金メダルを目標に掲げ、オリンピックを戦ったU-24日本代表。しかし、目標としていた金色はスペインに阻まれると(0-1)、53年ぶりのメダルをかけた3位決定戦でもメキシコに1-3と完敗。メダルには届かなかった。
そんな日本の戦いを全試合チェックしていたスペイン紙『as』の試合分析担当ハビ・シジェス氏は、今大会を「大切な種を植える土壌」と表現する。日本には「進んでいくべき道はある」と断言する。
では、今大会の日本の戦いは、サッカー大国トップクラスの分析担当にどのように映ったのだろうか? どの部分で成長を見せ、またどの部分がメダルには届かなかった理由なのだろうか? そして、今後はどう戦っていくべきなのだろうか? 大会を総括して紐解いていく。
文=ハビ・シジェス/スペイン紙『as』試合分析担当
翻訳=江間慎一郎
■進んでいくべき道
すべてを喫緊の課題としてしまえば、本来あるべき現実は歪んでしまうものだ。日本はメキシコ相手に手痛い敗戦を喫して表彰台の居場所を失った。負けるときにはありとあらゆる疑いをかけられ、自分たちがしてきたことに価値を見出せなくなる。しかし日本の代表チームは、今大会を大切な種を植える土壌とした。目の前には、進んでいくべき道がある。
彼らはこの東京五輪で見事に競い合った。どんなチームが相手でも明らかな劣勢に立たされることはなく、おそらく今現在、日本で考えられているよりも成功に近づいていた。今は評価されなくても、将来にはきっとそうなるだろう。
日本は変化している。少なくとも、あなたたちからすれば外国に住んでいる私にはそう思える。チームとして、コレクティブとしてのレベルは確実に上がっており、そこは疑うべきではない。もちろん、ゲーム上のいくつかの部分については絶対的に改善しなければならないし、メキシコ戦がほろ苦い内容になったのも確かだ。
■欠けていたものと進化
(C)Getty Images日本はオリンピック最後の一戦で、自分たちが抱えるあらゆる悪癖を露呈。それらの癖は、またいつ表れるか予断を許さない。とりわけ、セットプレーの守備は悲惨そのものだった。日本人の体格、つまりは相手選手に身長差で劣っているために、森保一はゾーンディフェンスと少しのマンマークで守ることに執着している。そうした構造の守備では、ボールをクリアするため各選手のポジショニングに細心の注意を払わなければならない。が、日本はメキシコ戦でも過去の試合でも、そのように専心している様子が一切見受けられなかった。
スコアを2-0としたヨハン・バスケスのゴール場面で、彼は遠藤航と田中碧の間に入り込み、誰にも邪魔されることなくネットを揺らしている。メキシコが3-0とするゴールはもっとひどく、得点者のアレクシス・ベガは完全に自由だった。ペナルティーエリアの外から飛び込んできた彼に対して日本の選手たちは誰もリアクションを取れなかったが、エリア内で適切なポジショニングを行なっていれば、その動きを封じることができていただろう。日本はこうした自殺傾向をなくすため、チームとして戦略的な大仕事が求められる。ただ、すべての状況が練習で何とかなるわけでもない。森保がどれだけセットプレーの練習を行っても、選手一人ひとりの機敏さ、慎重さ、つまりは判断力が必要となる。
そう、日本は大会を通じて個々人の不注意に苦しんでいた。スペイン戦の失点であればスローインから生まれており、ペナルティーエリア内のマルコ・アセンシオに対して、あんなにも簡単にボールを通されてはいけない。極上の左足の餌食になることが決まっていたようなもので、そうした類のミスはあらゆる希望をふいにしてしまう。またサイドバックが上げるクロスへの対応が甘くなることも、彼らの悪癖の一つとして挙げられる。
日本は守備戦術で、確かな成長を果たした。森保は1-4-4-2か1-4-5-1を使用したハイプレス、後退時に形成する守備ブロックのオートマティズムをしっかりと設計していたし、選手たちはサポートし合って団結の精神を示している。しかし、それでも誰かが相手を潰そうと持ち場を離れるとき、そのエリアの担当者が不在になることが間々あったのも否定できない。遠藤と田中は幾度も背後のスペースを空けてしまい、左サイドの中山雄太も相手にとって突破口となる守備の亀裂を生じさせている。森保、そして選手たち自身も、そのようなことが起こらないよう責任を背負うべきだろう。ただ、いずれにしても日本が守備戦術で一歩を踏み出したことは間違いない。現在は規律を持った賢明な守りを見せており、対戦相手は困難に陥れられる。実際的に、スペインは心底苦しんでいた。
■魅力的な攻撃の融合へ
(C)Getty Images森保はこれから、この守備の進化に日本の伝統とする魅力的な攻撃を当てはめていく必要がある。日本が彼らの攻撃的長所をかき消してはならない。自分たち自身を見失うようなことがあってはならないのだ。現時点の彼らは、新たな守備と伝統の攻撃をどう当てはめるのかで慎重になっているが、そんな状態を続けるわけにもいかない。スペイン戦で見せた攻撃では、彼らの特徴である勇敢さが欠けていた。
東京五輪の日本は、トランジションから有効な攻撃を仕掛けられることを示した。久保建英と堂安律が少ないボールタッチで見せる連係プレーは、これからも大いに期待できる。その一方で、不安を感じさせるのはポジショナルな攻撃における創造性だ。森保は攻撃的MF3枚をピッチ中央に集中させているが、そこでボールを受け渡すのは決して容易ではない。陽動でもサイドに開く選手をつくり、そこで2対2の状況を生み出して相手の守備網を広げた方がいいだろう。そうすれば中央で、久保のような選手にボールを渡すのも簡単になる。結局、慣例的に行われてきたプレーの方が、機能する可能性は高いということである。
スピードあるパス回しでもってサイドを使っていければ、中央のスペースをもっと享受できるようになる。そして日本には、そこでスペースを得られれば水を得た魚のように躍動できる選手たちがいるのだ。加えて最前線の選手については、自らボールを動かすのではなく、ペナルティーエリアで待ち構えるFWがいてもいいだろう(ただ彼らの育成組織からはそうした選手が出てくるようにも思えない)。両センターバックを引きつけられるFWがいれば、中盤の選手の質的にいつも渋滞になるアタッキングサードを広く使えるのだが……。
■進んだのは「半歩」
(C)Getty images日本が今回の五輪で行なったことについて、何かを貶める必要はない。スペインとブラジル含め、すべてにおいて完璧な代表チームは存在していないのだから。厳しい敗北を味わったメキシコ戦を除けば、日本の守備は着実に進化しており、素晴らしいレベルの技術と勇敢さも持ち続けている。ただ、再び結果という成功に届かなかったのも、また事実ではある。まるで自分たちの性分ではないと、勝利の重みに耐えられないかのように。
彼らはリードを奪われた際、手遅れなことなど何もないのに、どう応じるべきかという返答をいつも用意できないでいる。打撃を受けたら、その痛みを乗り越えられない。競争心を持つこと、感情をコントロールすることがかなり苦手なようだが、フットボールがそのような欠点に目をつむることは決してない。この競技は戦術、技術、フィジカルがすべてではないのだ。より輝かしい結果を手にするためには、自分たちのパーソナリティーを見つめ直す必要もあるだろう。
日本は彼らの首都の五輪で、間違いなく成長の道を進んだ。しかし「進んだのは半歩ほど」と考えるべきだ。彼らがここで立ち止まってしまうのは、あまりにもったいないことなのだから。
