ志望で、高校生の時もその話を監督とずっとしていました。そんな中、クラブユース選手権の東海予選をV・ファーレン長崎のスカウトの方がたまたま視察されていて、そこで(長崎に)一緒に入った加藤聖のクロスからゴールを決めたんです。そのシーンを多分見てもらっていたからか、二人一緒に練習参加に呼んでもらい、練習参加してオファーをいただきました。
――加藤聖選手の存在は心強いですか?
二人一緒に同じクラブに入るというのも珍しいですよね。もちろん心強いです。でも、心のどこかで意識する存在でもあります。ポジションは違ってもライバルみたいな存在でもあります。
――サッカーを始められたきっかけを教えてください。
7個上に兄がいるんです。その兄がサッカーをやっていたのがきっかけです。7個上なので一緒にサッカーをやってもなかなか勝てないので、「絶対いつか兄ちゃんに勝ってやる」、そういう気持ちからどんどんのめり込んでいきました。
――小学生時代は小倉南FCに所属しています。その時代に学んだことは?
家からは結構遠かったのですが、小学校4年生ぐらいの時にバス、電車、モノレールを使って通っていました。今思えば、1対1の勝負で「絶対に負けない」といった対人の練習がものすごく多かったですね。練習試合をやっても目の前の相手に負けない、その時は8人制だったと思いますけど、僕だけじゃなくて8人全員負けないところに執着していたと思います。雨の日でグラウンドが使えなかったら走りがあって。走りでもただ走るだけではなくて、工夫した長距離のリレー走といった遊び感覚で持久力も付けていたのだと思います。今の自分のフィジカルの基礎になっています。
――小倉南FCでは、サガン鳥栖の大畑歩夢選手と同期ですね。
はい、一緒に全国大会も出ました。県の決勝は大畑歩夢がゴールを決めて1-0で勝って全国大会が決まっています。プライベートでもものすごく仲良くて、オフシーズンも一緒に体を動かしたりしています。お互いに点を取ったり活躍したりしたら、LINEで連絡を取り合うような仲なんです。
――ポジションはずっとFWですか?
いえ、小学校の時はボランチをやっていました。九州のナショナルトレセンでもボランチで選んでもらっていたんです。でも、中学校からJFAアカデミー福島U-15に行った時に、周りのレベルが高すぎて、MFよりも試合に出られる可能性が高いFWにコンバートされたという感じです。最初はめちゃくちゃ嫌でしたけど、まあFWじゃないと試合に出られなかったので「じゃあやるか」ってやったのが最初です。
――選手に話を聞くと、前目から後ろに行ったほうが多いようなので珍しいですね。
その時のチームにFWがいなかったんです。FWはだいたいみんな被ると思うので、今考えれば珍しかったですね。逆にMFがものすごく多くて、そこでは試合に出られなかったです。
■憧れはフェルナンド・トーレス
(C)Getty images――海外サッカーは見ますか?
見ます。リヴァプールはサッカーを始めた幼稚園生ぐらいの頃から好きでした。リヴァプールのフェルナンド・トーレス選手がものすごく好きでした。ゴールを決めた後のパフォーマンスを真似したりしていました。
――トーレス氏とプレースタイルが似ているような気がします。参考にしますか?
ゴールシーンは見ますね。ちょっと恥ずかしいんですけど、知り合いの方とか、こういう取材を受けたりしてる時に、よく「フェルナンド・トーレスに似てる」って言われます。どうですか?(笑)。ちょっと恥ずかしいんですけど(笑)。
――似ていますよ! 具体的にこういうプレーを参考にして動いている、というのはありますか?
フェルナンド・トーレスと言えば「一瞬のスピードで裏に取ってGKと1対1でゴールを決める」といったイメージが自分の中で強いです。そこは一番参考にしています。自分の武器はまさに背後に抜けてゴールを決めることだと思っているので、すごく参考にしています。
――トーレス氏が鳥栖に加入した時は、羨ましかったのでは?
やっぱり好きだったので、鳥栖の試合を見に行きました。
■目標は海外でCL、日本代表入り
(C)Getty images――ベスト・ヤングプレーヤー賞の選手にいつも聞いている質問です。若い世代は先輩を参考にしていると思いますが、いずれ先輩たちを超えて自分が思い描く理想像に近づいていかないといけない。でないと、その背中に追いつく頃には10年前のサッカーになってしまいます。そういう意味で、ご自身が考えられている今後のアタッカー、スコアラーに求められてくる役割を聞かせてください。
現代サッカーでいえば、FWは前から守備をする、GKがビルドアップに参加するといったことがあると思います。ただ、時代が変わっていっても変わらないのは「FWは絶対にゴールを取ること」です。そこで評価されると思いますし、FWは結果を残して自分の価値を示せるポジションだと思っています。戦術がどうだとか監督がどうだとかもありますが、やはり最終的には点を取る選手が一番なので。僕は得点というその結果だけ、貪欲にゴールを目指してやること、それで結果を残し続けることが自分の中での理想像です。
――今後の大きな意味での目標がありましたら教えてください。
一番の目標は、海外でチャンピオンズリーグに出ることと、日本を代表してW杯に出ることです。小さい頃からの憧れでもあります。せっかくプロサッカー選手になれたので、その目標をしっかり勝ち取りたいと思います。
――ご自身はパリ五輪世代(2001年1月1日以降生まれ)です。2024年のここがまず近い目標になってくると思いますが、今年の東京五輪を見て感じたことなどあれば教えてください。
準決勝のスペイン戦もそうでしたが、世界のトップレベルの選手たちとも最後の最後まで互角でやり合えている印象でした。世界との差は少なくなってきているんじゃないかなと感じました。でも、最後の最後でメダルに届きませんでした。最後の質、勝者のメンタリティという部分でまだ世界との差があるのかなと個人的には感じました。
パリ五輪は僕らの世代ですし、メダルをもちろん期待されていると思います。東京五輪世代の先輩方が達成できなかった目標を、今度は自分たちの世代で達成したいという気持ちはあります。でも、まずは自分が選ばれないと何の意味もありません。まだ全然、世代別の代表にも選ばれていません。ここからどんどん結果を残してそういった代表の合宿に呼んでもらえるように頑張っていきたいと思います。
――J2リーグも終盤戦に入り、長崎はJ1昇格に向けて戦っていきます。意気込みを教えてください。
昇格するためにはもう1試合も負けられない状況です。僕が毎試合点を取る、取って勝つことができれば昇格できると信じています。そのために毎試合毎試合、最高の準備をしてゴールという結果を出し続けたいと思います。
■プロフィール
FW 33 植中 朝日 Asahi UENAKA
2001年11月1日生まれ、19歳。179cm/72kg。福岡県出身。利き足:◎右。小倉南FC-JFAアカデミー福島U-15―JFAアカデミー福島U-18を経て2020年V・ファーレン長崎に加入。裏への抜け出し、ゴールへの嗅覚が持ち味のFW。J2通算15試合出場5得点(10月15日時点)
