Tim Cahill SC Qatar

「日本は2002年に先駆者となり、カタールは次のレベルに引き上げた」ティム・ケーヒルが2022W杯ホスト国を絶賛

フットボール界最大のショーであるW杯。2022年にカタールがホスト国となるが、アジアでの開催はその長い歴史の中でやっと2度目ということになる。中東に位置するカタールはスポーツ興行の主催やマネジメントに関して、大陸有数の大国としての評価をすでに確立している。この国は、もう一つのアジアの大国、日本を手本にしてきたといってもよいだろう。ちなみに、日本は2002年にW杯が初めてアジアで開催されたときの共催国だ。

2002年に日本は、決勝を開催した横浜スタジアムを筆頭に、最新式のスタジアムや設備を携えて先駆者となったが、カタールは2022年W杯に向けて8箇所の開催地を立てる際、最先端の技術を使って一段と進歩させた。オーストラリアのレジェンドであるティム・ケーヒルはそう語る。

興味深いことに、カタールの作った8つの派手なスタジアムのうち7つは一から建設されているもので、どれも世界クラスの建物だ。そのうち6箇所は「アドバンスト・クーリング・テクノロジー」と呼ばれる最新鋭の冷房設備などが備えられており、世界でも最先端のサッカー競技場となっている。また、一つだけ冷房設備を持たないラス・アブ・アブード・スタジアムは、なんと完全に解体することができる。ケーヒルはまた、2つの国が2022年の開催に向けて両国が助け合ってきたことで、共通の話題が沢山あると考えている。

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「(日本とカタールの間に)よい相乗効果があるんだ。日本は巨大イベントの開催やスタジアムの建設においてリーダー的な存在だ。2000年に言ったが、日本は先駆者だった。カタールは最新鋭の設備でそれを次のレベルに引き上げてきた。8つのスタジアムのうち7つには冷却装置やエアコンがついている」

こう『Goal』に語ったケーヒルだが、現在はカタールに住んでいる。カタールのスポーツアカデミー『Aspire Academy』でチーフ・スポーツ・オフィサーとして働いているのだ。

「間違いなくアジアの国々、特に2つの大国の間には素晴らしい関係がある」とケーヒルは付け加えた。

エヴァートンのスターであったケーヒルは、パンデミックの間にも関わらずカタールと日本が巨大イベントを開催するリーダー国であることを証明してきた経緯について語り、両国が助け合ってきたことを指摘した。日本は最近閉幕した東京オリンピックを開催した一方で、カタールは2020年AFCチャンピオンズリーグや2020年クラブW杯を開催し、さらに最近2022年W杯アジア予選の日本対中国戦を主催した。

Education City Stadium

「驚くべきイベントを目撃していると思うよ。ここカタールに住んで、パンデミックの間にどうやったらイベントを開催できるか見ることができているし、バブルを使うこともできていた。全員の安全を確保し、よいプロトコルになっていることも確認できた。カタールではクラブW杯があったし、(W杯)予選も行った。さらにACLもある」

「東京と日本にはオリンピックについて最大の賛辞を贈りたい。組織化されており、パンデミックやそれによって起こる事態を管理しながら、全世界からの参加者を先導していた。素晴らしい経験だった。カタールは日本と連絡を取り、オリンピックから学んでいる」

ケーヒルにとっての日本は赤の他人ではない。サッカルーズ(オーストラリア代表の愛称)での華々しいキャリアの中で、サムライ・ブルーと数々の戦いを演じてきた。実際、ケーヒルには「日本キラー」というニックネームがついている。これは日本の記者らがつけた二つ名だ。

おそらく、日本との戦いの中で最も印象深いのは、2006年W杯グループステージでの一戦だろう。オーストラリアにとって32年越しのW杯となったこの一戦で、ケーヒルは主役級の活躍を残した。ベンチから交代で登場すると、歴史的な一撃を決め、1-0のビハインドから試合をひっくり返したのだ。

Tim Cahill Australia v Japan World Cup 12062006Getty

「日本との試合で僕はベンチに座っていて1-0で負けていた。フース・ヒディンクが僕を交代で出した数分後のことだ。僕はオーストラリアにとってW杯初得点を決めたんだ」

「あの試合でのプレーはよく覚えているよ。1-1になった直後に2点目を決めたんだ。あれで調子がよくなったんだろう。あの試合はオーストラリアが(W杯で)初めて勝ち点3を決めた試合だからね。ああいう気持ちになったのは驚きだったよ」

「(日本と戦いが)何年にも渡り、オーストラリアでも予選の試合があった。ホームで日本と戦っていくつか得点を挙げたよ。そしてW杯進出を決めたんだ。たしかメルボルンだったと思うけど、日本で2得点を挙げて試合を支配したんだ」とケーヒルは当時を振り返った。

だが、よい思い出ばかりではなかったようだ。ケーヒルは2011年アジアカップのメンバーだったが、ドーハのハリーファ国際スタジアムで行われた決勝戦では日本に敗れている。同スタジアムは2022年W杯の開催地のひとつだ。

「決勝戦では右膝を痛めてしまった。他にも怪我を負っていた選手が何人かいる状態で試合に臨んだんだ。それでも僕たちは試合で全てを出し切ったが、最後のハードルを超えることが出来なかった。負けてしまって悲しかった。あの気持ちを忘れることはできないが、日本は勝者に値するチームだった」

2018年W杯3次ラウンド最終戦では、オーストラリアは日本戦で敗戦を避けなければならなかった。だがそれは叶わず、ケーヒル率いるチームはプレーオフに回らなければならなくなった。プレーオフではシリアを倒したあとホンジュラスにも勝利した。

「一番思い出に残っている試合といえば、多分前のW杯予選での日本戦だね。勝つか、引き分けなければいけなかったが負けてしまった。引き分けるつもりで戦っていなかった。勝つつもりだったんだ」

Australia's Tim Cahill fights for the ball with Japan's Gotoku Sakai during the World Cup 2018 football qualification match between Australia and JapanGetty Images

「残念だけど、結果を出すことができず、チーム全員、スタッフ全員はスタジアムの中に戻ってしまった。僕は外に続けたが、日本は巨大な看板を置いて、次のW杯に行けることを祝ってユニフォームを掲げていた。僕たちは本戦出場のためにプレーオフに行ってシリアに勝たなければならなくなった。僕は外にいた。そこで撮った写真をインスタグラムで使い続けているんだ。あの痛みを理解するためには、痛みを経験しないといけなかったんだ。そうして結局最後にはW杯に出場することができたからね」

ケーヒルは日本が2022年W杯出場を決めるところを見たいと願っている。本大会ではお気に入りのチームのプレーを自身の新居で楽しむことができるのだ。

「僕にとっての日本とは、ラブストーリーなんだ。ロマンチックなんだ。彼らのスタジアムでプレーして、得点もした。そして彼らは試合後に僕に拍手を送ってくれた。日本の協会や当時の選手、今の選手に強い親しみを感じるんだ。ずっと話していられるくらいだが、僕と日本の間に特に思い出に残る瞬間がいくつかある。来年のW杯出場を決めることができたら、それはカタールで味わうことができる楽しみのひとつになりそうだね」

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